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正義は鈍く、悪は色めく

 今日は久々に大学に寄った。というのも近くの図書館では探していた文献が見当たらなかったからだ。大学の図書館は利用申請の手続きを踏めば利用出来るので、詳しく知りたい方は是非ググってみて欲しい。特に文献といっても、大した本ではない事を断っておく。大学の学生はワクチン二度接種の影響と今般の感染者減少で結構利用者として増えている気がする。


 筆者は帰りに喫茶店に寄り、別の用をスマホで済ませていると、ふと席の後ろからこんな会話が聞こえてきた。私立の他校での理事長の巨額脱税事件はうちでも起こりうるのではないか、という意見である。どうやらその話をしている二人は学生のようだが、トップが不祥事を起こす、という事態の切迫性を酷く驚いて受け止めているようだ。企業の不祥事はそうか、世の中がめつい奴がいるんだなで流されるが、殊大学の理事長が起こす巨額の脱税事件はその臨場感が企業とは比べ物にならないだろう。特に自分の学校の威信に関わることで、実体として就職や進学にも響くと思われる。正に青天霹靂、といったところか。

 この体たらくにその大学の元総長が改革を叫んで状況の打開に挑もうとしているが、果たして前理事長一派が解任されたとはいえ、彼らがそのおいしい利権を手放すのだろうか、筆者にはとてもそうは思えない。特捜があそこまで利権の構造を明らかにするのに躍起になっているのを見ると、確かに内部告発があったと考えるのは筋があると言えるだろう。

 教育の構造を食い物に出来るのはそれだけ関連法がザルだからともいえるかも知れない。そもそも学校内部の利権の構造がある状態は相当風通しが悪いと言えるし、その場合、自浄作用が鈍くなるのは必然だ。誰かが正さねば、事態はますます悪化し、教育そのものが食い物にされてしまう。それは世の中にある正しい事を背中で裏切っていると思う。社会正義とはよくいったもので、多くの場合筆者のような庶民には関係のないことだし、またあったとしてもどうしようもない。そして、悪事には快楽性がある。貪って得られる快は圧倒的な喜びだ。バレなければどんどん深みにハマっていく。そう考えると人の考える正義というものは動きが鈍く、鉛色で時代劇や冒険活劇のような快感はあまりない。映画や小説では王道を訴える。半沢直樹や佃航平はここまで言うかというくらいに正論を唱えるし、視聴者はそれで胸をすく思いを味わえる。それは素晴らしい体感なのだろう。でも、実際それを実社会の組織で唱えても、異端視されるだけなのが現実なのだ。

 僕らにやれる事は小さなことでしかない。目の前の課題をこなすオールをせいぜい手に入れることくらいだ。それでも、誰かの邪魔になっている壁に一つでも穴を開けられれば、自分がやったんだって胸を張れる。話がややこしくなってきたので、この辺で筆じまいとします。

 大学よ、素直たれ。

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