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「守破離」と心。

 388回目です。φです。

 私の部屋に鎮座している刀たちを見て、改めて「好きだなぁ…」と思いました。部屋に刀あるってどういう人?!と思われるかもですが(笑)

 居合刀なので、刃は潰してあります。とは言っても、十分に刺せるくらい鋭いんですけれども。手の甲をスパッとやってしまったことがあるのですが、「なんて切れ味の良い…!」と感動したものです。さすが日本刀。

 そんなこんなで、少しばかり刀に思いを馳せますね~。

 私は居合道を中学生から習い始めて、高校まで毎週通っていました。大学になったとき、道場が使えなくなってしまって、兄弟子たちが忙しくなっちゃって、私も色々あって未だに「所属だけしている」状態です。

 ご高齢な方々が上層部なので、復帰のめどが立ったときにトップの方がお亡くなりになってしまったり。

 あの頃の経験が、今の私にかなり影響を及ぼしていると私は思っています。ほんと、たっくさんのことを教えてもらいました。言葉でだけでなく、居合を通して教わったこと。背中を見て教わったこと。たっくさん。

 私がずっと心に留めるようになったこと。それは「守破離」というものです。武道を嗜んだことのある方はご存じかも。

 それについて、書いていこうかなぁ。


 守破離。さくっと言うと、「最初は教えを守る。自分風にアレンジしてみる。自分の技として確立する」みたいな。

 正しい定義はこちらのようです。Wikipediaさんより。

 「もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

 あ、なんか私さくっと言い過ぎましたね(笑)

 中学生の頃、これを私はまず教わりました。最初は忠実に、お手本通りに。それが身についてきたら、自分らしさを加える。自然と加わってくるものでもある。

 それからの道のりは長いよ!と明るく言ってくれた先生。師範、の方が正しいかな。私は先生と呼んでいるけれども。

 もう他の記憶なんて忘れてしまったものも多いのに、この言葉だけは鮮明に覚えています。「守破離って知ってる?」から始まって、終始にこにこと教えてくれた先生。

 それから、いまいちよく分からなかった私は「基本に忠実に」をとにかく守りました。ずっと素振りの練習をして、基本の摺り足も練習して、必ず刀の軌道を確認して。実は素振りと摺り足、未だに欠かさずしています。

 唯一やらなかったのは、旅行に行ったときだけ!さすがにフィンランドにも、他の国内旅行にも木刀や居合刀を持ち運ぶことは控えました。摺り足はやってましたけどね(笑)

 最初に「守破離」を教えてもらってから、もう十年以上経ちました。それでも、私は何事も守破離を忘れずにやっているようです。結構無意識に!

 基礎、土台をしっかり作ってから。

 なんでも最初にこう思うようになっています。基本失くして応用無し!私は意外に、そこは真面目にやっているわけです。あら意外(笑)

 私は中学生の頃、まぁ大変でした。多分。覚えてないけど。

 摂食障害で色々ピンチでしたね。精神的にも肉体的にも。体重半減したもの!ピンチですよ(笑)

 それでも、あのときを支えてくれた兄弟子たちです。直接的に言葉をかけたわけではないけれど、本当に優しい空間をくれた。どの大人よりもかっこいい大人たちでした。優しい大人たちでした。居合云々を抜きにしても、本当に尊敬しています。もうお亡くなりになった方もいますが。

 大変な時期を刀と生きて、刀を愛する人たちと生きて、教わって。生きるとは何か、も教えてもらったように思えます。たくさんの人生を聞いた。たくさんの心を聞いた。

 刀と生きました!今でも支えです!なーんて、何時代だよ、と私でも思うけれど。まぁ事実なんですよね。私の部屋には2本の刀があるし、落ち着きたいときは刀握りますよ。柄を握ると落ち着くんですよ~見た目物騒と言われますが(笑)

 あ、余談ですが私に刀を語らせると長いです。ちょっと前から「刀剣乱舞」というゲーム?アプリって言うのかな?が流行っていますが、私はすごく嬉しい。刀に興味を持ってくれる方々の年代層が広がったこと、そして新しい価値を見つけてくれたこと。伝統はずっと同じでは続かないのです。現代と調和して、本質を損なわずに続くことが伝統だと私は思います。

 正直なところ、刀剣乱舞にはびっくりしましたね!刀があんなかっこいいお兄さんたちになるなんて!小さい子もいましたね。短刀だったのかな?

 ゲームを作ろうと最初に思った方も、「イラスト描いて」と言われて刀からイラストを考えることができる方も、ストーリーを作った方も、本当に発想力が素晴らしいと思います。おかげさまで刀たちが身近になっているようです。嬉しい。きっと喜んでいます。多分。

 私はストーリーを持った刀が好きです。まぁ刀だけではなく、何事にもですが。今目の前にあるものが、自分が目に見ることができない、自分が生きていない時代を経て存在している、そしておそらく今後も存在し続ける。ってロマンじゃないですか?

 人が作り、人が使い、人が守り続けて、人から人へ渡されて、今がある。ほんと、奇跡の連続です。奇跡か、偶然か。どちらかは分からないけれど。

 ここの歴史の価値があると思うんです。…あ、長くなりそう。終わり!(笑)

 刀剣乱舞にハマっている方がいらっしゃいましたら、一言言わせてありがとうございます!もっと好きになって、盛り上げてくださいねー!

 ええと、守破離でしたね。忘れそうでした(笑)

 守破離は修行するものの思想のひとつだけれど、修行という枠だけではなく知っていてほしいな、と私は思います。

 例えば、自分の憧れの対象がいたとしましょう。まずはその人の真似をしてみる。私の場合では語学学習。素敵だと思った方の言い回しや単語の使い方をとにかく真似してみる。

 ずっと真似していく、使っていくうちに、自分にとって心地の良い単語や使い回しを身に付ける。なんとなーく、「これが私には使いやすいなぁ」とかあります。「これは自分にとっては使い勝手が悪い」ものもある。

 そして段々と自分のものが増えていく、というプロセス。守破離とは完全一致するものではないかもしれないけれど、ニュアンス的にはこんな感じじゃないかなぁ(笑)

 あ、基本的な文法や単語云々は最初にしっかりとやって、の前提がありますね…。例としては微妙だったかな…。まぁいっか。

 話を戻して、「最初に余計なことはしない。シンプルに基礎を忠実に。」、これを意識できるようになったのは、居合道で守破離を教わったからこそだと私は思う。

 武道って堅苦しそうだし、道場って怖い、とか思われそうですが、私としては一度は体験してみてほしいな、と思います。心と向かい合うことができると私は思う。

 ううむ、書いていたらまた道場通いたくなってきた。落ち着いた頃に再開したいものです。

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