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妄想メモ〜桶狭間の戦い〜


noteでたくさんの知見をいただいている「千世さん」や「はーぼさん」の素晴らしい記事に刺激されて、私にも桶狭間ブームがきました!(笑)

◆千世さんの記事ご紹介



◆はーぼさんの記事ご紹介


https://note.com/think_easily/n/ne083923fb6d6


上記のお二方の記事を読んで、感想コメントを考えていたら、素朴な疑問として、「広い三河領において、なぜ桶狭間だったのか?」ということが気になったのです。

そこで、地図を見ながら私の得意な妄想をめぐらしてメモしていたら、コメント欄に収まらくなってしまったので、記事にすることにしました(笑)



◆1【概説】


「桶狭間の戦い」の開戦前の戦力差では今川軍において余程の離反や内紛が無い限り、まともに戦ったら、織田軍は勝てません。
となると、桶狭間の戦いは偶然の「奇襲作戦」ではなく、最初から今川義元の本陣を狙った『強襲作戦』だったのでは?と思い始めました。

義元も信長の本陣突撃は予測(もしくは扇動)していたのかもしれません。
そうなった場合、織田軍が進撃してきても周囲の城・砦からの手勢ふくめ包囲殲滅できると義元は踏んだのではないでしょうか。

ところが、すぐ間近に信長はいたのです。襲来を知った瞬間、「信長め、そんな近くに、もう、いたんかーい!!(-_-;)」というのが義元の本音だったのではないでしょうか(笑)

◆2【戦力】


歴史研究でおなじみの小和田先生の見解は、石高から兵力の見直しをする等などの新説も出ているそうで、実際は織田軍3,000名、今川軍25,000名とも言われます。

※小和田先生の解説


そして、軍勢が移動する際は、前から【偵察隊・前衛隊・親衛隊(馬廻衆、母衣衆)・後衛隊・工作隊・補給隊】のように任務ごとの部隊編成になります。
つまり、今川軍25,000名といえども、実際に義元の本陣を守る親衛隊(馬廻衆、母衣衆)が3,000~1,000名しかいなかった場合、織田軍と同数近くになるので勝敗がわからなくなります。

◆3【定石】


兵法の定石に則るなら、大軍を迎え撃つ決戦にあたり、いくつかパターンがあると思います。

①本陣に突撃する(先)
②籠城して味方を待つ(後の先)
③二の策を準備して迎撃(先の先)
④善戦したのち和議

織田軍4,000名の戦力からすると①突撃は全滅する確率が高く、②籠城も有力な味方は望めません。
義元に「信長は無謀な戦いはしない、③か④の策でくるのか?」と思わせておいて、奇襲という形で①本陣を攻撃し、「先の先」に高めたところに天才・信長の片鱗が見えます☆

◆4【名人対決】


信長・義元は、親の代から三河領にて勢力争いをしてきて、双方とも戦さ上手で兵法に長けていました。
お互い攻め手を分かっている同士なので、これは将棋でいう「名人戦」だなと思いました(笑)

少しズレますが、棋士の羽生九段永世名人の著作に「名人同士の戦いは手詰まりになるので、一手損をして相手に手を渡す」という一文がありました。
自分が下手を打つより、相手の出方に対して対策を講じることで勝率が高まるそうです。

※なお羽生さんは前人未到の1,500勝を達成されました☆


◆5【心理戦】


神仏を信じないはずの信長がゆっくり熱田神宮に寄ったのは、祈願ではなく味方となる尾張衆の参集を待ちつつ、今川軍に従っている三河衆の離間を計っていたのではないでしょうか。

尾張衆の加勢や三河衆の反応を待ってはみたが、どちらも芳しくないので、「奥の手(本陣強襲)」を使おうと考えたと想像します。

出陣前、信長は幸若舞(敦盛)を奏じながら「先祖の皆さん、私が奇襲で今度は仇を取りますからね、見ててくださいね」という心境だったのではないでしょうか。
士気を鼓舞するよりも、勝利をもぎ取りたいと「逸る気持ちを抑えるため」に舞ったのです。戦さを前に呼吸を整える効果もあったとか、なかったとか(笑)


これにより、家臣から見れば「幸若舞(敦盛)ということは、、、信長様は死を覚悟しておられる?!。我らも腹を決めなくては、、、」と思わせたのです。

ついでに信長は、熱田神宮の御神体であるの「草薙剣」を想いながら、「剣光一閃、今川本陣への強襲に勝機を掛ける」と腹を決めて、しかも全滅必須の策を家臣にも話さずに実行したのです。

おそらく織田軍の家臣の多くは攻撃されている砦の救援やどこかで籠城すると思っていた者が大半だったのではないでしょうか。


義元も信長が短期決戦を仕掛けてくるのは承知です。しかも、勝てる自信があります。
そこで、挑発もこめて信長の攻撃を誘発するためにわざとゆっくり進軍し、輿に乗り、泛地であるの桶狭間で陣を張ったのだと思います。

つまり、信長と義元の相互の胸には「(信長)今行くぞ!」「(義元)いつでも来いよ!」と鍔迫り合いが、常人では見えないところでバチバチ繰り返されていたと想像します。

結果的に、源氏の奇襲によって敗れた平氏(平家)の子孫(織田)が、奇襲によって源氏の子孫(今川)を破るという結果を見るに、歴史のパラッドックスを感じました。
※織田氏の先祖は諸説あり

◆6【妄想メモ①~⑤】


織田軍が南下してくると考えると、迎え撃つ今川軍は、北側もしくは北西側に向けて「鶴翼の陣」のようにV字に展開し、義元の親衛隊は突撃してくる織田軍を防ぐ必要があります。その間に、前衛隊・後衛隊が駆けつけて義元の安全を確保します。
更に、 右翼の沓掛城と、左翼の丸根砦または大高城からも手勢が駆け付け、両翼が閉じるように織田軍を包囲して殲滅するという計略が義元の基本戦略とします。

信長も包囲される事は想定していたので、より速く、より強烈な攻撃を仕掛けるタイミングを計っていたら暴風雨がきて、これが天運となったのではないでしょうか。

では、その前にどのような強襲ポイントがあったのか、妄想してみました。



愛知県豊明市文化財サイトより引用

【凡例】
凸 織田方の城・砦
凸 今川方の城・砦
凸 所属不明の城・砦
■ 当時の推定海岸線
赤色→ 織田信長の進軍ルート
緑色→ 今川義元の進軍ルート



【桶狭間古戦場伝説地】より加工
※赤の点線および①~⑤が私の妄想する強襲ルート

①矢作川(三河・尾張の国境)
三河・尾張の国境に矢作川があります。渡河中の軍勢を攻撃するのは常套策です。

義元は、まさか信長がここまで出張って来るとは思っていない場合、チャンスが生まれます。

その反面、尾張から遠征するため、三河領を横断中に通報されて迎撃されるリスクがあります。

三河衆の離反が実現すれば勝機は高まりますが、どれほど加勢してくれるかは未知数です。

②境川(尾張領)
桶狭間を通過する前に義元が立ち寄った沓掛城の手前に境川があります。ここも①同様にチャンスが生まれます。

ただし、川幅が狭くてすぐに渡河できてしまう又は攻撃を察知されて三河領に後退される可能性があります。

さらに、沓掛城が近いため城からの手勢と挟撃されるリスクがあります。

ギリギリまで近づいて潜伏し、深夜・早朝などに奇襲する必要があり、成功率は低いです。



③桶狭間(北ルート:東海道)

大高城を目指していた今川軍は桶狭間の付近を必ず通ります。ここは交通の要衝でもあるので、織田軍にチャンスが生まれます。

しかし、通過ルートが北・中央・南の3ルートあります。中央ルートは戦列が細くなり、守りづらいので通れないだろうと信長・義元の双方で考えていたでしょう。 

北ルート(東海道)の場合、今川軍が背後に桶狭間を囲む丘陵に後退しながら陣を張ると、織田軍は攻撃に時間が掛かり、後方の丸根砦からの手勢も合流して包囲されるリスクがあります。

④桶狭間(南ルート:大高道)
今川軍が大高城への入城を急ぐ場合、南下してくる織田軍をかわせるため、南ルート(大高道)が有利です。

また、今川軍は桶狭間の丘陵を盾にしつつ移動できるので防備は万全です。しかし、これでは信長への誘因策になりずらくなってしまいます。

そうなると、義元が基本戦略(鶴翼→包囲)を重視した場合、北ルートに回ってくれたほうが信長としては最短距離で攻撃できます。何か北ルートに引き込む方策はないか、、、信長は何度も思案を巡らしたでしょう。

⑤大高城手前(上陸奇襲)
水運の要である津島を支配していた信長ならば、伊勢湾の船方衆を使って別動隊100~300名を上陸させることもできたはずです。

地図のように大高城は海城であり、背後から攻めると、義元は逃げ道が無くなります。

今川軍は大軍ゆえに入城も時間が掛かります。しかも長距離移動で疲労しているため、織田軍が強襲してきた際に混乱して反撃が鈍くなっていた可能性もあります。

以上が私の妄想する強襲ポイントです。


※画像はとよあけ桶狭間ボランティアの会さんサイトより引用

史実では、暴風雨の中、今川軍は桶狭間の北側の丘陵の上に陣を張り、雨上がりを見計らって移動を始めようとしたところを織田軍に攻撃されました。

そのため、義元の討ち死した場所(石碑)が桶狭間の南側にあるのは、そこまで防戦しながら後退していた証左ではないでしょうか。

もし、織田軍の攻撃を防ぎ、今川軍が信長を包囲殲滅していたら、歴史は大きく変わります。
今川氏が桶狭間の戦いに勝利した場合、その後、どうなったかについては、また妄想してみたいと思います(笑)

歴史のイフは様々あり、新資料の発見などでも新しい展開があります。歴史ロマンは尽きないですね☆

ここ数週間ずっと「桶狭間の戦い」について考えていたら、何かの運命に引き寄せるられたのか、「狭間(はざま)」という駅に出会ってしまいました(笑)




最後までお読みいただき、ありがとうございました☆

#妄想 #桶狭間 #歴史 #今川義元 #織田信長

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