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「男/女なんだから、」って何でしょう?

 394回目です。φです。

 今日は突然降った大雨に驚きましたが、久しぶりに雨の香りを楽しみました。大雨と小雨じゃあ違いますよね。香り。

 噂によると、都会の人に「雨の匂いがしてきた」と言っても通じないとか、なんとか。実際のところ、どうなんでしょうね?私は野生児なので、雨が降る前から気配を察します(笑)

 まぁ傘差しませんが。酸性雨だろうが何だろうが、雨に濡れたいときはあるのです!全身で雨を楽しみたいときってあるでしょ?…ないかなぁ。

 服と自分は洗えばいいや、と思うのですよ。バッグがあるときはバッグだけ死守します私。バッグ大事。

 さてさて、今日は個人的に気になる「どうして性別で分ける?」と思うことについて書いていこうと思います。性別関係ないよねぇ。


 私は今考えてみると、そして今もですがかーなーり、性別にこだわる(?)家です。なんというか、古い概念というか。LGBT+Qとか知らないんだろうなぁという感じ。知っていても偏見だろうなぁ。

 髪の長い男性、髪の短い女性、服の配色。色々と「見てよあの人、〇〇」という具合に、とにかく性別にこだわる。まず人物の説明には「性別・年齢・見た目」がついてくるくらい。

 私は個人の情報とかいらないから、行動や話すときに必要になるものだけ話してもらえれば十分、だと思っています。なので私の3人称って「人」なんですよね基本(笑)

 例えば、「1人歩いていて、その人がつれていたのが私の好きなボルゾイだった。強奪しようかと思った可愛すぎた。」とかです。私の話す始まりって。

 話に性別や年齢、外見情報が必ずしも必要なときってあまりないと私は思っています。知っている人なら名前出すし、知らない人ならその人の注目すべき点だけ挙げればいいじゃない。年齢って行動にすごーく関わるってわけじゃないし。例外もあるけれども。

 さて、私が現在気になって仕方がない言葉。「女の子なんだから、傷つかないようにしないと」です。昔っから言われていて、もはや子じゃないと十分に言える私にもまだ言い続けています。

 私自身、まぁ怪我ばかりの人間なので…未だにはっきり見えるような傷もあるし、薄っすら見える程度になってきた傷もあります。えぐれた部分は治らないので、見た目としては悪い部分が私にはあります。あり過ぎて気になっていませんが(笑)

 唯一気になっているのは、膝の盛大な傷。自転車で自爆して、宙を舞いながらすっ転んで、道路渋滞を起こして、お気に入りのジーパン破いて血塗れで泣く泣く捨てて、長くお世話になっている皮膚科の先生が「痛い!何これ!」とドン引きするくらいえぐっちゃって、皮膚ができて肉が盛り上がっただけマシかぁ、という状態な傷。ほんとやらかしました。

 明らかにグロテスクなのですよ…「気持ち悪い」と言われたこともあって、「まぁ確かに」と私も納得レベルなので気になってます。膝出さないから別にいいのだけれども。

 この傷について問われたとき、私は大体「九州の形に似てるでしょ!」と言うだけにしています。めちゃくちゃ形が九州なんですよ(笑)

 そういえば、私のsiblingも似たような傷があって、あっちは何回もすっ転んで完成しちゃった傷。7回くらい転んでましたね…siblingは私よりも気にしていていたようです。今はどうなんだろう。気にしてそう。

 そんなすっ転んだ傷もあれば、入院中の留置針の痕もある。これも驚かれるけれども、消えないんですよね、地味に。色の変色が地味にあります。とにかく地味。

 そういう私なので、事あるごとに言われました、そして言われています。「女の子なんだから、傷つかないようにしないと」

 ですが、これって男女差別じゃない?と思います。どうでしょう。

 傷があった方が良い!という性別なんてないし、傷によって隔てられる性別なんてないんですよ。私はそう思う。人間誰だって傷がある方が云々、とかないですよ。

 ちょっと前の時代なら「名誉の傷だ!戦いの証だ!」とかあるのかもしれないけれども。残念ですが現在そんな戦闘行為はないので、名誉の傷なんて存在しないと思う。多分。ないよね?

 もしかしたら、誰かを守ったことで残った傷はあるかもしれない。それは名誉の傷に該当するかもしれない。

 しかしながら、そこに「男だから名誉の傷」も「女だから名誉の傷」もない。傷がついて価値が上がることも、価値が下がることもない。傷は傷です。それ以上でもそれ以下でもない。

 「女の子なんだから、傷つかないようにしないと」、に対して、「じゃあ男の子なら良いの?」と聞いたことが実は私あります。結構小さいときだったかなぁ。

 さくっと言うと、結論はYESでした。なんで。未だに納得できない。

 生物学的に男・女と分けるかもしれないけれど、そこに皮膚の違いはないし、回復力にも差はない。個人差はあるけれども。筋力の違いなどはあるけれど、その筋力でさえも個人差です。こちらの性別なら皮膚が完全に強い!なんてないと私は思います。

 「やんちゃしない。女の子でしょ」も「男の子なんだからしっかりしないと」も、私は異議を唱えます。やんちゃなのも、しっかりしないといけない性格なのも、性別なんて関係ないのです。個性です。性別で分ける必要なんてない。

 私は公平でありたいと思うし、差別はしない人でありたいと思う。色んな人を理解したいと思う。ですが、私はどこかで差別する偏見を持っていると私自身を思います。完全に公平な人間だと言えません。私も誰かを無意識に差別していると思う。意図的ではないにしても。

 ですが、そんな私でも分かる「それって男女差別」な言葉が、少しでも見直しの機会を与えられて、少なくなっていって、誰もが一言に傷つくことがなくなるといいなぁと思う。きっかけがあっても、それが見直しになるかどうかは誰も分からないし、そのきっかけによってより偏見にさらされる可能性だってある。きっかけが全て良い方向に向かせるのではないと私は思う。

 日本は男女差別が問題になっています。世界的に見ても、この人間を2つに分けたことに関するランキングでは常に下位です。そんなランキングで見なくとも、かなり差別があることが日常的に分かってしまいます。残念ですが。

 男、女、どっちでもいいし、どっちでなくてもいいじゃない。要するに人間でしょ?、と私は思う。性別よりも個人の名前、個人の心さえあればいいと私は思う。…というのも、正直個人の心以外には興味がないのかもしれない。名前だって、本人が「〇〇って呼んで」と言えばその名前で私はその人を認識する。顔は覚えられないけどさ(笑)

 名前だって自分の性別を縛る要因になったりもするかもしれないし。だったら、自分の好きな名前を自分につけてもいいじゃない。公式な、自分の名前が必須なとき以外は自由だと思う。

 自分らしく生きるって難しい。なんでも選択肢があって、それから反れるとなんだかんだ言われたりもする。それに立ち向かえる人もいれば、難しい人もいる。だからこそ、自分らしく生きることが誰にも簡単な社会になってほしいと私は思います。「これが私!」と胸張って言えるって素敵じゃないですか?

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