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社会に思うこと。足の引っ張り合いよりも助け合うこと、高め合うこと。

603回目です。φです。

クリスマスまで残り1週間ですね。あっという間です。クリスマスの雰囲気がしないなぁ、というのが私の主観的な意見。

そうそう、先日Twitterでつぶやきを見ました。ケーキ屋さんのつぶやきで、今年はケーキを予約して買ってください、というもの。

外出が減ったこと、出費を抑えるようにしていること、ケーキ屋さんも営業できない時期があったかもしれないこと、などなど、様々な要因が考えられます。お祝いする機会も少なかったしね。人が集まること自体が減りました。

余裕がある方々、ぜひケーキやテイクアウトで飲食業の方々を支えてください。大丈夫だろう、と思っていたら、ある日突然いなくなってしまった、ということになりかねません。

色々な人のつぶやきを見ると、助け合いって大切だと思います。足の引っ張り合い、じゃなくてね。広い視野で見ようとしているけれど、やはり目についてしまう。「自分は〇〇だ、だから同じようになればいい」そんな流れ。

みんながみんな、ではない。例えばいじめの問題だとしましょう。「自分はいじめを受けた、だから誰かがいじめを受けたら手を差し伸べたいし、いじめが許される社会はダメだと訴えたい」。いじめから立ち直れた方々は、きっといじめに苦しんでいる人の助けになるでしょう。

けれど、「自分はいじめを受けた、だから誰かもいじめられればいい」と思う人もまた存在します。自分と同じ思いを誰かがしないと不公平だ、というようなもの。

いじめの例えが相応しくないのなら、労働時間についてにしましょう。「自分はたくさん働いた。とても疲れていた。だから労働時間を改善し、誰もが健康に働けるものになるようにしたい」と思う人。反対に、「自分は長時間働いたし、残業なんて毎日だった。だから改善なんてしなくていい」という人。

どちらの例にしても、前者の方が良い社会を生み出せると私は思います。支え合っている。自分が苦労したものを、他の人が苦労しないように。直接的な助け合いには感じられないかもしれないけれど、助け合っています。誰かの努力が誰かを助ける。

後者は、足の引っ張り合い。自分がそうだった、相手もそうなるといい。自分よりも良い状況にいる人を見ると、自分と同じ状況にしたい。

なんとなく、私の主観ですが、後者が増えているような気がします。そして良い状況にいる人は悪目立ちするというか。標的になる、というか。

本来なら、その人を目標にした方が良い結果をもたらすと思う。その実例があるわけではないから、私の考えでしかないけれど。

私は両方に経験があります。いじめ、とダイレクトなものではなかったけれど、まぁ色々ありました。だからこそいじめは無くなってほしいと思います。いじめで良い結果は生まれません。労働時間だって。長時間労働はとても大変です。心身ともに健康を損ないます。すぐにでも改善してほしいと思う。同じような思いをする人が今後いなくなるように。

さて、私は最初にクリスマスのケーキについて触れました。と、いうのも、「クリスマスケーキが売れない?そんなのどこの飲食業だって同じ。助けてもらえると思っているの?」と思うよりは、「ケーキが売れないなら、日頃買わないけど買おう」とか、そういった助け合いの精神を持って、この時代をお互い支え合おう、と考えた方が良いと私は思います。もちろん、金銭面で大変な人は無理しなくて良いと思う。溺れそうになっているとき、同じく溺れている相手を助けようとしても両者ともども溺れることだってあるのです。自分が大丈夫だと思うのなら、相手を助ける。

この厳しい時期があったからこそ、日本社会は変わった。悪い慣習が減った。なくなった。良いものがたくさんもたらされた。…そう言える日が来ることを、私は願います。

クリスマスケーキ買えそうな方々、買って自分の贅沢な時間を楽しむとか、オンラインで心許せる人たちと画面越しに時間を共有するとか、日頃の感謝を込めて プレゼントにするとか、色々とケーキを活用くださいませ。ケーキ屋さんたちが、乗り切れますように。

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