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リムスキー=コルサコフ/ピアノ協奏曲 嬰ハ短調 Op.30

19世紀ロシアの情勢とコルサコフについて、そして演奏機会のほとんど無いこの曲について少しばかりお話します。
🔗藝大ミュージックアーカイブ に演奏の記録も残っていますので ご興味があればぜひご覧下さい👀

19世紀ロシア

当時ロシア国内では社会不安や民衆の不満が次第に高まっていた。
西欧諸国に後れを取り、なおも続く専制政治と奴隷制度。学生や農民による様々な解放運動が起きても、それらはことごとく弾圧され、幾多の対外戦争もほとんどが失敗に終わっていた。

リムスキー=コルサコフ

軍人貴族の家系に生まれたリムスキー=コルサコフ(1844-1908)は、少年時代は港町サンクトペテルブルクの海兵学校にかよい、船乗りを夢見ていた。
彼は世界一周航海や軍楽隊監督も経験することとなる。

15歳のとき、自らの音楽人生を大きく切り拓くことになる指導者バラキレフと出会う。
自分のことを軍人に向かないと悟っていたコルサコフは、「ロシア5人組」のメンバーとして音楽に没頭しはじめ、やがてロシア音楽を大きく発展させていく。

「ロシア5人組」とは、ドイツやフランスの音楽に対抗すべく、西欧の技法よりも、ロシアに根付いた題材や民族色を重視して活動した当時の音楽家グループ。

コルサコフはそのメンバーの一員ではあったものの、同時にグループの方針には不足も感じていたようだ。
そこで彼は、音楽院教授となったあとも西ヨーロッパの古典や伝統的技法の勉強を続け、結果、卓越した指導者としてストラヴィンスキーやグラズノフ、プロコフィエフらを輩出した。

またコルサコフは軍人系の家柄にはとらわれず、ロシアの近代化の遅れに批判的、かつ革命運動には同情的であった。
後に彼は政治批判をして教授職を解雇されてしまうが、その際、彼を慕う多くの同僚によって辞職騒ぎが引き起こされた。

このようなエピソードから、彼の、信頼を集める聡明かつ勤勉な人物像が浮かんでくる。

ピアノ協奏曲 作品30

この作品の作曲にとりかかったのは1882年、彼が38歳のときである。
創作活動から一時身を引いていた師バラキレフが復帰し、彼の勧めにより着手された。

コルサコフはピアノ演奏にはそれほど長けていなかったようだが、リストのピアノ協奏曲を手本に、自らも満足できる作品を書き上げることができた。この曲はリストに献呈されている。

曲は雰囲気の異なる3部分から成り、冒頭のロシア風の民族的な2主題が、色彩を自在に変えながら曲中をめぐる。このうち2つ目の主題(冒頭ファゴットソロ)は、バラキレフが採取したロシア民謡によるものだ。

きらきら光る海面や、異国の香りを運ぶ風。それらを思わす描写の数々は、まぎれもなく彼の海兵経験が打ち出したものであろう。
調性は頻繁に変わり、和声は次々に飛び出す。
光が次から次へと色と輝きを変えていくその妙に、魔法を目の当たりにするようなわくわくした気持ちを抱くだろう。

2020.11.12
東京藝術大学 奏楽堂 モーニングコンサート 第1回」より(一部加筆・修正)
指揮:山下一史
出演:佐伯日菜子・伊達広輝・村上智則
   藝大フィルハーモニア管弦楽団


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