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薬剤師いる?いらない?

日々、こんな言葉を耳にすることは無いだろうか。また、そう感じることは無いだろうか。

“薬剤師はいらない”
“いや、薬剤師は必要だ”

先日、某タレントの方が『薬剤師の説明は要らない時間』『医者憧れ』という言葉を発し物議をかもした。個人的にはそういう意見があっても良いと思う派である。なぜならば、当人がそう感じたのは紛れもない事実だからだ。

りんごが美味しい。車がかっこいい。あの服が可愛い。
そんなことに反論する輩は要るだろうか。いや、このご時世には一定数いるとは思いつつも、面と向かって言うのは恐らく少数派だと感じる。

不要だというのであれば、言わせておけばいい。言いたい人というより批判したい人は言葉尻を捕らえて、揚げ足を取るタイミングを見計らっているかのようにも感じる。余裕がなく俯瞰した見方ができないのか、私がひねくれているか。

必要だとするならば、周囲がそれらを評価してくれるはずであるというのが私の持論である。少なくとも、現場では、薬剤師さんがいてくれて良かったという声や、不安を払拭した後には安堵される姿を見てきたというのもまた事実。

とは言ったものの、正直“不要派”の意見も理解できてしまう。わざわざ体調の優れない中、移動して別の場所で薬を貰わねばならなかったり、医師に説明した内容を再び求められるという度重なる二度手間が、そう思わせている背景だと感じる。

しかし、SNSではこうした意見に対して適切に議論がなされていると感じない。議論とは、そもそも『自身の考えを述べたり他人の考えを批評したりして、論じ合うこと』と定義されている。にも関わらず、現実には批評ではなく批判、そして生じる誹謗中傷。

そんな喧騒にはもう疲れた。と思いつつ、SNSでは情報が出回るスピードがあまりにも早いため、この時期には頻繁に開いてしまう。2年に一度の診療報酬改定の時期のため仕方ないと自己擁護。

自己紹介が遅れたが、私は俗にいう薬剤師だ。事業承継という名の独立を果たして一店舗小さな町の薬局を営んでいる。幾分か志高く薬剤師となり、薬局を経営する立場になったにも関わらず、業界は暗い話ばかりで嫌になっているというのが正直なところだ。

“必要とされる薬剤師は○○だ”
“やっぱり薬剤師なんて必要ない”

今はどちらの解を持ち合わせているわけではないが、少し時間をとって考えていきたい。先に伝えておかないといけないことがある。この記事は100%私の主観で記載しているということ。

現場と乖離した部分で、職種自体が不要だと揶揄される職業が、他にどのくらいあるだろうか。そう思うと少し面白くもあるが、それなりに沢山の学費をつぎ込み、それなりに勉強をして取得した資格、多少志が高かっただけに少し悲しくもなってきた。

医療費高騰
社会保障費の圧迫
人口減少
高齢社会

明るい未来を夢見て未来へと歩いているわけだが、どうやら光明を見出すのには少し時間がかかりそうと感じざるを得ない。再び自己擁護のようになるが、決して病んでいるわけはない。しかし、自身の職業自体の是非と向き合っていると私は今日もこう思う。


あぁ薬剤師を辞めたい。

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