常に喪服を着て生活している[死の作曲家]が語る人生哲学
こんにちは。
葬儀のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作曲家です♪
ちょっと前に
黒一色や白一色の
着物を着ている若者を
「黒は喪服だから良くない」
「白は経帷子だから良くない」
と、ネットで
咎めた年配がいたらしいのですが、
年中、日頃から
喪服を着て生活している私としては(笑)
色々とこの件で
思った事がありましたので、
今回は、その話をしようと思います。
このネットでの呟きには
色々、世間からも反論があった様で、
「これは今風のコーディネートであり、
着物の進化であり、
喪服でも経帷子でもない」
という意見などが多数出てました。
なので、通常なら
ここでおしまいのお話なのですが、
私的にはモヤモヤしたんですよね。
つまり、私から言わせてもらえば、
[そもそも[喪服]の何がいけない??]
という話なんです。
[日常から喪服を着て生活して
何がいけないのか?]
私は、何着も服を持っていますが、
全て喪服や、
喪服に準じた黒スーツのみで、
それ以外の服装を持っていません。
それには理由があって、
「人生は、
自分を葬り去る壮大な葬儀」
だと思っているからです。
人生とは自分の葬儀なのです。
だから、私は
[生まれてしまった悲劇]に対して
[喪に服している]訳です。
そして、日々
[気高さ]や[尊いもの]が
社会や現実に
葬り去られている事に対しても、
喪に服しています。
「人生とは、一生をかけて
自分を墓場まで導いていく
壮大な葬儀なのだ・・」
という
私の詩そのものの話です。
そんな訳で、
私は、普段から
ブラックフォーマルを着たりしますし、
[黒い服が好き]を通り越して、
普通に[喪]こそをアピールしてます。
喪服みたい?
経帷子みたいって?
そりゃあ、
我らは死者が大好きなのでね。
なぜかというと、
生きてる人間共の社会が
そういう下らない偏見や
他者監視でがんじがらめだから、
地獄の方が
遥かにマシに見えるからですよ(笑)
そもそも、
この世なんて
生まれた事を苦しみ、
日の光を嫌悪し、
色白を他人に強要する
悲しい死者達が闊歩する祭り
じゃないですか。
今時「喪服が不吉だ」とか言う人達は、
自分だけは
[穢れなき生者]
だと思っているのでしょうか?
何にせよ、今回の件で、
服装のセンスというのは生き様・・
と、つくづく思ったのでした。
さてさて、
今日は服装の事を書いてみました。
これからも、
そんな喪服の作曲家の作る作品を
よろしくお願いいたします♪
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「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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