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「ソーシャルワーク」の在り方が、私にとってどれだけ大切か。


先日、とても大事な話をしたので、それを言葉にしておこうと思います。私(と母)の生き方・在り方の話。

国際協力とソーシャルワークとの出会い


私がソーシャルワークを初めて知ったのは、「ソーシャルワーカーの国際定義」を授業で読まされたとき。(びっくりすぎるくらいアカデミックな入り口笑)

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。

社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。

ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。

(国際ソーシャルワーカー連盟:ソーシャルワークのグローバル定義)
http://jfsw.org/definition/global_definition/

当時私は、途上国開発に強い関心があった。「途上国で活動している人がやっているのって、まさにこれじゃん!」とすごく納得した。言葉の一つ一つが腑に落ちる感じがした。

ベトナムで出会った子どもたちに対して、学校を作ってあげたい、日本から物資を送りたい、と思ったことはない。
「生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける」ことをしたかった。

そしてそのために、「社会科学、人文学、および地域・民族固有の知」つまり、社会を知ること、現地の歴史や文化を知った上で行動を起こすことが大事だと思っていた。

その行動というのは、「社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する」ものであるべきと思っていた。つまり、目の前の子どもにも向き合いたいし、子どもが安心して大人になれるような社会構造、地域づくりにも向き合わないとけないと、感覚的に思っていた。

ソーシャルワークは、「実践に基づいた専門職であり学問である」と言ってくれたのが、私の行く先を示してくれた気持ちになったのだ。

それから、私は「国際協力がしたい」ではなく、「途上国でソーシャルワークがしたい」と話すようになった。1番、腑に落ちる表現だった。

私のとなりにあるソーシャルワーク


突然だけど、私の話。

母と父が言い合ってるとき。二人の主張は、かけ離れてはいない。のに、伝えたいことと、伝えるべきことと、腹が立つことが錯綜して、会話が成り立っていない。みていて笑えてくる。
私は、母の言ってることを父の言葉にして伝えて、父の言ってることを母の言葉にして伝えてみる。それで円満、とはいかないけど、二人の間をほんの少しだけ調整することはできる。
「あんたは家の中でもソーシャルワーカーみたいだな。」と父が言ってくれた。



おばあちゃんが足を悪くしたり、家が古くなっていたりして、施設か病院か、これからの暮らしをどうするか、という時期。
祖母は本当はどういう生活がしたいのか、どう生きたいのか。86歳が考えていることを、20歳が頑張って引き出して、若い頭で想像する。
そして、一緒にこれからの暮らしがどうだといいのか、選択肢を並べながら形にしていく。父の事情も、おばあちゃんに伝わる言葉で伝える。活用できる資源や情報をおばあちゃんの言葉で示す。
「そういうことしてくれる、専門の人みたいね」とおばあちゃんが言ってくれた。



生きづらさを伝えてくれた子がいる。受け止めることと、一緒に苦しむことしかできない。もどかしさしかないけれど、私はいつでも近くにいることを伝える。
使える資源を考えて、行動を起こしてみる。自分はどう在るべきか、相談して意見を求める。
それでも自分には変えられないその子の心や、社会の構造がある。
「ソーシャルワークしてるね」と言ってくれる人がいた。



何が言いたいかというと、ソーシャルワークは私の身近にあり、私が生きているということとほぼ同義だってこと、
ソーシャルワーカーは私にとって、そう在りたい生き方なんだなってことを、
最近すごく感じるようになった。

私のなかにあるソーシャルワーク


母の話。

10年前に乳がんがみつかり、手術を受けた。5年前に転移が見つかり、抗がん剤や放射線などの治療を続けてきて、昨年の10月にお別れした。

太平洋のように大きく広くて、雲のようにあちこちにいっては人と出会い、素敵なご縁に恵まれて、楽しく生きている人。優しくて、母がいると家が温かく明るくなる、そういう存在。

在宅医療が始まる頃、母の周りには何人かのソーシャルワーカーがいた。病院から地域移行のサポートをしてくれるワーカー、訪問診療のワーカー、ケアマネ、福祉器具の会社などなど。

「私が将来やりたいのは、ああいう人たち、ソーシャルワーカーなんだ」とぽろっと口にしたとき、

「いいねえ、(私)みたいな人がやってくれたら、嬉しいわ」と言ってくれた。

そのときは素直に、嬉しかった。私がやりたいことだったから。

母とのお別れがあってから、考えるようになった。「私みたいな人」。私のどんなところをソーシャルワーカーっぽいって感じたのか。
20年間私を育てた母が、私のどんなところをみてきて、ソーシャルワーカーで在ってほしいと思ったのか。

一生かけて自分に問い続けていきたい。

ソーシャルワーク


母は、周りにいるそれぞれの人にとって、少し特別な存在だった。

話が上手くて面白いというわけじゃないけど、仲良くなれる。嘘や建前はなしで、人と誠実に付き合う姿勢。
助けてあげようとか、そういうつもりじゃないのに、さりげなく思いやってくれる。
子どもの言葉に耳を傾けて、否定しないで、一人の人間の声として受け止めようとする姿勢。

私は母に似ているところがあると思っている。母が思う私の「ソーシャルワーカーっぽい」要素は、母からもらったものだと思っている。

この数か月で、
私のとなりにあるソーシャルワークに気づいたし、
私のなかにあるソーシャルワークに気づいたし、
それは母からもらったものだということに気づいた。

「途上国でソーシャルワークがしたい」から、「ソーシャルワークに生きていく」になった。

仕事ではなくて、私の生き方・在り方として、死ぬまで私が向き合いたい、母からもらった、使命みたいなものです。

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