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隕石

隕石の研究をしている先生の講義を受けて、地球に存在する物質というのはそもそもすべて宇宙からもたらされたものだ、という話を聞いた。
地球上には地球の環境では生成できない物質がたくさんあり、それはどこからくるかといえば宇宙なのである。言われてみればその通りなのだけれど、そういった視点をもって日常を過ごした経験がなかったので、とても不思議な気持ちになった。隕石というかたちで、時に生物のほとんどを滅ぼしながらもたらされた未知のギフト。それが今この世界を構成する物質なのである。ぞわぞわする。

今泉力哉監督の映画『アンダーカレント』を観た。同じ監督の『退屈な日々にさようならを』という映画が、自分の中のとても大切な作品なので、新作は可能な限り映画館で観るようにしている。

『退屈な日々にさようならを』は自殺したある男を中心に、その周辺の人たちを描いた映画だ。自殺した男の恋人である青葉は、恋人の家族に会いに行くことで、自分の知らなかった恋人の姿を知り、そして家族へ自分の知っている恋人の姿を教えることになる。ずっと付き合っていたはずの恋人は、実は名乗っている名前も偽名で、家族の間では失踪したことになっていることを知る。なかでも特に私が好きなのは、青葉が朝目覚め、朝食を恋人と一緒に取り、身支度を済ませて、恋人の自殺を見届けるという一連のシーンである。危うい優しさとやるせなさに惹かれてそのシーンを繰り返し見てしまう。実際はどうであれ、「そうすることしかできなかった」と思える場面が人生には多少なりともあると思う。いつもと同じ朝、いつもと同じようにパンを一緒に食べたとしても、彼が抱えている人生を見通すことはできず、個人が下した決断を理解することも覆すことも難しい。だから青葉は、それが果てしない喪失に続いていたとしても、受け入れ見守るという選択をしたのだと思う。

『アンダーカレント』は『退屈な日々にさようならを』の他人への「わからなさ」が自分にも広がってくるような映画だった。
主人公のかなえは、失踪してしまった自身の夫について調べるために探偵を雇う。その結果得られたものは、夫がついていたたくさんの嘘を知るということ。失踪した理由よりもはるか深刻な、他人という存在の揺らぎに気づいてしまうのだ。そしてある事件をきっかけに、自分すら記憶の奥底に幼少期のトラウマを眠らせ、自分や周囲の人を偽りながら生活をしていたことに気づいてしまう。外界との接点だと思っていた他者は虚構であり、内面を満たしていた自分すらも虚構であるという不安定さ。世界が揺らぎ、自分が揺らぐ。その戸惑いや恐ろしさに直面した時、やはり人は許し、受け入れ、見守るという行為以外、生き続ける術を持たない気がする。だから映画の中のかなえが、何も言わずに居なくなった夫と再会して、首にストールをかけあげるのは、これからも生き続けていくための自然な儀式に見えた。

本当にごくごく最近、私もフラッシュバックというものを経験した。これまでも思い返せば軽いものなら何度かあったような気もする。でもきちんと認識したのは今回が初めてで、渦中には体が緊張で硬直し、怖くて言葉がひとつも出て来なかった。自分ではコントロールできない巨大な恐怖が空から落ちてきた感じ。フラッシュバック後も気分の落ち込みがひどく、眠れなかったり、ことあるごとに記憶がよみがえってきてしまうので、初めてカウンセリングというものに行った。カウンセリングを受けながら自分の話をするうちに、すっかり忘れていた記憶がポコポコと蘇ってきて、今まで言葉にしたこともなかったような感情が口から出てきた。今話している、これはこれで私だけれど、あまりにいつもと違っていて、とても私だとは思えなかった。そして先生から最後に言われたのは、「もし今話をしているのがあなたの友人だとして、自分がその人にかけてあげるだろう言葉を自分にもかけ続けてあげてください。」ということだった。私は私を許し、受け入れ、見守ることが出来るだろうか。

治療のために過去の記憶と対面しなければならず、思い出したことをノートに書き留めているのだが、自分は驚くほど多くのことをなかったことにしていたことに気づいた。思い返すと、トラウマ体験の前と後では、だいぶん自分の中の環境が変わったように思う。当時は原因もわからなかったので戸惑っていた。それまでできていたことができなくなって苦しかった。でも、逆にそのときから気にも留めなかったことによく気付くようにもなった。私にとってトラウマ体験は隕石の衝突みたいな出来事で、たくさんの未知の物質を受け取り、またその衝撃で私の中ではたくさんの化学反応が起こったんだと思う。

冒頭で書いた隕石に関する講義のとき、先生はさまざまな鉱物を持ってきてくれた。リビアングラスというガラス質の美しい鉱物が私のお気に入りだった。それは砂漠に隕石が落ち、その衝撃と熱で砂漠の砂が溶け、宇宙へ飛び出し、再び隕石として地球に振ってきた鉱物なのだそうだ。半透明の砂漠色をした涙型の鉱物は隕石が落ちなければ地球に存在しなかった。まだ私は自分を許すことすらできていないけれど、こんな風に美しい鉱物が自分の中にも存在するのだと信じ、ひとまず採掘と分析を続けようと思っている。

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