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「西洋の自死」を読んで。

732回目です。φです。

ゴールデンウィーク中に読み終わろうと思っていたのですが、あっという間に読み終わりました、「西洋の自死」。ハマって読んだらこんなことに…(笑)

読み終わってまず思ったことは、この移民・難民問題にメルケル首相がかなり関わっているということ。他の首相は追随した感じ。

私自身、この問題については全く知識がなかったので、この本である程度根本の問題を知ることができました。根深い。「はい、では〇〇します、解決!」とは全くなりそうにない。

受け入れには国のいわゆる体裁と、国民の感情が揃わないといけない。けれど、そのズレも存在していて、だからこそ起こってしまうものもある。国もまたわだかまりを感じていて、自国としては拒否をしたくても国際社会が許さない、ということもある。

どこかの国がやってしまったら、やらなかった国は非難される。人権への態度が云々、とか。戦争の失敗を繰り返すつもりか、とか。政治家は命狙われたりね。

お互いに監視社会にもなっているのだと思う。横並び、もしくは同じ目標を掲げるということはリスキーでもある。目を背ければ大勢から指を指される。難しいものですね。

EUのどこかの国がやった。じゃあ自分のところもやらないと、国際的ではない。それに取りつかれ、リベラルという名前に疲弊したのが現在のEU、でもあるのかもしれない。まぁ国によって違うとは思うけれども。ドイツやフランス、オランダ、イタリア、そしてスペイン。西欧とドイツはかなり疲労している、とこの本に書かれてあって、EUの政策を外から眺めているような状態の私にとって、かなり新鮮な内容でした。

宗教と生き方はつながってもいる。宗教と生活をすっぱり断ち切ることは難しい。例えばキリスト教だったら日曜日の礼拝は宗教行事であり、生活の一部。徹底している人だったら、食前の祈りも、寝る前の祈りもするでしょう。それも生活の一部。人との接し方も宗教的な考えが関係してくる。つまり宗教は生活と密接。

だからこそ、宗教の自由を認めながらの移民・難民問題の解決は難しくなるのだと思う。この国に合わせろ、というと、宗教によって合わせられない部分も生まれる。そこをどう考えるか。

人が別の国から大量にやってきました。その国の言語を学ばせました。マスターしました。仕事にも就きました。はい解決。…ではないんだなぁ。馴染む馴染まないの前に、宗教という課題がある。それを認めなければ宗教の自由は阻害されているのだし、けれど馴染まないことで起こってしまうこともたくさんある。犯罪だって宗教的につながっていたりもする。

もしかしたら世界中で起こるかもしれない移民・難民問題に、西洋は最初に解決していかないといけない。それがモデルになるか、彼らの過ちを繰り返さないための例になるか。メルケル首相は自分の判断がどうなってしまったかを認めたようです。それから、ドイツはどう立ち直っていくのでしょうね。そろそろメルケル首相も任期満了ですし、次の政権次第かもしれない。

ドイツもなかなかナショナリズムが目立ってきているので、全く異なる国になるかもしれないし、継続のような政策かもしれない。国境閉鎖や人の移動を制限した今の時期の後、世界はどうなるのでしょうね。

さて、本の401ページを抜粋。

「結局のところ、源流であり駆動力であったものから自ら抜錨してしまった社会は、どれだけ長く生き延びることができるものだろうか。」

これが、すごく私は印象に残りました。源流であり駆動力、は宗教のことだと思います。私の国語力が試されますね(笑)

日本でもそうだけれど、欧米諸国でも宗教への熱意は減ってきています。もちろん熱心な国もある。けれど、科学が発達するにしたがって、宗教は時代遅れなものだとなってしまったよう。それはそれで残念であり、文明化が進み過ぎてしまったことの代償かもしれない。良いか悪いかは微妙なところ。

まとめると、勉強になる本でした。日本ではまだ遠い未来のことかもしれないけれど、いずれは直面する問題です。移民や難民をどうするか。受け入れるとしたら、何が課題になるか。受け入れないとしたら、どう国際社会を生きるか。色々課題だらけ。

読んでいて損はない本なので、ぜひぜひご覧あれ~!

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