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民主主義の大切さ。

604回目です。φです。

家の中って、民主主義じゃないよね。ふと思いました。改めて民主主義は大切だし、権利を与えられたのならその権利を失わないように行動すべきだし、権利を持って自分の求めたいものを追うべきだと思う。

まぁ「~すべき」、と書くのは好きではないのだけれども。今近くの国でも民主主義が疑われる事態が起こっています。のうのうと見ているんじゃなくて、明日は我が身、と言った気持ちで考えた方が良いと私は思う。

今はごく普通にある民主主義ですが、ちょっと前にはなかった。なかったからこそ当時の人たちは死に物狂いで手に入れようとした。彼らの努力の結果、私たちは当然のように民主主義の国を生きている。

選挙権だって、ちょっと前は不平等だったわけです。選挙権を持っていても行かない人は多い。政治に絶望しているから、面倒だから、興味がないから。理由は色々あると思う。

けれど、そのままでは何も変わらないし、興味がある人たちの良いようになるのは明らか。権利を自分から捨てている人たちには、「不平等だ!」という権利はないのです。捨てたのだから。

北欧デンマークでは、投票率はかなり低かったそう。けれど国民が主体になって国を変えようとした結果、高い投票率に変わった。そして今のデンマークがある。北欧と言えば、多くの国々からも高評価をもらい、満足度の高い国として有名ですね。

彼らのモデルをそのまま日本に適応するか、というと、そうではないと思います。そもそも選挙権を持っている人の世代の割合も違う。何から何まで違います。だからこそ、彼らの歩んだ道を吟味して、それをどう日本に適応するように改善するかを考えなければならない。ただ輸入しただけでは意味がないのです。

私がそう思うのは、色々な「他の国を参考にした」というものが必ずしも成功しない事実を通して、です。一番顕著なのは、マイナンバーだと思う。

あれはエストニアを参考にしたのだとか。エストニアはEUの中でもトップと言われるほどのITの技術が高い国です。多くの日本企業が、彼らがどう働いているのかを見学に来ているのだとか。まぁ今はないでしょうけれど…。

エストニアの本で読んだ文章が印象に残っています。「日本企業はまるで旅行のついでに、という感じにやってくる」、質問もしない、とも書いてあったような。小学校の社会科見学の方がマシかも…と少々私は思ったものです。

さて、エストニア。この国については、こちらのnoteが素晴らしいので、そちらにお任せしちゃいます(笑)

日本がマイナンバーを作ってから電子国家に近づいたか、というと…どうでしょう。最近「噂だよねHAHAHA☆」と私が思わず笑ってしまった、「成績をマイナンバーで分かるようにする」ということを考えているくらいです。

どうでしょう。評価を高く見るか、低く見るか、傍観するかはお任せします。

別に私は「さぁ国を変えよう!」とは言いません。ですが、ふとしたときに「このままで良いの?自分はこの国で幸せに生きていける?」と思ったとき、選挙のこととか、政治のこととか、思いを馳せてほしい。それから行動してほしい。そう思います。

ちょっとしたきっかけって大事。きっかけをスルーし続けた結果、手の施しようのない事態になっているかもしれないのですから。

今の現状で、気づくことがあれば。思うことがあれば。これからも生きる人間として、「これから」を国と言う大きな集団で考えてほしいな。

さて、冒頭で私は家族という社会から民主主義の大切さを実感したと書きました。私は昔から「家族は小さな社会」と言われて育った。母親から。

しかしながら、民主主義の社会ではない。異議を唱えても感情論で却下される。都合が悪いと打ち切りになる。過去も現在も改ざんされる。意見は通らない。独裁的である。

なんとも、「どうしようもない」ものです。権利すらないとそうなります。権利がある、と言ったところで、家の中では無効になります。

自分の意見が尊重される、って、実はすごいことなんですよ。まぁ民主主義だとしても、多数決で決められることもあるので必ずしも尊重されている、とは言えないのですが。けれど訴訟の権利はある。訴える権利はある。

日本の近代史を読むと、「権利ください」「はいどうぞ」ではないということがひしひしと感じます。そんな容易じゃなかったことを成し遂げてくれた方々がいて、それが今も維持されているのなら、彼らに敬意を払って最大限に活用したい。ふとそう思いました。

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