見出し画像

聴覚の困難と無声アニメ。

588回目です。φです。

ふとしたときに、「だから私の発達障害って分からなかったんだ今まで」と思うことがあります。今日もひとつ発見。

いくつ発見しても、何かが変わるわけじゃない。解決策が見つかるわけでもない。ただ分かるだけ。

それでもなんだか腑に落ちるし、面白いとも思える。意味もないし役に立たないけど必要なもの。私にとって、私と発達障害のあれそれを考えることは楽しいことなのです。

さて、今日見つけたことについて、つらつらと書いていこうと思う。なんというか、色々な偶然って起こるもののようですね。


私はアメリカで育ちました。0歳から3歳まで。脳の発達に必要だと言われ、脳のニューロンの形成のための刈込が行われる辺り。この時期に脳が「これは必要な能力!」と思った分野の神経を発達させて、「これはいらないかな」と思った分野の神経を発達させなくする。そうやって人間の脳は環境にあったものになるのだそう。

これは私が学生の頃に学んだことで、もしかしたら今最先端の研究では異なった結果になっているのかもしれない。このnoteを書いたあと、私は論文でも漁ってこようと思います。論文ってややこしいけれど、新しい何かを教えてくれる。知識の海のようなものです。深海すぎるけど(笑)

そうそう、3歳までの食生活で好みとかも決定されるのだとか。私はアメリカのもので育ったからか、日本のものとの相性が未だに悪い。私のsiblingは日本で3歳まで育ってからのアメリカだったので、和食LOVERで食事が大変だったのだとか。

今でこそ違うだろうけれど、当時のアメリカで和食は珍しいもので。チャイナタウンとかでそれっぽいものを見つけて、手作りで和食…というスタイルだったようです。私はちびっこなので、離乳食。アメリカの離乳食やドリンクで育ちました。あとお菓子。カラフルで食べたら舌の色が変わる感じの(笑)

面白いですよね、育った環境でこんなに違うなんて。

さて本題に移ります。当時のアメリカのテレビ番組で私は脳を動かしていました。何を観ていたかって、そりゃディズニーですよ。ディズニーチャンネルを取っていたようで、ひたすら流れるディズニーを観ていました。

あとはワーナーマイカル。バックスバニーとかのあれです。

siblingは日本にいた祖父母に送ってもらって、アンパンマン・しまじろう、を観ていたようです。余談ですが私は全く興味がなかったようで、今でもキャラクターはアンパンマン、食パンマン、カレーパン(?)、メロンパンナちゃんくらいしか知りません。しまじろうはしまじろう、オウムっぽいの、うさぎっぽいの、しか…これも不確かです。合ってるかな?

私が観ていたディズニー・ワーナーマイカル。これらのキャラクター、しゃべりません。鳴き声っぽいのはあるけれど、言葉を話すことはない。動作や特定の表現で感情やストーリーを明確にします。言語不要。

おそらく、これが私の聴覚情報処理障害や聴覚過敏を気づかせることがなかったのだと思う。”言葉を聴きとれていいなくても”問題がないからです。

思い返せば、私は現在でもアニメのキャラクターたちが何を話しているのか理解できないことがあります。サザエさんをこの前目にしたのですが、なんだかよく分からなかった。聞き取れない箇所がたくさんだし、なんだか分からない。「どうして?」「何を言ってる?」が積もりまくっていました私の脳内に。

他にも、幼い頃。siblingが好きだったのでポケモンや名探偵コナンの映画やアニメを観たのですが、いまいち理解していませんでした。しかしながら興味もそこまでなかったので、「まぁいっか」くらいの気持ち。なんて高すぎるスルースキルでしょう、私よ。

だからこそキャラクターのセリフが分かっていなくても、「分かんないけど、まぁしゃべってるなぁ」くらいで終わっていた。しゃべっている内容を気にすることもなかったし。

それに、アメリカでは私は野生児の自由人だったので、呼びかけられても自分の気分次第で許されていました。「本人楽しそうだから良し!子どもはのびのびと!」スタイルのアメリカでした。ちなみに私は気分が乗らないとき「こっちに来て!」という言葉に対しても真逆の道を突っ走っていました。それでも怒らない、それがアメリカ。個性とか本能とかで許しちゃう国、アメリカ。

現状は分かりませんが、当時のままだとすると発達障害で私に似た特徴を持つ方にはアメリカはおすすめかもしれません。個性で済まされちゃいます。良くも悪くも(笑)

そう、振り返ってみれば、日本の子どもが観る教育用のアニメ(アンパンマンとかしまじろう)を観ずに無声アニメを観て育ったから、聴覚への特徴が目立たなかった。だから発達障害だとか云々は分からなかった。

自由にしまくっていても許された。本人が望むように、スタイルだったから、誰もがそのスタイルで生きていて、他の興味が全くなくても目立たなかった。だから発達障害と分からなかった。

そういった要因が複雑に絡まり合って、つい最近まで私は何事もなく生きてきたのだろう、発達障害だなんてさっぱり、という具合に生きてこれたのだろうと思う。さらに中高大はミッションスクールですし。アメリカ的な自由さがある学校でしたし。

人間、複雑な要因があって、色々な選択肢があって、偶然の選択でなんだか成り立って、今も自分の道を歩いているのだと思う。とは言っても、私の「だから発達障害って分からなかったんだ!」には不思議なことがありすぎて、今でも発見しては面白さに笑ってしまいます。人生は本当に面白い。何が起こるのか、何が起こって今があるのかを考えるだけで「そんなこと悩んでても意味ないかもね!」と思えちゃう。

今日は私が改めて発見した、「無声アニメで生きていたから聴覚についてのことが分からなかった」は面白過ぎました。私にとって。

これからも面白い発見があったら、自分の記録として書いていこうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?