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「戦場のピアニスト」

 293回目です。φです。

 今日はバレンタインデーですね。昨年くらいに「義理チョコ廃止!」という流れがあったと思うのですが、今年はどうなったのでしょう…。

 私は義理チョコ送ったことないなぁ。意味なさそうですし(笑)

 「義理」という言葉は本当によく耳にします。「義理があるから」「義理として」などなど。

 しかしながら、義理ってなんでしょう?義務?いつぞやの感謝の気持ち?

 あまりにも不思議なので調べてみました(笑)

 義理:
1.物事の正しい道筋。また、人として守るべき正しい道。道理。
2.社会生活を営む上で、立場上、また同義として、他人に対して務めたり報いたりしなければならないこと。道義。
3.付き合い上しかたなしにする行為。
4.血族でない者が結ぶ血族と同じ関係。血のつながらない親族の関係。
5.わけ。理由。

 と、デジタル大辞泉はおっしゃっています。

 …うん、もっとよく分からなくなりました(笑)

 義務じゃないんだぁ…ということだけは分かりました。あんまり積極的にやりたいことじゃないのかなぁ、とも思ったり。mustというよりhave toな感じ?

 本来の意味がなくなっているような、と私は思いますが、まぁこの話はここまで!

 今日は私が観た映画、「戦場のピアニスト」についてnoteに書こうと思います。


 こちら。内容として、「戦火を生き抜いた天才ピアニストの真実の物語。実在したポーランド人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自伝を、ロマン・ポランスキー監督が自らの体験を重ねて映像化。出演はエイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマンほか。」と書かれています。

 私はフィクションだと思っていました。実話だとは思えなかった。最後に字幕で実在の人物の人生であることが出てきて、本当に驚きました。

 この話、正直目を背けたくなるような内容です。

 人間ってここまで残酷になれるんだ。そう思わざるを得ない。悲しい。第二次世界大戦は、歴史の出来事であるけれども、現代史の出来事です。ちゃんと法律があって、人権があって、文明化が進んだ時代の出来事。

 私は日本史を高校の頃選んだし、世界史は本当に「教科書の文字を覚えた」と言っても過言ではないくらいの知識しかありませんでした。

 第二次世界大戦の酷さは知っています。未だに人の心に憎しみを残していることは知っています。賠償に関しての問題が続いていることは知っています。戦争によって亡くなった方々の多さを知っています。

 けれど、この映画を観るまで、私の中では「文字の知識」であり、想像することもありませんでした。私が実際に目にする戦争の記憶はあまりないからです。

 壊された建物は新しいものに生まれ変わっています。残された遺産たちは修復を終えています。戦争を体験した人たちは高齢化しています。語ることができる方々も本当に少なくなっています。

 そして、私の第二次世界大戦の知識は「日本から見た」という前提のものです。日本史で私は第二次世界大戦を学び、疑問を持たなかったから。「他の国はどういう思いを持ってこの歴史に関わるのか?」ということすら思い浮かばなかった。

 ユダヤ人たちがたくさん命を奪われて、それを外交官だった杉原千畝さんが助けた、ということくらいしか、私の知る第二次世界大戦は世界と関わりがないのです。

 ここ数年、私は世界の歴史に目を向けるようになった。「どうしてこの国たちは未だに戦争の記憶を引きずっているのか?」という疑問が湧いて、それを根本から理解するにはこの第二次世界大戦のそれぞれの国が歩んだ道、歩まされた道を知る必要があると判断したからです。

 東西ドイツの統一。ベルリンの壁。まず私はドイツの歴史に興味を持った。元から興味のある国だったし、ドイツという国は昔からあるのに、どうして分断したのだろう?ベルリンの壁とはなんだったのだろう?

 それらがきっかけ。あとドイツ領だった場所が、今はロシア領になっていることも不思議だった。

 ドイツの歴史を学ぶと、ユダヤ人のことが必ず出てきます。「ユダヤ人にとって戦争はどうだったのだろう?」と、私は思った。そのとき、ちょうど地上波で「戦場のピアニスト」が放映されると目撃して、今日にいたるわけです。

 私は「戦場のメリークリスマス」でも衝撃を受けました。私はあの3か国が1日だけ手を取り合って、サッカーをしたというクリスマスの奇跡に心を動かされました。同時に心を痛めました。戦争とはなんて酷いものなのか。人間はどうして戦争をするのか、と何度観ても問いに答えは出ません。

 さて、戦場のピアニスト。学校で歴史を学ぶ際、観た方が良いと私は思います。心にトラウマ的な衝撃を与えてしまうかもしれないけれど。

 とても繊細に描かれています。ピアノの音と共に。

 最初のユダヤ人差別でも「どうして?」と思うことがたくさんありました。道路を歩いちゃいけない。店に入ってはいけない。ベンチに座ってはいけない。

 段々と差別はひどくなって、強制収容所に行った時なんて、もう人間のすることじゃなかった。けれど、それは人間がやっていた。ユダヤ人たちをまるで動物以下のように扱うドイツ人が描かれています。命を奪うときも笑っていて、鞭で打つときも面白そう。なぜ罰するのか、という問いに「祝日だからだ」と答えるくらいに、愉快そうに。

 命を奪うことなんてゲームのひとつ。そう思わざるを得ない。気まぐれに銃殺。そんな場面すらあった。

 ピアニストが逃げて逃げて、人のつながりを使って逃げて。生にしがみつく。どんなに過酷な状況であっても、「生き延びる。」という意志を感じるシーンがたくさんありました。

 きっとこれは、日本じゃ描かれないだろうと思います。描かれたら、「武士道に反する」「潔くない」「恥だ」という評価が下されると私は思います。日本において、自分の命を一番にすることは日本の美学、美徳として外れた行為だから。私はそう耳にしました。

 日本人だって、生き延びたい人はいると思います。いたと思います。けれど、それを公開することはないだろう。それは「恥」として終わらされるだろうから。

 さて、ピアニスト。ついに人のつながりも途絶えて、最後の人が捕まって。彼は自力で逃げ出す。「本当に実話?」と疑いたくなるくらい、運が良い。それも彼の運命だったのだろうね。

 最後に行けば行くほど、街の景観も「瓦礫の山」になっていて。人が当たり前に道に死んでいて。綺麗な建物なんてなくなって。もし映像が五感を伝えるのなら、硝煙の匂いで充満するだろう、と私は思う。無音で、世界に取り残されたみたいに感じると思う。

 ピアニストが最後に見つかってしまうのだけれど、そのドイツ兵はピアノを弾けと命令して、ピアニストの奏でる音を静かに聴いていて。そのとき、彼はどう思ったのだろう。私は表情で知ることはできませんでした。この心境の変化を私が知ることができたら良かったけれど。

 そして、そのドイツ兵はピアニストを逃がし、さらには食糧すら与えて。十分な量のパンにジャム。最後、ドイツ兵が別の戦線へ向かうとき、自分のコートを手渡します。ついでにパンも。

 私はドイツ兵の戦争の終わり方を知っています。だから「ロシア兵と」という言葉が出たとき、その人の終わりが分かった。けれど、映画では先にストーリーを知らせることはありません。そのドイツ人は結末を知らずに進みます。

 ドイツ人は「すべては神にゆだねられた」という内容の話をして、ピアニストに別れを告げます。

 ここで、私は複雑な気持ちになりました。私は最初からその場面に至るまで、ドイツ兵たちに「なんて酷いことを」という感情だけを持っていました。絶対的な悪の存在として見ていました。残虐な行為しかなかったから。

 けれど、そのドイツ兵があまりにも人間的で、私は複雑な気持ちだった。なぜそのドイツ兵はユダヤ人を助けたのか。神の名を出すのなら、なぜ命を奪うのか。けれど、そのドイツ兵はドイツ兵たちの中のひとりであって、全てのドイツ兵が同じ心を持っているわけではないのかもしれない。そう考えた。「どうして?」があまりにもたくさん私の中に溢れた。

 ピアニストにも複雑な思いを持ちました。ピアニストの家族はドイツ兵に殴り殺されました。家族はドイツ兵によって引き裂かれました。友人も命を奪われました。ピアニスト自身も、ドイツ兵によって過酷な状況を生きることを強制されました。それなのに、ピアニストはそのドイツ兵に「どう感謝したらいいのか」と言った。「どうして?」しか私は思えないのです。

 ピアニストとそのドイツ兵、彼らはお互いの血と立場を抜きに、個人として向かい合っていたのかもしれない。そう私は思います。とあるピアニストと、とある兵士。ただそれだけ、お互い運命に翻弄された人間として向かい合っていたのかもしれない。

 ドイツ兵たちはその場から移動しました。ロシアと戦うため。あ、当時はソ連だけれど。

 結末はご存じの通り。歴史の通りです。ドイツはロシアに負ける。ドイツ兵はロシアの捕虜となり、強制収容です。過酷な労働によって、多くの兵士が命を失いました。

 描かれてはいないけれど、ロシアもドイツによって多くの人が命を奪われました。第二次世界大戦において、最も多くの死者を出したのはロシアです。2000万人を超えます。

 最後、ロシア兵によって拘束され、有刺鉄線の内側に家畜のように外に座らされているドイツ兵が描かれています。唾を吐かれて、罵倒されて。今まで彼らドイツ兵が、ポーランド人とユダヤ人にやってきた扱いを受けていて。

 「当然だ」とはもう私は思えなかった。ドイツ兵は酷いことをしました。けれど、それは全てのドイツ兵に言えることではない。ドイツ兵であっても、あのドイツ兵のように心を持った人もいるだろうから。そう考えると、「戦争は残酷だ」としか思えなかった。

 音楽家の話をしたロシア兵に、あのドイツ兵が話しかけ、ピアニストのことを問います。彼を助けた、彼は今、と聞いて。ロシア兵はそのドイツ兵に名前を聞こうとするけれど、叶いませんでした。結局ロシア兵はそのドイツ兵の名前を知らずに終わる。

 きっと、それから数年が経ったのでしょう。ピアニストはあのドイツ兵に言った通り、ラジオでピアノの音を流した。ロシア兵に守られた環境で。あの場面はロシアの地だろうなぁ。

 ピアニストは、最後の最後でオーケストラと共にピアノを奏でます。

 それで、終了。

 あとは字幕によって、この映画は実話であること。ピアニストは天寿を全うしたこと。あのドイツ兵は収容所で生涯を閉じたということ。それらの情報を私は知りました。

 観終わって、ただ思ったのは、「戦争は二度としてはいけない」ということ。戦争で得るものなんてない。唯一得るのは悲しみだけ。そして、犠牲になるのは一般市民、ただの国民です。武器を持たない、武器の使い方すら知らない人たちが武器を持った人によって命を奪われます。命を奪われるよりもひどいことをされます。人が傷つけられ、素晴らしい建物たち、歴史的な遺産たちも傷つけられます。何もかも私たちは戦争で失います。

 戦争による利益は確かにあります。それによって、人間は戦争を繰り返してきたから。武器を売ることで得る利益も、他国からすべてを奪うことで得る利益もあります。

 けれど、その利益の下には利益よりも尊い人の命が奪われて積み重なっています。犠牲の上に利益が成り立っています。

 この映画では、差別、戦争、勝者、敗者、友人、家族。それらすべてが詰まっています。どの国も緊張が走る今だからこそ、この最も悲劇的な戦争を思い返してほしいと私は思います。

 差別が段々と酷くなる世界になるかもしれない。そうすると、またユダヤ人の悲劇と同等のものがまた歴史に名を連ねるかもしれない。そう思うと、私は例え小さな差別であっても、今一度目を開いて正しさを見つめ直す必要があると思います。

 戦争は残酷です。人が歴史から最も学ばなければならないことです。

 この映画、本当にたくさんのことを考えさせられます。どうして人間はそこまでひどくなれるの?と何度も観ている最中に思います。けれど、私はその問いを持つことは必要なことだと思う。辛くても。悲しい気持ちになっても。

 バレンタインの日に、なんて話題…と思われるかもしれないけれど、愛を伝える日だからこそ、と私は思ったのかもしれません。どうなのかなぁ私。

 わぉ、今日は5000字超えだ!長い!

 さて、それではこれで終わり。平和は大切です。平和とは尊いものです。

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