見出し画像

ダイバーシティとお肉券。

 335回目です。φです。

 不安な日々が続きますね。誰が正しいのか分からないし、本当に対策が合っているのか、いつまで続くのか、どこに解決の道があるのか分からない。

 「目に見えない」「予測できない」というものは、こんなにも人を恐怖に陥れます。程度は人によって異なるだろうけれど。

 とある方の発言を見て、私はそうだなぁ。と思いました。中世の頃から、私たちが「分からない」ウイルスに対してできることは変わっていないのだと。スペイン風邪、黒死病、などなど。

 どんなに文明が栄えても、科学が進んでも、手に届かない領域があるのかもしれない。それが自然の力であって、人間が知能を付けても道具を発達させても、勝つことはないんだろうなぁ。

 しみじみ思います。それだけ自然はすごい。コントロールなんてできなくて、あくまで私たち人間は自然の中に生かされる動物のひとつでしかないということを私は感じます。

 自然崇拝があるのも、私は納得します。恐れが畏れになって、崇められたんだろうなぁ。多分ね。

 自然崇拝に賛同するにしろ、否定するにしろ、自然を大切にしなければいけない、ということは人類共通だと私は思います。信じる信じないを明確にしないためには、「緑を大切に」くらいがソフトな言い方なのかな。ざっくりしているけど(笑)

 さてさて、日頃ニュースをたくさん見ています私。そんな中、びっくりするものがあったので今日は触れてみようと思う。

 ちょっとジョークで言ってみました☆みたいなことが国のお偉いさん方のお話でされているようで、正直私は笑うしかありません。いやぁ、面白い。そんな話。

 まぁそう言いつつも、面白いね、という話じゃなくてダイバーシティの話です(笑)


 ちなみに、この話題は確定ではありません。安心!

 さくっとまとめると、政府与党が「経済ピンチですね、お肉券配って経済回そうよ!」と考えているみたいよ、って話です。

 で、「和牛だけじゃなくて魚介類も消費されてないかも!お魚券も配る?」って話してるみたいよ、ってこと。

 私、最初デマかと思いました。大の大人が、国を代表する方々が集まって、そんなこと話すわけないでしょ~と思ったんです。小さな子どもが発券する「肩叩き券」じゃあるまいし。あの発想かわいいですよね。なーんて優しい心なの!と私は感動します(笑)

 しばしば、「国会の人間は金銭感覚が国民とずれている」という指摘はあります。私は賛同します。いわゆるエリートの家庭しか政治家にはなれないし、政治家の家系というものも存在する。世襲制じゃなくてもね!

 一応政治家、と私は表記するけれど、政治屋でもいいかもしれない。まぁここでは政治家、ということにします。あと、エリートと言われる道を通ってこなかった方もいらっしゃるとは思いますが、大部分は、ということで。

 で、お肉券です。喜ぶ方はいらっしゃるでしょうか…まぁいても良いとは思うけれど。和牛Loverはいるはずだし。そこは個人の趣向なので、私がどうこう言える話ではない。

 もしお肉券が配られたらどうでしょう?

 使うことができない人だっているはずです。宗教、思想、アレルギー、趣向、などなど。誰も彼もが牛肉を食べるという前提がなければ、国民全体に発券しようなんて思いつきません。公平性を持っているのなら。

 このお肉券に関して、どこまで話し合いがなされたのか分からないし、どういう方向に向かっているのか、メンバーは誰なのか、ということは不明確です。ですが、記事になってしまうくらいには話し合われたんだなぁと私は想定しています。

 ちょっとした一言でもニュースになることはあるけどね!揚げ足?ってレベルのものだって多数あるし。

 さて、お肉に追究した話はここまで。そこまで追究はしてないけど(笑)

 私は、お肉券のような発想があっても良いとは思います。人間の数だけ考えがあって、発想がある。違いがあって当然です。別の個体なのだから。

 しかしながら、この話に関して批判する人がどれだけいたのか?という辺りに疑問がある。もしこの話が通れば、多くの人がこの案を思いついた、もしくはその考えを理解し支持した、という状況があったということになります。

 批判する人の少なさは、意見が似たようなタイプの集団が検討しているという可能性が出てくると私は思います。統計学的に言うのなら、ランダムサンプリングがなされていない。無作為抽出ではない、みたいな感じ。

 つまりは、ダイバーシティな顔ぶれではない、ということです。ダイバーシティという横文字も、色々と隠してしまいそうですね。和訳すると、「多様性」。

 意味に関してはちょっと引用します。コトバンクさんより。「ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われることが多かったが、現在は性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。 企業がダイバーシティを重視する背景には、有能な人材の発掘、斬新なアイデアの喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがある。」です。

 たくさんのお偉いさんが「ダイバーシティが大切!」と言います。しかし、それは本当に実行されているのでしょうか。

 私は障がい者採用の会社説明会に参加したけれど、そこでも「ダイバーシティ」という言葉は使われていました頻繁に。

 しかしながら、「多様性ってどこのこと?」と私は感じた。不公平だー!とか、そういうことを私は訴えたいのではなくて、ただ「どこ?」って感じ。

 まぁ障がい者採用に関しては置いておいて、社会においての多様性とは本当に実行されているのでしょうか。

 例えば、政府の方々。

 最近れいわ新選組のお二人が話題になりましたね。障がいを持っている方にとって、大きな助けになる視点からの意見が出されるのでは?と期待される方々だと私は思います。

 女性議員の方々は、他の平等に関して先陣を切っている国々と比較すると明らかに少ない。

 構成する人間を割合にしたら、おそらく偏ったものになるでしょう。その顔ぶれで、すべての国民への政策が考えられている。本当に、それは国民が納得する内容になるのでしょうか?

 貧困にあえぐ方の視点が分からない。障がいで生きづらい方の視点が分からない。専業主婦の、シングルマザーの、家庭に悩む人の、たくさんの人の視点が分からない。なぜなら、そういった視点を持つ人がその場にいないから。そして、その人たちとの触れ合いがないから。

 意見を聞く、知る。そういった受動的な知り方では、知ることができない範囲が存在します。自分で体験して、同じ状況にならなければ、人はなかなか理解することはできません。だからこそ、「他人事」という言葉があるのだと私は思っています。

 しかしながら、すべての人の視点を手に入れることはできない。どうやっても人には主観的なものがあるのだし、視点があればあるほど聡明になるか?といったら、それは確かな答えを持たないと私は思います。

 ひとりの人がいくつもの視点を持つことも良いけれど、たくさんの人がいくつかの視点を持っている方が効率が良い。各々の持っている背景によって見る視点も変われば、経験によっても変わる。色々な人がいて、色々な意見があって、ひとつの決定にしても多くの試行錯誤がなされ、より良い答えを導き出すことができるのだと思う。誰かが見えなかった面を誰かが見つけて、誰かが正しいと思ったことを誰かが指摘して。そうやって広がっていくのだと思う。ひとつの決定が。

 偏らないためにも、多様性は大事なのです。ダイバーシティが推奨される根本だと、私は思います。

 心理学で、「リスキーシフト」という言葉があります。

 似たような価値観を持った人たちが集まって話したら、「それいいんじゃない!やっちゃおうよ!」「そうだそうだ!」となって、外野の人から見たら「え、それ本当に良いことだと思っているの?!」とびっくりするような決定がなされてしまう、ということ。

 すごく分かりやすいサイトさんがあったので、拝借。

 リスキーシフト(risky shift)とは、普段は慎重に判断をし、節度ある行動がとれる人が、集団で判断することで、より危険でリスクの高い決断を容易にすることです。

 なーんというか、まぁ私の個人的な意見だけど、どうもこれが起こっているような気がしてなりません。国のお偉いさん。

 集団内でも力や権力を持った人が強ければ強い程、他のメンバーは批判しにくくなる。賛同しなくてはならない、ってことにもなるので、メンバー内では対等の関係があるべきだと思います。ダイバーシティで、かつ対等な関係。これが、大切なのだと思う。

 今回の「和牛券☆お肉券☆お魚券☆」というフレッシュすぎる記事を読んで、ダイバーシティについて詳しく自分で勉強できるきっかけを得ました。いっそありがとうって感じです。

 ダイバーシティ、多様性は軽んじられてよいものでしょうか?大きな決定をする場面において、この概念が忘れ去られて良いのでしょうか?それで、誰もが納得する決定がなされるのでしょうか?

 まとまりがある集団の方が、決定に至るまでの工程は踏まなくて済みます。反対意見が出ないのだから。でも、それでいいのかなぁ、と私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?