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「坊ちゃん」を読んで。
393回目です。φです。
昨日半分まで読み終えた夏目漱石著の「坊ちゃん」、読破です。有名な本だし、量的に多いのかなぁと思っていたけれど、読みやすいし短かった!
私は道後温泉に行ったことがあって、旅館に泊まって「マドンナになろう」的な着物を着ました。矢羽模様の、落ち着いた赤と白の着物に、確か袴は緑。この経験で、袴好きになったんですよね~私。
当時の私としては、「マドンナって誰」でしたが…小学生の頃だったし、ひたすら「坊ちゃん団子」で楽しんでいました。あの色合い可愛いですよね~日本って感じ(笑)
私は歴史や古典的な文学を学んで、「行って、見てみたい」と思うことが多々あります。どれもこれも、多分小学生の頃には行ったことがある場所なのですが、きっと今行ったら別の視点で見ることができるだろうし、得るものも倍増すると思います。行きたいなぁ。
先入観なし、予備知識なしでも、得るものはたくさんあります。純粋な「面白い!」「好き!」に出会えます。けれど、知識を持って、目的を持っていくのも面白い。ひとつひとつの場所を確認できたり、自分の中の物語を完成させることにもつながります。
2回くらい行ったら、私的にはちょうどいいのかもしれない。まぁ、旅って色々と大事ですよね。あらゆるものを広げることができる。自分の視点であったり、価値観であったり、物理的な距離であったり。そこで関わる人との関係だって、広がるものです。
さて、今日は著作権が切れた系の本を読んで、私が思ったことについて書こうかなぁ。古い本にこそ、綺麗な日本語って詰まっているよね、って話。
今の本は、当然ですが現代語で書かれています。現代を映した本とかね。タイムトリップ系だったら武士な言葉遣いの人とか、商人系とか、色々あるとは思うけれども。大体は所謂「話し言葉」です。現代の。
私は…ううむ、あれはライトノベルだったっけ。新聞で「話題の小説!」と書かれていたのを見て、ちょっと興味あったので買いました以前。
会話文の中に、「マジで」とか、「スマホで」とか書かれてあったことにちょっとびっくりしました。私って現代の本読まないんだな~と思った(笑)
日本の小説で最後に私が読んだのは、歴史上の人物の伝記やSFもの。現代とはかけ離れたものを読んでいたとも言えますね。過去と未来。100年以上かけ離れていることになるのかなぁ。
当然ながら、関ヶ原の合戦にはスマホは出てこないし、SFにはスマホ以上のものが出てきます。関が原にスマホあったらどうなってたんだろ。ちょっと面白い(笑)
まぁ、こんな感じに本を選んでいたので、私は現代を描く作品は苦手、とも言えるのかもしれない。びっくりするというか、現代語についていけない。高校生の頃から、周りの子たちが使う単語は「え、何語?」状態でしたから!
話を戻して、夏目漱石著の「坊ちゃん」。1906年に書かれたものです。114年前ですね。
夏目漱石の本によって、今も使われている言葉は多いのだとか。当て字も漱石が作ったものだった、と私は耳にしたことがあります。「五月蠅い」は確か彼が発祥ですよね。…多分。
「坊ちゃん」を読んでいると、今では使われないし、使われたとしても「古めかしい」と言われる言葉や表現がたくさん出てきます。言葉遣いだって現代とは違う。読めるけれど、理解はできるけれど、時代劇風に感じる、って感じでしょうか。
この本を読んでいて、私は「現代の話し言葉って、外来語なしにしゃべることってできるんだろうか?」と思いました。どんなときにもカタカナって入っているように思える。一言二言は完全に日本語で構成されているかもしれないけれど、ちょっと長めの言葉になると外来語を使っていると私は思います。
グローバル社会だからこそ、外国とのつながりが強くなって、感覚や物、概念が彼らの言葉を借用せずにはいられないのかもしれない。私は「アイデンティティ」とかはグローバルなこの時代だから存在するんだろうなぁと思います。
この言葉、翻訳すると「自己同一性・自我同一性」だけど、なんとも分かりにくい表現です。具体例を挙げられると納得できるけれど、日本語を見てもピンとこない。
私の意見ですが、それは概念を思考する過程が、基盤が異なるからこそ日本語には一致する言葉がなくて、なんとかかんとかして生み出したのが「自己同一性・自我同一性」なのだと思う。優れている劣っているとかじゃなくて、基盤が違うからこそ借用した方が良かった言葉、というか。
それ以外にも、単純に物を伝えるときにそのままの言葉で言った方が分かりやすいものってある。みなさんに質問。「パン」って日本語だと何ていうかご存じ?
昔の記録によると、当時は「餡なし饅頭」だったとか!急に「餡なし饅頭買ってきて」って言われても、「何それ?」になりますよね(笑)
言葉を拝借した方が、分かりやすいものもあるのです。カタカナを多用するのも伝わらないけれど、このご時世に完全に日本語だけにするのも難しくなる。匙加減って難しい。
さて、坊ちゃんは明治時代です。大正のひとつ前、欧米化が進んでいる頃かなぁ。私はこの時代が好きです。和洋折衷な感じ、というか。和と洋の混ざり方が私はすごく好き。
そんな明治時代、外来語もあるけれども日本語メインな感じです。なんというか、すごく「日本語って深いなぁ」と思わされます。音の滑らかさがあるというか、奥ゆかしい何かがあるというか。
分からない言葉があって、辞書で引いても「え、それ言葉にしなくても良いような…?」とか「細かい!細かすぎる!」とか。ちょっとは思うことがあるけれども(笑)
今ではなかなかお目にかからない漢字も出てきて、漢字マニアな私としてはわくわくが止まらない。私は漢字が好きで、だから漢文で満点取って自己満足していたような人です。モチベーションは漢字への愛ですね!漢字ってぐちゃっとしていて面白いと私は思います。縦と横、斜めの線がいくつもあって、漢字になっている。不思議です。しかも一文字で意味がある。アルファベットにはない価値というか。
漢字、言葉、好きなんですよ私…語ったら長いと自覚があります(笑)
現代の言葉が、一昔前の言葉に比べて劣っているとは私は思いません。現代でも続いている言葉はあるし、現代だからこそ生み出された言葉がある。どの時代だって、言葉は文化、時代を表していて面白いのです。
ですが、今回古典的な文学作品を読んで、改めて古い日本の言葉に込められた美しさを実感しました。残していきたいな、と思う言葉がたくさん。風流だ、と言うのでしょうか。響きと文字の形、意味、全てが整っていて、それでいて自然で美しい。
使い分けができる人になりたいな、と私は思います。せっかく生まれてきた言葉たちです。大切に守っていきたいし、受け継がれていってほしい。途絶えないでほしい。
時代背景は全く現在とは違いますが、それでも魅力が詰まっていて、描かれている人間は今でもいそうです。ぜひぜひ読んでほしいな、と思います。古典文学たち。
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