オリンピック、コロナ、戦争。
754回目です。φです。
初めて派遣会社のサイトを見たのですが、新型コロナウイルスのワクチン接種云々、という募集を見てなんだか…ワクチン接種、ちゃんとされているんだなぁと思いました(笑)
海外ニュースで見ている様子だけれど、日本のものはなんだか「別の世界のこと」という認識があったりもしたらしい。現実なのだと知ると、改めて気づいたというか、なんというか。
ワクチンのために働いてくれる人ってたくさんいるんだよね。とも思う。感謝の気持ちしかない。
コロナと言えば、衝撃的なポスターを私は目にしました。
「太平洋戦争末期に重なる」と広告の意図を説明
同社のプレスリリースによると、この広告の意図は以下の通り。政府のコロナ対応について、「太平洋戦争末期、幼い女子まで竹槍訓練を強いられた、非科学的な戦術に重なり合うと感じる人も多いのではないでしょうか」と批判している。
コロナがまだ第一波二派だったとき。ヨーロッパをはじめ、多くの国が「ウイルスとの戦争だ」「我々は勝利しなければならない」という言葉を口にしていた。
私自身、ウイルスは目に見えないのだし、戦争って言っても…と思っている部分もあった。まぁ科学の力による戦争が現実にあるから、戦争と言ったら戦争なのだろうけれども。
日本は「ウィズコロナ(with corona)」と言い、共存を目指していた。随分日本らしいことで、となーんて考えていた。
そこら辺から、すでに世界との温度差はあったのかもしれない。今言ったところで仕方がないことかもしれませんが。
段々と日本だけが後れを取る中、政府の発言や行動を「戦時下のよう」と表現する人たちが現れた。私は彼らのツイートなどをしげしげと見た。
戦争に向かっていく流れや、発言など。そういったことが分析されていて、しっくりときてしまった。なるほど、戦争か。なんて。
少し太平洋戦争辺りの日本のことを調べた。当時の日本のトップはほぼ陸軍だったね、とか思いながら。調べれば調べる程、竹槍の表現って合ってるなぁと思った。残念なことに。
今回はウイルスで、戦争は半世紀以上前のものだ。けれど、だからといって別物ではないらしい。国が国民を守る、という場面においては同じ状況なのだろうと思う。そして国民を守っていない辺りも、同じ状況なのだろうと思う。
話は少しずれるけれど、私の父親について少し書こうと思う。割と日本に対して「日本は遅れているから」「海外は」という発言が多い私の父親は、そんなことを言いつつも日本が好きだ。日本賛美の番組だって共感しつつ観る。日本のものを当たり前のように享受する。
彼は日本社会のハイアラーキーでいうと上の方だ。男性で、公務員で、家族持ちで、家を持ち、病気持ちではない。余談になるけれど、老害に進歩しつつある人間でもある。
そんな彼のウイルスの現状に対しての発言は、日本はその程度の国だ、というだけだった。諦めが入ったような言葉に、父親のような身分の人でもそう思うのかと私は何とも言えない気分になった。
泥沼になっている。私は現状をそう思う。
政府はオリンピックをする勢いだ。中途半端な聖火リレーだって報道されている。国民は見ることもなく、ある地方政府は拒否し、受け入れた場所だけで開催される、聖火リレー。
”緊急事態宣言”という名前を言った次の瞬間に、話題になるのは”安全なオリンピック開催”。報道をつぎはぎにしたような、奇妙なもの。
誰が止めるんだろう。誰が気づくんだろう。誰が喜ぶんだろう。
テレビを見ながら、それ以外は思わなくなりつつある。他の国のトップたちが、国民を安心させるために言葉を届ける中、そしてそれが拍手を浴びる中。日本はこれかぁ、なんて思ったり。
オリンピック開催の中止を願う票が、十分に集まったらしいですね。それは多くの国でも知られたのだとか。
日本のニュースではあまり目にしませんが…。上のニュースはアメリカのGuardianのものです。この国民の気持ちが、世界を味方にIOCや日本政府に届くことを願います。
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