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騒音問題、聴覚過敏からの視点。

 376回目です。φです。

 昨日は初のオンライン飲み会系に参加できそうだったのですが、パソコン急に電源落ちてできませんでした…無念。

 パソコンの寿命ってどれくらいなんでしょうね。使い方にもよるだろうけれども。

 私はそこまで雑に物を扱うことはないのですが、電化製品がやたらめったら壊れます。ほんと、不思議なくらいに(笑)

 CDプレイヤーは本当に記憶を更新中です。新しく買ったものは初めての使用で音は飛ぶし、交換してもらっても飛ぶし、さらに交換した3代目も飛びました音。飛ぶというか、一部がエンドレスに流される仕様と言うか…。

 お店でどれくらい故障しているかをやってもらったのですが、お店では全くもって音が飛ばない。同じCD持って行っても!

 なんなんでしょうね。呪われてる、ということにしています(笑)

 特殊な電磁波でも出てるのかなぁ私から。ビビビッと。

 さて、そんなことはおいて、今日はニュースになっていた「騒音」について書いていこうと思います。

 私は騒音に悩まされて、睡眠不足です万年。騒音もちょっとした音も、ですが。とにかく音。


 今、自粛によって色々な問題が発生していますが、こちらも耳にすることが多くなりました。騒音関連。

 人によって、意見が分かれると思います。

 特に、「今子どもと過ごしているか」「子どもと過ごしていたか」「今子どもと過ごしていないか」「子どもと過ごしたことがないか」で分かれるんじゃないかなぁ。

 子どもが家にいなくても、子どもと関わりのあるご職業の方はまた違った視点かもしれませんね。

 私は「子どもと過ごしたことがない」という立場の人です。自分も子どもみたいな未熟者ですよ。いわゆる。

 そして、音が苦手、という人。その視点で、私はこの問題に関して考えを書いていこうと思います。

 まず、私は子どもは公園で遊んでいいと思います。もちろん、遊ぶには子供同士の距離を取ってほしいし、大人も然り。遊具に触ったら手を洗う、体へのタッチはなしor最低限。のルールは必要です。

 「公園で遊んではいけない」「自粛中に遊ぶな」という意見は持っていません。

 理由を書いていきます。

 まず、大人が子どもの声をうるさいって言うの、私は同意できません。なぜ子どもだけが声のうるささの原因なんでしょうか。

 私の家の周りには、子どもを育てている世代の家があります。子どもは育って同居していない世代の家があります。2世代3世代が同居している家があります。高齢夫婦のみの家があります。

 私は音によって夜眠れません。けれど、その原因となっているのはバイクや車の爆音、そして夜の大人の大きな話し声と笑い声です。要するに大人です。

 朝だって音には悩まされます。ご近所さんが大音量でラジオをかけるからです。バイクや車が爆音を鳴らして走るからです。

 昼だって音に悩まされます。このときが一番小さな音です。子どもたちの笑い声です。

 私の環境が影響しているとは思います。しかしながら、常に音が鳴っている場所として、私は自分の家の周りの音の状況を書きます。

 子どもの声なんて、かわいいものです。不快になるような機械の音じゃない、しょせんは「声」です。限度がある音量です。限度がある音の幅です。

 大人が生み出す音程、迷惑なものはないと私は思います。子どもは運転できません。資格がありません。だから、バイクや車の音を子どもは生み出すことができません。当然です。

 大人は大人同士で、言いたいことはあると思います。若者がうるさい、ということはしばしば事件になります。老人も然り。それ以外の年代の人だって。

 私は子どもの出す音なんて、かわいいものだと思います。そりゃ、私にはつんざくような子どもたちの高音は脳に響きます。苦手です。けれど、私もおそらく小さい頃に誰かをそう思わせたでしょうし。子どものように、気持ちの向くまま思いっきり声を出せる時期って「子ども時代」しかほとんどないんですよ。

 だからこそ、子どもには子どもらしい楽しみを、経験を、行動をしてほしい。それが段々と大人になるからです。子どもに大人のように静かにしていなさい、というのは酷だと思います。

 それに、自粛中であっても外での遊びを禁止するのは厳しすぎるんじゃないかな、と思ったり。

 最低限のルール、そして「自粛とは何か」「何を避けるよう言われているのか」という根本的なことを理解し、それに従っていれば感染リスクは「自粛中に遊んだ」ことでは急激に高まらない。私はそう思います。

 今コロナに関しては日進月歩の勢いで情報が更新されているので、これが今どうなっているかは分かりませんが。

 子どもたちだって、学校に行かないことが嬉しい人とそうではない人に分かれています。行きたい人にとって、今の状況はすごく辛いものです。その辛さを発散する場所すら奪われてしまったら、どうなることでしょう。

 子どもたちの自由を守ること、それは大人の役割でもあると思います。大人中心の社会ではないのです。未来を担う子どもたちを守ってこそ、だと私は思います。

 このご時世、誰もが心にストレスをかかえているだろうし、家にいる時間が長いからこそ気になってしまうものはあります。日頃は家にいないから気づかないものも、「自分が家にいることが稀」という前提を忘れて「いつもの状態」を「うるさい」になってしまうことだってあります。人間、自分が主体なのです。

 お子さんが家にいる家庭は、家での子どもたちの行動に外に行ってほしい、という思いもあるかもしれません。外に行くのもリスキーだとは知っているけれど、それでも仕事が進まない。自分の心がだめになりそう。色々あると思います。

 そういう家庭があると思うと、「公園に行くな」「うるさい」と言えないと私は思います。お互いがお互いを思って、「自分だけどうして」という気持ちを抑えれば、少しは変わるものがあるんじゃないかなぁ。

 しかしながら、この状況はなかなか心に優しいものではない、と私は思います。「あと〇〇日」という目に見える数字があれば、人はそれに向かって心を決めることができます。けれど、お先真っ暗、だと不安しかないのです。それは子どもも大人も、だと思う。

 私は精神論を説くわけでも、同調圧力をかけるわけでもありません。でも、この騒音問題に関しては、お互いにお互いの気持ちを理解することが大切だと思う。そりゃ、ルール違反は伝えるべきだとは思います。明らかにソーシャルディスタンスが取られていない、とか。危険な場所で遊んでいる、とか。

 お互いに監視し合うような状況がなくなってほしいものです。私は趣味で東ドイツの本を読むけれど、監視国家程恐ろしいものはないと思います。私の意見ですが。

 さて、徐々に解除されるような気配もあるし、そうではない気配もある今ですが、乗り越えた先にあるものを見つめましょ。私も就職どうなるよ~と思っていますが、これだけ社会が変わったいるんです、きっと何か変わるはず。

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