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優れた観光地~もう一度行ってみたいところ~

 旅行行くと幼いうちは景色が面白いところ、ある程度歳重ねるとご飯がおいしいところ、そしてサービスが丁寧なところこそ旅行の食指が動くものだろう。

 コロナが収束しつつある中、筆者は伊東に行ってきた。海が綺麗で、魚も美味しく、お茶とかお土産に向いているものも沢山ある。サギも川のほとりでゆったり過ごすくらい平和な景色が続く。面白いのが歩行者が少ないわりに、車が沢山往来しているところだ。ホテルまでは商店街を通って、買い物をしつつ、お茶したり食事したりとその道なりを満喫した。

 寿司や刺身が美味しく、ソフトクリームも絶品だった。しかし、気になるのは若干商店街が寂れつつあるところだ。空き店舗が多く、撤退した店もあり、パチンコ店がじわりじわりと増えてきている。地方経済の産業がパチンコに染まっていくのは地方観光を応援している個人としてはいたたまれない気持ちになる。近くのスーパーでドリンクとおやつを買いつつ、この街の新たな打開策を自治体に考えて欲しいと思った。

 クーポン券を町ぐるみで発行したり、色々策は講じている。確かにありがたいし、駅前で頑張ってのぼりを掲げて町の一体感をアピールしているのは素晴らしい。でも話を観光論に引っ張ると、地方の具体的なインパクトって実は食べ物か歴史に限られてしまう。歴史を学ぶのが面白いのも、美味しい食べ物を頂けるのもいずれも素晴らしい。でも色んな体験をするに、大きく思い出に残るのは実はコミュニケーションとつながりなんだろうな、と思うのだ。観光は専門のスタッフがいてガイドして、あとは食堂に連れて行ってご飯食べさせて解散。それは合っているのだが、色んなイベントにスタッフのガイドだけで満足させるのは些か荷が重い。

 観光の真髄とは何だろう。ゲーム性?へりくだった対応?美味しい食べ物?洗練されたイベント?色んな要素が絡まるようにその人の満足度に貢献する。しかし、ツアーなどで、大きくイベントを変えうるのは実はその旅の相互的コミュニケーションだろう。バターを作ったり、ワサビを作ったり、踊ったり、歌ったりありとあらゆるコミュニケーションを観光は作り上げてきたし、好きな人は本当にそのツアーを楽しみ、享受してきた。筆者は意思疎通という無責任な立場で具体性に欠けたエポックを挙げたが、実際問題その面白さのど真ん中を射抜いた観光は意外に観光に関係ない立場の人が提供する事もある。


 旅先での観光者同士の会話や、SNSのアップ、そして交通機関の利用など色んなセルフの楽しみも観光は実は貢献されている。筆者の考える観光はそれぞれの地域での文字付のフォトである。一言感想を添えたフォト、観光地の歴史を語ったフォト、そのときした会話のフォト。インスタで、Facebookでいいじゃん。そう断じられたらおしまいだが、オフラインで家族で作り上げるプライベートな思い出を手作りで作れるような、そんなコミュニケーションが小さくとも少しずつ広がっていくと、きっと思い出のパワーがギュッと上がっていくような、そんな気がしてならない。

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