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会話の工夫。

 359回目です。φです。

 さて、最近自宅での会話で困っていることが私にはあります。「さすが私だ…」と思わざるを得ない感じのお困りごと。

 なんでも「言葉より行動すべし!」な点。なんだかんだ言っても、実行するか否かが重要だよね、って会話とか。

 私は無言で黙々と「自分がやりたい」と思ったことはやるし、言葉で飾るよりも実際に行動を見て判断して!と思うタイプです。職人タイプ、なんて言われることがあります(笑)

 背中で語ってる、なんて言われたこともありますねぇ。小学生くらいの頃だったっけ。どんな小学生だよ。私だけど。

 「背中で語っている」を詳しく知らなかった私、「語れる背中になりたい、そうだ筋トレしよう」になりまして、背中の筋トレしまくった時期がありまして…まぁそれからハマって、今も続けています背中へのアプローチが熱烈過ぎる筋トレ。勇ましすぎると評判の私の背中です(笑)

 あ、ちなみに背中ばかり鍛えることはおすすめしません!私はピラティスの講師から「背中の筋肉強すぎてバランス悪い」と言われたし、自覚もあるので…背中とお腹周り、バランスよく鍛えましょうね~。反った背中は一見「姿勢が良い」と思われますが、実は良くないのです。

 筋トレはおいておいて、私のsiblingからは「武で語れスタイル」と言われる私。あ、ゲームで出てくる本田忠勝さんの言葉らしいです。武将に例えられる日が来るなんて…よし筋トレもっとやろう。コロナ明けにはむっきむきになろう(笑)

 武で語れスタイルの私、日常会話では困るのです。会話レベルをすっ飛ばそうとするから。まったりとした「何気ないひと時」の会話が苦手、というのでしょうか。あの「そうだね~」や「へー」、「そういえば昨日…」が適切な場面に出てくる系の会話?

 こう表現するのは好きではないのですが、「女子会の会話」と言った方が伝わるのでしょうか。chat、でもいいかなぁ。「重要性がないが、コミュニケーションの一環として用いられることの多い会話。立ち話。」、そんな定義がありそうな会話。多分。

 さてさて、今日はそれについて書いていこう。苦手な人もいると思うのです。個人的に。


 私は話を通して感情を共有するのがそこまで得意じゃないというか、なんというか…いわゆる「雑談」が苦手なんですよね。ちょっとしたことの感想を言うのが不得意。

 そういえば、私は「あれってどうだろう?やってみるか悩む。」という人に対しては「悩むくらいならやれば?」という返事しかできないんですよね。色々と人間観察をしたので、「Pros&Cons伝えて、あとは君次第さ!が最適」ということは学習したけれども(笑)

 ううむ、Pros&Consってなんて訳せばいいのだろう。長所と短所?良い点と悪い点?まぁざっくりそんなイメージで読んでください。

 それらを伝えてからも渋られると、なんというか、私の「お返事特集~日常会話編~」の辞書のネタが尽きちゃう。尽きた私はもう「やれ。以上。」しか言わなくなるのです。万策尽きた、という感じ。

 しかしながら、「話の共有」を会話に求める人にとって、私の対応は求めているものとは違う。だから私は共感の言葉を相手に伝えるだけ、という方法を取ります。

 人って会話に求めるものが違って、大きく分類すると2種類。「共感」を求めるか、「解決」を求めるか。事務的な場面だと「報告」もあるけれども、これはコミュニケーションとは異なる状況だから放置。

 この会話に求めるもの、男女差があるのです。心理学的に。

 今のご時世、「男女差なんて差別!」と言う方もいらっしゃるとは思います。私も男女は平等であるべきだと思っています。お互いに尊敬して、尊重して、助け合うべきであって、優位云々を考えるべきではないと思う。

 私の考えは置いておいて、男女差があるのは当然だと私は思っています。会話において。なぜなら男女で脳の構造だって違うのです。脳梁の違いでマルチタスクが得意化不得意かも変わってくる。

 しかも、昔からの役割というか、動物の本能的に違うものがあるのです。なので、会話で求めるものが違うのは当然だとも言える。

 こんな本がありまして…

 ちょっと前に有名になりました?私は本屋さんで棚にババーン☆と主張していたこの本を知っています。結構前の記憶。

 あ、会話に男女差はあるけれど、同時に「個人差」も存在します!「じゃあ男女差なんて言えないでしょ!」と思われるかもしれないけれども、それは生物学的な差があって、という説明で解決できると思う。あと脳の構造。脳はすべての人間が同じ構造ではないのです。若干の違いは存在する。

 差について語るのは難しいものです。差とは何か、基準とは何かと絶対的なものを探さないといけないから。

 まぁ、「自分は性別と考えが合わない…そんな会話嫌だ!」と思う方がいても、それはそれで良いのです。自分が好きな方を選べばいい。そして、誰かの好きな会話として、自分の好きな会話ではない方を知って、理解する。それが理想だと私は思います。

 私は心理学の授業でこの会話の違いを知って、会話に求めるものの対立する意見の両方を学びました。理解しようと努めまして…努めないと「武で語れ!」になっちゃうからね!(笑)

 私のこの雑談の苦手さ、もしかしたら性格以外にも関わってくるかもしれないのです。

 発達障害の方は雑談が苦手、と言われます。これも個人差があるので、「みんな苦手」というわけではない。得意な人、苦手だけど興味はある人、などなど。割合としては苦手だと感じる人が多いのだろうけれども。

 「雑談苦手→じゃあ発達障害?」でもない。ここ大事。

 雑談が苦手、という方はいくつか「日常会話リスト」「日常会話~返事編~」「日常会話~話題編~」などなどのメモを頭の中に収納しておくことをおすすめします。めちゃくちゃ綺麗に整えておかなくても大丈夫。ただパッと取り出せる位置に収納して、内容見返すことができるくらいには管理してあげてね(笑)

 そして、「この会話、無駄!」と思っても「この人はこの会話が好きなんだーへー」とゆるって考える。自分へのストレスによるダメージを減らすのです…!

 私の「やれ。以上。」は万策尽きたときだけなので、そして特定の人に発動されるので、決してみなさん参考にしないでください。心の中で思うのは自由だけどさ(笑)

 好きなことについて語るのは好き。解決するための会話も好き。でも日常会話、ありきたりな会話が苦手。そんな私ですが、色々と工夫しています。会話に工夫するって、と時々思うけれども、その工夫を楽しむと楽しくなるものです。なんでも楽しむ!皮肉であっても心からの笑いであっても、笑えば同じです!…多分。

 会話に関してお悩みの方、参考になるかならないかの判断はお任せしますが、やってみる価値はあると思います。私の方法。何かが起こっても私は保証しませんが(笑)

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