海からの巡礼の2011年

下記の文章は12年前の3.11 のあとに計画して実行した海路2600キロ以上、3ヶ月以上におよぶ海を漕いで浜で祈りを捧げた『海からの巡礼の旅』の計画書みたいなものです。

パソコンを整理していて見つかったのでココに上げて記録として残したいと思います。

ちょうど前回のnoteの記事『海伏という生き方』の中で、この『海からの巡礼の旅』の続きをやると、福島第一原発まで1人で漕ぐとアナウンスしたばかりです。

12年まえの僕がどんな思いでこの航海を計画し、実行したのか、12年前、48歳だった僕と今の自分がどのように変化して行ったのか、また当初の自分の志しを確認し、初心わするべからず、という気持ちでここにこの計画書を残したいと思います。


海から大地と空をおもう巡礼のたび

九州から東北への海からの行脚(あんぎゃ)。
自然を敬って生きた昔の日本人のように、浜から上陸し、熊野三山、伊勢、富士浅間(せんげん)神社をはじめとする、その土地の神社に御参りし、淡路島をはじめとする島を巡り、海と大地に祈りをささげながら、徒歩と漕ぎだけで福島第一原発の北側にある双葉浜をまずは目指します。 

( なぜこれをやるのか?)
なぜ今、この時期に・・・これをやる必要があるのか?
東日本を襲った、自然の猛威、地震と津波の影響であまりにも沢山の人達が命を奪われました。 また、命は失われなくても、傷つき、バランスを失った人間だけでなく多くの魂、いのち、が日本中を覆っているかのように感じるのは、僕だけではないと思います。 
こういう時だからこそ、小笠原まで大海原を漕いでわたり、“地球とつながる生き方” “夢をもつことができる社会” の大切さをメッセージとしてつたえるべきだとあらためて思っていました。


しかし、福島原発からの空気中への放射能漏れ、そして放射能を含んだ汚水を当然のように海へ流すというニュースとそれに対する社会の反応・・・、

僕は悩み、考えました。
これだけの自然の猛威や、人間と科学技術と経済社会のもろさを目のあたりにしても、まだほとんどの人達が、私達の大切な空や大地や海を、お金を儲けるための場所、必要以上に物をつくり、廃棄するための場所、としてしかみていない産業界や経済界の人達、そしてそれを当然と考える役人や政治家に任せていいのだろうか?

私達は今この時期さえ一時的に安全で物質的にだけ豊かに暮らしていければ、ほかの地球上の命や、未来の子供達は犠牲になってもいいのだろうか?

未来の地球は、未来の人たちが創るのではなく、今生きている私たちが創るんだということを忘れないでほしい。


確かに僕も、この活動を始めるまでは、現代社会の常識通りの考え方で、電気やエネルギーを節約するわけでなく、必要以上に文明の利器を使い放題で、物やお金が欲しいから仕事をするという人間だったと思う。
だから、誰の事も批判することも責めることもできない、でもその生き方が過剰で間違っているとわかり、そして放射能や放射能廃棄物の怖さ、原発や人間がつくるものに完璧がないということをわかった以上、ただ黙って何もしないで、今まで通りに生きていくのは、これからの地球のため、将来の子供達のためによくないのではないかと思った。

それに気づいたからには、何かしら自分ができる形でもっと直接的に日本人の意識や生き方を変えるための行動を起こすべきではないのか・・・、
ただ遠く小笠原まで漕いでいく前に、もっと多くの人達に直接出会いメッセージを伝え、
もっと多くの大地と海に祈りをささげることができればと思い今回の海からの巡礼やる決心をした。

自分のエゴを捨て、地球と地球上のすべての命を大切に思い、愛し、そしてこれからの生き方、何を大切にして生きていくのかを真剣に考えて欲しいと思う。

私達の意識を変える、地球との向き合い方を変える、そんな時期に私達は今生きているのだと思う。

「自然への畏敬の念」

「原子力に頼らない調和のとれた簡素な生き方」

をメッセージとして発信しながら、上陸する浜で出会う人達との親睦を深める、九州から東北への海からの行脚(あんぎゃ)です。

自然を敬って生きた昔の日本人のように、浜から上陸し、熊野三山、伊勢、富士浅間(せんげん)神社をはじめとする、その土地の神社に御参りし、淡路島をはじめとする島を巡り、徒歩と漕ぎだけで福島第一原発の北側にある双葉浜を目指します。 

福島に到達する頃には、その海域と大地が安全で平和であることを願いながら・・・。

これは漕行距離2600キロ以上。

その土地の人々とつながり、ゆっくりと海と大地に祈りをささげながら行うものです。冒険でも挑戦でもありません。

とても長く月日がかかるものなので水俣を出発したらそのままゴールまで漕ぎ続ける事はできません。
仕事と両立しながらでなくては実行は無理なので、その予定でいます。

( 僕が今、声を大にして言いたい事 )

原発事故の不安は、完全に人災です。
私達人間の力で、考えで阻止することができるのです。
分かっているなら、どうしてそれをしないのでしょうか?
あなたは自分の家の隣に原発ができても、不安を感じませんか?
いのちよりも大切なものは何ですか?
今の時期、ああだ、こうだ、と色々とくちばかり偉そうな事を言う人が沢山います。僕はそれをみて、読んで、はがゆく思います。頭だけで考え偉そうに言うなら、何か行動しようよ。 
今のこの原発の問題を含め、今の日本の現状を作ったのは、高度成長期、バブル、経済至上主義の時代を当然の生き方と教えられ、信じて流されて生きてきた僕達大人なんだし、一人ひとりに責任があると思う。

何も知らずに、犠牲になるのは子供達とそのまた子孫と、この豊かな海と大地、そしてこの地球なんだ・・・

ということを忘れないで欲しい。意見を言うなら一緒に行動しよう。

豊かなこの大地をしっかり踏みしめて、野に咲く花の香りを感じることができる速さで歩き、海草が波間にゆらぐのにきづく速さで海を渡ろう。

昔の人がすべての自然を畏れ敬い、地球と数世代先の子孫のことを考えて生きていた時代のように・・・

今こそ、そういう生き方を大切にする時にきているのだと思う。

日本は美しい国。 世界にまれにみる、美しい大地です。

縦に長く、すべてを海に面する縦長のこの島国は、人に土地に、海に、すべての自然が美しく優しさに満ちています。

日本の四季、植物に優しい湿気、火山を基盤とした肥沃な土地、緑豊かな山々、日本の土地とそこに生きるすべてのいのちに、独自の生命力があります。まるでこの地球の中心であるかのような・・・・
生命力に満ちています。

人間が勝手に作った建物や道路が見えないくらい、上空から日本の大地を見たことがある人なら知っているはずです。

どこまでも緑が連なる山々、火山からの煙、水が豊かな河川、いりくんだ入り江とそこからつながり、すべての大地を優しくいだく青い海、そして緑におおわれた無数の島々、その島の間を流れる美しい潮の模様・・・。

この神秘なる恵み、人に自然に優しい環境は、古代から、この神秘の国に住む私達に与えられたギフトです。

種を蒔けば何でも育つ肥沃な大地、そして豊かな海の中の生命たち。
こんな豊かな大地の国は他にはないでしょう。

でもこの豊かな自然環境に気づいている日本人がどれだけいるのでしょう?

自分達がすでに豊かだ、幸せだ・・・と気づいている日本人がどれだけいるのでしょう?

私達は、いつ、どこで道を間違えてしまったのだろう・・・・?

大切なものをどこかに置いてきてしまった・・・・それを取り戻すために、海から行脚(あんぎゃ)しながら、僕はメッセージを伝えていきます。


漕行距離 2600キロ以上 
上陸する砂浜、100以上 
使用する舟 V-1「 kalama hoku 」


(下記の上陸浜はあくまでも予定、本州に入ってからは主要な浜、土地のみを記載) スタート時は僕一人でも、漕ぎ進むにつれて、少しでも多くの地球を愛する同じ意識をもった人達が陸地と海から、サポートしてくれる事を願っています。

これは走行距離2600キロ以上。

その土地の人々とつながり、ゆっくりと海と大地に祈りをささげながら行うものです。

冒険でも挑戦でもありません。

 熊本県水俣市 湯の児の浜 
水俣病という過去の痛ましい記憶を忘れず、同じ事が地球上で起こらないように、美しい水俣の大地と海に祈りをささげてスタートします。
     ↓36 キロ 
 鹿児島県 阿久根市 脇本海水浴場
      ↓7キロ 
 鹿児島県 阿久根 大島 
      ↓9キロ
 鹿児島県 阿久根市 大川島海水浴場 
      ↓14キロ
 鹿児島県 薩摩川内市 綱津町 
 唐浜海水浴場 キャンプ場 唐浜恵比寿神社 
      ↓8キロ
 川内(せんだい)原子力発電所(九州電力)南の浜  
    意見書を手渡しする
      ↓8キロ
 鹿児島県 薩摩川内市 綱津町 唐浜海水浴場 
      ↓24キロ
 鹿児島県 阿久根市 脇本海水浴場  
      ↓22キロ
 天草市 下須島 砂月海水浴場   
 恵比寿神社 金比羅山
      ↓12キロ
 熊本県 天草市 牛深町 茂串海水浴場 
      ↓21キロ
 熊本県 天草市 天草町 高浜北 白鶴浜海水浴場  
     恵比寿神社 八坂神社 
      ↓34キロ
 長崎県 長崎市 野母崎 脇岬海水浴場  
      ↓12キロ
 長崎県 長崎市 高浜海水浴場 
      ↓14キロ
 長崎県長崎市 伊王島海水浴場 
      ↓8キロ
 長崎県 長崎市 白浜海水浴場  長崎平和公園 
      ↓24キロ
 長崎県 西海市 大瀬戸町 雪浦海浜公園 
      ↓16キロ
 長崎県 西海市 大島町 大釜海水浴場 
      ↓15キロ
 長崎県 佐世保市 俵ヶ浦町 白浜海水浴場 キャンプ場 
      ↓4キロ
 長崎県 佐世保市 船越町  淡島神社
      ↓2キロ
 長崎県 佐世保市 九十九島 海きらら横の海水浴場 
 恵比寿神社 
      ↓19キロ
 長崎県  平戸の手前の小島  下枯木島
      ↓35キロ
 長崎県 平戸市 根獅子町 根獅子の浜 
      ↓8キロ
 長崎県  平戸市 生月島  
 塩見神社横の浜  生月観音
      ↓13キロ
 長崎県 平戸市 田ノ浦海水浴場  田ノ浦温泉
      ↓14キロ
 長崎県 松浦市 星鹿町 下田海水浴場  綿津見神社 
      ↓15キロ
 長崎県 松浦市 鷹島町 阿爺浦免  
 モンゴル村南 鷹島汽船発着所北の浜
      ↓17キロ
 長崎県 唐津市 鎮西町 波戸崎海水浴場 
     波戸崎キャンプ場 
      ↓5キロ
 佐賀県 唐津市 値賀崎 玄海原子力発電所(九州電力) 
     意見書を手渡しする 
      ↓5キロ
 唐津市 鎮西町 波戸崎海水浴場 波戸崎キャンプ場 
      ↓26キロ
 佐賀県 唐津市 虹の松原  
      ↓24キロ
福岡県 糸島市 志摩町 野北海水浴場 
      ↓25キロ
 福岡県 福岡市 志賀島   
 海の中道 志賀島海水浴場  志賀海神社 
      ↓30キロ
 福岡県 宗像市 大島 大島運動場横の砂浜 
      ↓12キロ
 福岡県宗像市 鐘崎海水浴場 
 恵比寿神社 織幡神社 景石神社 波津城神社 大年神社 
      ↓5キロ
 福岡県 遠賀郡 岡垣町 波津海水浴場 
 大国主神社 大原神社 若宮神社
      ↓13キロ
 福岡県 北九州市 若松区 岩屋海水浴場  
 菅原神社 戸明神社 
      ↓7キロ
 福岡県 北九州市 若松区 脇田海水浴場 
 笠松神社 八幡神社 
      ↓67キロ
 山口県 宇部市 白土海水浴場 
     ↓ 
 山口県 熊毛郡 上関町 祝島
    ↓ 
 山口県 上関町 田ノ浦 
     上関原子力発電所建設予定地(中国電力)
     意見書を手渡しする 
    ↓ 
愛媛県 西宇和郡 伊方町  伊方原子力発電所(四国電力)     
意見書を手渡しする
  山口県 大島郡 周防大島 片添ヶ浜海水浴場 
    ↓ 
  広島県 宮島町 包ヶ浦海水浴場 厳島神社
 
  広島県 広島市 本川上流 平和記念公園 
      原爆供養塔 元安川下る

  香川県 小豆郡 小豆島町 大余島  
      神戸YMCA余島野外活動センター
  小豆島八十八ヶ所霊場 お遍路 
 兵庫県 洲本市 大浜海水浴場 淡路島
  天地創造の神イザナギイザナミを祀る おのころ神社  
      淡路島お遍路  
  和歌山県 東むろ郡 太地町 下里  玉ノ浦  
      古式捕鯨発祥の地 熊野灘 沖
  和歌山県 新宮市新宮 熊野川 
      熊野速玉大社  阿須賀神社 
 三重県熊野市有馬町 井戸川手前 獅子岩 七里御浜  
      熊野市青年の家 花の窟神社
 三重県熊野市 二木島湾  阿古師神社、室古神社、 
      湾内砂浜なし
三重県 伊勢市 伊勢神宮 
  渥美半島    遠州灘 沖
  静岡県 御前崎市 浜岡原子力発電所 (中部電力) 
      意見書を手渡しする
 静岡県 御前崎  駿河湾 田子の浦上陸 
      富士登山 
  伊豆半島 南伊豆 カヌー発祥地 弓ヶ浜
 相模湾 江ノ島  葉山 東京湾横断 南房総 銚子
 茨城県 東海村 東海第二原子力発電所【日本原子力発電】
      意見書を手渡しする
  鹿島灘 沖 
  福島県 福島第二原子力発電所【東京電力】 
  福島県 福島第一原子力発電所【東京電力】  
  福島県 双葉町 双葉海水浴場 上陸 

<Live Simply>
シンプルに生きる。そしたら原発もいらないんだ。

今回の「海からの巡礼の旅」で僕がメッセージとして伝えたいこと
…それは【Live Simply】ということ。

直訳すれば「簡素に生きる…」と言う意味だけど

それは、衣食住のすべてにおいて人間が生きていくうえで必要なものさえあれば十分…と考え、
過剰に物欲を追求しないで、天地海自然を心から愛して生きること…

それが【Live Simply】ということ…

人間は過去数千年もの歴史の間、自然の中で何のわずらいもなく自然と同化することにいいようのない心の充実感、魂の満足感を感じて生きてきた。

海、大地、地球が僕たち人間ひとりひとりと同じように意識があるものと知り、畏れ敬いながら生きてきた。

儲け、収入、地位など…を大切にしないで、
そういうものは生活に必要なだけでいいと考え、

それよりも大切な自分のいのち(魂、心)の充実のために天地海自然とつながり生きる。

欲をおさえ、手放すことで、心静かに日々を過ごすことができる。
川の流れ、風のそよぎ、木々のしげり、海鳥の旋回、天地宇宙のリズム…に感謝して生きる。

そういう生き方をすれば、電気もエネルギーも必要以上に使わなくなるからもちろん原発なんか必要ない。

天地海自然のリズムで生きることで地球のバランスは調われ、人間だけでなく、地球上のすべての命が愛に溢れ、心静かで幸せに生きることがきる未来を創れると僕は信じている。

でもその未来は今の僕たちにかかっている…

だから今こそ【Live Simply】が大切なんだ。

僕がこの巡礼の旅の出発地に選んだ熊本県、水俣市は年寄りも、若者も男性も女性も意識が高く、まさに僕が今回の巡礼の旅のメッセージにしている…【Live Simply】を実践している人々が多い。

水俣の人々の意識は時代をさきどりしているのだと思う。

人が生きる…といううえで何が必要で何が必要無いのかを理解している。

       

昔の水俣の海は想像できないくらい豊かで美しかったらしい、山と川と海に囲まれ、山からの大量の水を利用して水力発電所ができ、電気と水が豊富だからということで、高度成長時代の象徴のような科学工場ができた。

豊かな自然と引きかえに金と物を追求した時代だった。
便利、快適を追求することが幸せになる近道だと思っていた時代だった。
しかし人間がつくりだした機械は必ず壊れるし、人間は必ず失敗を起こすもの、神様では無いのだ…
水俣の海は汚染され海の命は瀕死の状態になり、汚染された海産物を食べた人々も傷つき、死にいたる人々がたくさんいた。半世紀以上経ち、海は豊かさを取り戻したが、何もなかったころのようには戻れない。傷ついた家族や人々の心はそう簡単には癒されない。

でも、この水俣の現状を見て育った人達は失敗の教訓をいかして、新しい意識のもとに生きようとしているように思える。

進歩や物質的豊かさではなく、天地海自然の豊かさを大切にする人達がここ水俣に集まり、無意識のうち、助け合って人間らしく生きているように思えるのだ。

『人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです』
遠藤周作


僕たち人間は、哀しいことに、この地球上で唯一の愚かで欲深い生き物だ。

豊かさや便利さを限りなく過剰に求めて、地球を海をいじめ尽くし、さらには人間同士で殺しあっている。

そして何度も何度も同じ間違いを繰り返す。

僕たち人間という種はこのまま地球に住んでていいのだろうか?

僕たち人間が地球に住む意味があるのだろうか?

でも…そんな人間もほんの数百年前までは、天地海自然すべての命に畏敬の念をもち、人間社会に生きると同時に、動物や植物と同じように自然とともに生きていた。

日の出、日の入り、昼と夜、月齢、潮の干満、春夏秋冬、天候…。

自然と同じリズムで生きることで幸せと感じていたはずだ。
とくに僕たち日本人には、神社というかたちで、今でも身近にそのころの風習が色濃く残っている。

もしも、まだ間に合うと思うならば、もし平和で安全な愛に満ちた地球を子供や未来の人々に残したいと思うのならば…
今の僕たちが目指す生き方はただひとつ、
それは「足るを知る」ということ、衣食住、すべてにおいて人が生きていくうえで必要なものさえあればいいか…と考え、物欲を追求しないで、天地海自然を心から愛して生きること…

それが【Live Simply】ということ…

そういう生き方をすれば、電気もエネルギーも必要以上に使わなくなるから原発なんか必要ない。

天地海自然のリズムで生きることで地球のバランスは調われ、
人間だけでなく、地球上のすべての命が愛に溢れて平和で幸せに生きることができる未来を創れると僕は信じている。

2011年 6月12日

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