無償と価値。
372回目です。φです。
今日は大雨で驚きました!午前中だけだったけれど、久しぶりに雨の音を聴いた気分です。
私はAlexaさんのアプリの中の「雨の音」というリラクゼーションミュージックを聴いたことがあるのですが、「これ大雨過ぎて困るよ!!!」と突っ込みたくなるレベルの音でした(笑)
小雨くらいの音の方が落ち着く気がするのですが…なぜ「雨だよ!」みたいな勢いのものがチョイスされたんでしょう。面白過ぎます。
雨の音が好きな人、苦手な人。結構分かれる話題だと私は思いますが、どちらが多いんでしょうね。種類にもよるのかなぁ。
さて、今日は私がふとニュースに対する反応で思ったことについて、書いていこうかなぁ。
あくまで私が知る範囲で、そして考えられる範囲で、というめちゃくちゃ独自の考えなので、まぁ「へぇ」くらいに思ってくださればちょうどいいかなぁ。
ちなみに、私の視点は「難病あるし通院しないといけない病気あるし、発症しても気づかないし、悪化しやすいし、各総合病院からは要注意人物扱い」というものです。自分で書いてみたけれど、ひどいですね(笑)
そういう状態の私なので、このコロナではかなり引き籠っています。買い物は必要なものを1週間に1回程度。基本は家でStayAtHomeを忠実に守っています。家でできることをやりたい放題楽しんでいます。めちゃくちゃ楽しい。
さて、今日は今「たくさんの方が無償で作品を提供してくださっている」という状況について書こうかなぁ。雑誌、漫画、本、音楽、映像。などなど。
StayAtHome。家にいる時間が退屈で、外出せずとも楽しめるように。という目的があるから、たくさんの価値あるものが無償で提供されています。
本来ならお金を払って購入する必要があるものたちです。お金を払ってずっと手元におけるものと、そうではないものがありますが。それを手に入れるためには対価としてお金が必要なものたちです。
それを観て聴いて、心に何かを感じた方もいらっしゃると思う。「こんな作品があったなんて!」と新しい出会いがあったかもしれないし、改めて触れて「良い作品だなぁ」とかつての出会いに思いを馳せることもあるでしょう。「最後まで知らなかった」という作品をついに見届けることができたかもしれない。
私は、このコロナが終わって無償提供が終わったとしても、その価値を忘れないでいてほしいと思います。価値を忘れない、ってとても抽象的な言葉だけど、そのままの意味です。
「あのときは無料だったのに!」がなければいいな、と思います。「素晴らしいものだった、ぜひあのときのお礼をしたい」の気持ちをもってほしいな、と思います。
人間、慣れるのって意外に素早い。特に自分に何かしらの負のものが与えられない場合。
例えば、毎回ティッシュペーパーをもらっているとしましょう。あの広告付きで、籠を持った方が配っているものをイメージしてくださいね!ちなみに私は2回くらいしか会ったことないけど!(笑)
ものすごーく金銭面で困っていたときに、さらにティッシュペーパーが値上がりして、手に入りづらくなったとき。無料でもらえたなら、「なんて素晴らしい…!感謝!」と思うでしょう。
それからも金銭面で困っているけれど、ずっとティッシュペーパーをもらえたら、最初と同じ感謝はできますか?
人に依るとは思うけれど、多くの人は慣れていきます。ティッシュペーパーが買えない、困った。よしもらおう。いつももらえるもの。…と思う。「もらえる」ということを簡単に推測できます。
しかし、10回くらいしたら有料になった。それでも安いけれど、無料ではない。という状況が訪れたとします。心境はどうなるでしょうか?
「今まで無料だったのに!」に変わると思います。「今までありがとう、今日から買います」にはならないと思うなぁ。一定数の人は。
無料が「当然」になって、本来の価値を忘れていきます。忘れる、というか「慣れてしまった」から。物をもらうためには対等の価値のものが必要です。この「対等の価値のものが必要」ということが当然ではなくなってしまっているのです。「慣れてしまった」から。
「ちょっと前はそうじゃなかった。」ということは、すぐに忘れられます。自分にとって良いことはすぐに慣れるものです。
ちょっと話は違うけれど、快適なものを手に入れたら、不便をものすごく不便に感じると思います。「こんなに面倒だったっけ?!」と思うくらい。
快適を知ってしまったら、ちょっとした不便が「すごく不便」になるんですよね。快適を知る前だったら、それは何てなかったこと、ちょっと面倒だと感じるくらいのものだったとしても。
なので、今の「無償で提供されているもの」の価値を忘れるときは来ると思います。それが人間です。支払わなくて良いのなら、都合がいいじゃないですか。自分のお財布に影響せず、たくさん手に入れることができるのですから。
ですが、私はこの認知は危険だと思います。本来の価値を忘れないでほしい。その作品には価値があって、イレギュラーな今だからこそ「無償で頂けている」ものなのです。誰かの優しい心があってこそで。同時に、その優しい心の持ち主は「本来の価値」の対価をもらわずにいるのです。
このStayAtHomeに協力してくださっている方々の無償で提供してくださっているものを、正しく評価してほしい。価値を忘れないでほしい。
また誰もが自由に外を歩ける日が来たとき、「あのときはありがとうございますー!」と思ってほしい。その気持ちを忘れないでほしい。
対価を渡すことが難しいのなら、言葉を伝えてほしいな、と私は思います。私は無償で何かを提供できる人ではないので、「言葉がほしいな!」と言い切ることはできません。私も無償で提供していただいたものを享受する側です。
当然を当然としないこと。価値を正しく理解して、忘れないこと。
これが、このイレギュラーな時期が終わったときに必要だと思う。もちろん、今も必要だと思いますが。
今は自分ができる範囲で最大限にお家に引きこもって、状況が改善するためのお手伝いをしましょう。仕事などでどうしても外に出ることが避けられない人を応援する意味でもあります。彼らが感染しないように。
そうすることで、滞っていた経済活動だって復帰までが短くなるはずです。そうであってほしいと私は思います。
「無償でしていただけるなんて…このご恩、忘れません!」みたいな気持ちで過ごして、「あのときはありがとう!」を言いましょー!!
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