緊急時の不利。聴覚情報処理障害。
438回目です。φです。
本日もアラームが鳴りまして、住民への放送もありまして、なんだか落ち着かない。避難されている方の心情よりはおそらくは軽いものですが、なんとも休まらないものですね。
雨の話ばかりも気落ちしてしまう方がいらっしゃるかもしれないので、本日はあえて別の話をしましょう。最初に天気の話したの私だけどさ(笑)
唐突ですが私、シーチキンが好きじゃないんですよあんまり。食べられないくらいに嫌いってわけではないし、たんぱく質取れるし、手軽だし、という理由で買っていたものがありまして。
賞味期限がやってきたのですよ。この長期保存が可能な食品でも。何年ためていたのでしょうね私よ。
と、いうことで、ここ3日連続でシーチキンdays。ひたすら食べてます(笑)
そこで思ったのが、「好きじゃないって…こういう感情か…」と、なんだか目覚めました。虚無を通り越しました。なぞの極致へ行ってしまいました。
そこまで好きなものが私はないのですが、「ああ…好きじゃないんだ…」と納得するというか、自分の感情をめちゃくちゃ離れたところから理解しているというか、とにかく客観的に自分の「好きじゃない」という感情を見まくっているわけです。無駄に面白い(笑)
こういう経験もたまには面白いなぁ、と思います。正直しばらくはやりたくないけど。しかしながら面白い。もう吹っ切れすぎて面白くなったのかもしれない。
ううむ、唐突にシーチキンの話を話題の転換にし出すって、相当参っていますね私。まぁ今日で終わりです、おめでとう私!
さて、私一人が盛り上がって、少々落ち着いたので本題に入りましょう。すっごく自己完結なさわりの部分でしたね、わぉ。
最近アラームを耳にすることが多くなりました。そんな中、私はもやっとした気持ちを持ちました。
色々なアラームや放送、報道を耳にして、私が思ったことについて書こうと思います。聴覚ってほんと、命にかかわるなぁって思う。
私は耳が全く聞こえないのではありません。音は聞こえるし、会話も一定の条件を満たせば可能です。そして所々聞こえていなくても「前後の文章的に…まぁこんな意味だろうなぁ。多分。」とさくっと処理をしていたりします。
いちいち「聞き取れなかった!なんだろう、なんて言ったのだろう?!」と反応していたら、まぁキリがないのです。生きるために「うーん、これは聞き取れなくても大丈夫そう」or「聞こえなかった、遮ってでも聞き返そう」という基準を設けております(笑)
しかしながら、人によっては「え、まったく聞き取れないこの人の声…」と、聞き返すどころじゃないときもあります。騒音のあるところでの会話だったり、その人の声音だったり、色々と。
正直に言うと、「ちゃんと聞き取れている」もしくは「ある程度聞き取れている」という方が、「まったく聞き取れていない」「少ししか聞き取れていない」よりも多くある状況なのですが。
ほっとんど穴埋め問題を解きながら、私は会話をしているような状態。多分あの言葉かな~。ふわっと要約するとこんな感じかな~、とか。時々もんのすごい大失態になりますが。
昨日通院日だったので、病院に行ったのですが、何回も「夏まつり」と聞こえていまして。先生めちゃくちゃ夏まつり気合入れるタイプかぁって思っていました。後で確認すると、「夏休みを取るから」という内容だったそう。
まぁ今回は最初の2文字合っていたから、私にしては上出来です☆
…いや、2文字合ってたけど内容丸っきり違う感じになっているから、これはアウトですね。セーフどころでもなかった(笑)
そんな聴覚を持っています私。耳はいいんですよ、最近は蚊がいる音確実に聴こえるし。嬉しくないけど。
しかしながら、耳が良くても、音を聞こえても、聞き取れないと意味がない状況があります。現在のような、「正しい情報を耳でキャッチしないといけない状況」です。
なぜか、災害時などの情報は耳だよりです。アラームだって音。放送で流れるのは音と声。ニュースだって、NHK以外では字幕すらないものがほとんどです。
スマホを確認すれば、文字があります。でも、市内に流れる放送は私はまったく聞き取れないんです。ひたすら音がけたたましく鳴り響いて、耳が若干麻痺したようになって、ということしかない。何か言っているのですが、それが何かはまったく分からない。
人の声で放送されていることは分かるのですけれども。
もしこれが、「〇〇へ避難してください」とか「危険です」とか、「××へ行かないでください」、そういった内容だったら、確実に私は助からないなぁ。聞き取れたとしても、私が逃げるか否かは分かりませんが。
テレビをつけていて、速報が流れても、私は速報の文字と共に出てきた「省略された情報」しか手に入れることができません。音声を正しく聞き取れないと、手に入れることができる情報ってほんのわずかなものになるのです。
映像と、そのニュースが速報で伝えなければならない程度のもの、ということくらいしか。テレビって多くは音声に頼っているので、文字は少ないのです。目を凝らして見たら、小さな文字で場所の名前が書いてあって。「ここの地域が危ないのかぁ。」と推測するしかないのです。
で、速報の量が多ければ多い程、その小さな文字たちが変わるのも速い。市町村の情報を見ようとしたら、もう変わっていたり。私はテレビがまぶしくて文字を読むのも、ものすごく遅い。字のスタイルが変わったら読むのも一苦労。
なんというか、パッと情報を手に入れることはほぼできていないと私は思います。ある程度の割合で、人が10秒で手に入れることができる情報だとする。そうすると、私はその情報の半分以下しか手に入れられなかったり、30秒かかっていたりするのだと思う。欠片みたいな情報から、「もしかして、こんな内容?」と推測するしかない。
緊急速報などが増えている今日この頃、私は「私、外出中スマホ持っていなくて何かあったら、どうするんだろう」と思います。誰もがバタバタしているであろう中、ゆっくりと話してくれる人はいるのだろうか。筆談などをしてくれる人はいるのだろうか。
どうしても、私は人の手を借りざるを得ません。「自分で生き抜くぜー!」という気持ちはあるけれど、その気持ちで周囲の人に、彼らの何かしらの時間を奪ってしまうかもしれないし。例えば逆方向に私が避難していたら、その逃亡している私を捕獲する人は必要になってしまうわけです。
「助けなくていいのでは?」と正直私は思います。自己責任的に。ですが、それはできないんだと思う。人の命を守るのが仕事の方はいるのです。たとえ私が自爆行為を自主的にしていても、彼らには助ける義務がある。責務があるのです。
そう考えると、私は大人しく誰かの手を借りるしかない。とにかく、誰かの時間は奪うことにはなるのだろうなぁ。
そんな「もしも」であって、ありえない話ではない状況を考えていると、本当に聴覚って生きるためには必要だと思う。そりゃもちろん、視覚も大切です。十分に働かなくても問題のない五感なんてないんです。どれも必要だから、必要な程度で働いている。
なんというか、圧倒的に不利です。聞き取れないって不利。それに音が響いてしばらく聞こえなくなるということも不利。耳鳴りっぽい症状になるんですよね。なぜかは私は分かりませんが。
災害時に、不利になる人が少しでも安心して行動できるようになってほしいものです。私はまだ避難した経験がないけれども、人には様々な体の状態があります、誰かは不安になるだろうし、不便さを感じるだろうと思う。想像だけども。
私の場合は正直「ささいな不便」程度なのだとは思うけれど、それですら「致命的」なものに変わりうると思う。
あらゆる場面で色々ある聴覚情報処理障がいだけれど、まさかこの場面でも色々ありそうだとは。きっと「聞こえるけど聞き取れない」はすぐには理解されません。どうか正しい理解が広まって、不便さや不安を感じる人が減る環境になりますように、と思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?