セルフプロデュース。
675回目です。φです。
先日に続き、今回も声について、そして声から派生したことについて書いていこうと思います。
先日の私のnoteはこちらです。正直読まなくても良いです(笑)
私はこの本を読んで、”セルフプロデュース”が不足しているような気がするな、と思いました改めて。
私はそれなりに意識してるような気がします。自分の印象はこうでありたい、と思うシーンには、それなりに意識して洋服を選んだり、話し方を変えたり、声もちょっとアレンジしたり。身のこなしもね。
そのためには、自分を知ることが必要。自分のどの部分を生かしたものを選ぶか、も重要。意見を述べることが確実で、なめられて負けられないというような場面、隙がないような印象を与えたい。洋服だってかっちりしたものを選ぶし、しぐさだって重要です。話し方も。けれど”必死です~”ではなくて、余裕な様子にする。
私がこの「絶対になめられないように!」と意識したのは、契約系ですね。車やアパートの。すーぐ「はい年下で女性」と見なす人は一定数いますし。人によるけどね。あのときはボイスレコーダーも取ってたなぁ…やるときはやるんですよ私…(笑)
まぁ、別にどの瞬間も私が意識して印象操作に努めているわけではありません。親しい人と会うときは「これが!私!」なスタイルですし。好きなようにしてます(笑)
けれど、なんとなく”自分の魅力や印象を把握していない人”は多いような印象です。社会全体に。
別に「どうしてそうなった!」という謎はない。なぜって、日本社会全体が個性を認めないから。個性よりも集団での一致。はみ出したら無理やりにでも輪に入れる。輪に入らないことを悪だと印象付ける。
全員がそう思っているわけではないのだろうけれど、そういう風潮はあるんじゃないかなぁと私は思います。私自身がはみ出した(ている)経験者だからかな(笑)
だからこそ、自分の外見や客観的な印象なんてどうでも良いのです。周りを見て、それに合わせればいいのだから。似合っていようが似合っていないだろうが、関係ないのです。
それは非常に残念なことだと私は思います。変わってほしいな、とも思う。
流行だから、この色を身につける。服を選ぶ。メイクをする。髪型をする。雑誌で見ているのを取り入れたら大丈夫…そんな雰囲気がないでしょうか?
流行についていくということは、それなりに関心があって、意識しているのかもしれない。その姿勢は素晴らしいものだと思う。けれど、そこに「自分を惹きたてるものか?」を加えてほしい。
「自分を魅力的に見せるだなんて、そんな計算高いこと…」とか、ネガティブな視点でとらえられるかもしれません。魅力的=犯罪を自分から引き寄せているようなもの、ともとらえられるかもしれません。
と言うのもですね…私が親から「地味にしなさい、周りに浮かないようにしなさい、顔が派手なんだから地味にしなさい」とか大学時代言われていてですね…なんで私が悪いの。黒髪&アイラインだけ&割とラフな格好(シャツにズボン、ブーツとか)のどこが派手なの。
ですが、自分を客観的に見ないからこそ自分の良さも気づけない。また、それを指摘してくれる人もいない。そこまで誉める文化じゃないし。
その結果、自信の無さにもつながるんじゃないかな。良くも悪くも客観的になれないから。
最近、流行っていますよね”パーソナル〇〇”。髪型や服装、色、などなど…メイクもその人の個性を生かすものを知る機会が人気になっていることかと思います。
余裕がある、もしくは自分を知りたい、もっと自分を好きになりたい。ぜひ専門家のチェックを受けて、自分を客観的に知ってみてください。それが自分の自信につながると私は思います。自信って大事ですよ~。
まぁセルフプロデュースに関しては、以下の記事のようにさくさく自分でもできるものです。お試しに、やってみてください。
私が意識するようになったのは、自然発生(こんな風に見られたい!自分の良いところもっと良く見せたい!という願いと野望)と、こちらの本を読んだからです。
日本のファッションへの情熱は素晴らしいものです。髪型のセットだってすごい。美意識というか、公共にいる自分の意識が高いのではないかな、と私は勝手に推測しています。
だからこそ、磨く方向を変えてみてほしい。みんなと同じになるためだけじゃなくて、その中でも自分らしさを見つけてほしい。誰もが魅力を持っているのですから!
余談ですが、オフィシャルな場以外でのシーンではセンスの欠片もないかもしれませんよ欧米諸国の方々も。決めるところは決める、そうじゃないところは「自由だぁぁぁ!」な感じ…だと私は思います(笑)
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