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戸籍、軍歴証明、旧土地台帳、SNS、デジコレ、身内etcで辿ったわたしんちの話し

ちょっとやそっとじゃ、戸籍が取得できなくなってきた今、こう…何か、ぼちぼちまとめようかなとnoteに打ち込む。

参考資料等は一番下です。


新潟出身者の話し

天明元年、開拓

天明初年に遡る。1781年。
このときすでに新潟の先祖はその地に居を構えていた。
村の成立は寛永3年1627年でおそらく開墾から加わっていたと思われる。(ここはまだ調べ中)

村内や隣の新田地へ分家し、同姓が増えていく。

明治2年1869年。
数え15歳の高祖父が家を継ぐ。

日露戦争

明治37年1904年
7親等、曽祖父母のいとこ復員。
歩兵一等卒。旭八等、功七級。

8親等、高祖父のいとこ戦没。
第7師団歩兵第25連隊。
軍曹。勲七等、功七級、690円を給う。

明治44年1911年。
地主から先祖である複数の家が百年以上継続の小作人として表彰される。

大正4年1915年。
財産家禄に先祖である複数家が載る。

第二次世界大戦

昭和20年、1945年7月
4親等、父の叔父フィリピンにて戦没。
第100師団工兵隊、伍長。

昭和23年1948年8月
6親等、父のいとこソ連にて戦没。
歩兵第290連隊、一等兵。

昭和23年1947年。
県の年鑑に家を継いだ祖父の兄が農地委員として載る。その他の縁戚もなにかしら載る。

器用な祖父

祖父は関東に出て知人の紹介で祖母と出会い、子ども2人計家族4人を支える。夜勤や内職もしたそう。

祖母は結婚前、親戚を頼り埼玉で家事代行の仕事をしていたそうだ。

55年前胃がんがもとで亡くなる。胃を摘出して、妻に止められてもお酒を飲むのはやめなかったそう。

祖母はその数年後結核で亡くなる。

祖母の服を祖父が作ったこともあったそう。祖母は小柄を通り越してミニマム。

父はランナー時代のタイムが雑誌に載っていたりした。
あと、県の年鑑に何度か載っていた。


鳥取出身者の話し

文政10年、1827年。
名字の祖、定寸に付き御手廻りに雇われる。

嘉永3年名字創生

江戸へ行ったり、帰って来たり、病気をしたりも20年以上勤め上げ、
嘉永3年、1850年
苗字付になる。
幕末、山奉行を勤め県内あっち行ったりこっち行ったりする。

明治2年、1869年9月
お役御免。

※名前が変わるか人物が変わる。

明治3年、1870年秋
職場同僚の兄弟を養子にするが翌年離縁。
(明治10年元養子は西南戦争で死没)

明治4年1871年
※の人物の倅が継ぐ?

(この間の史料探し中)

明治、北海道開拓

明治18年、1885年
おそらく名字の祖の家と養子縁組した高祖父一家渡道。

明治26年、1893年
水田会社の事務方を引受ける。話し合いの場は高祖父のお家。

明治28年、1895年
高祖父の長女12歳で同字へ分家。

高祖父3男、村の私立学校卒業。

明治29年、1896年
高祖父4男鎌倉で生まれる。
え?工手学校修業。え?
⚠紳士録によると鎌倉で生まれて都内の学校を卒業したらしい。戸籍では北海道生まれ

明治39年、1906年2月
都内の借家へ高祖父一家、転籍。

大正15年、1926年
曽祖父の妹(高祖父4女)、神奈川県へ嫁ぐ。

昭和2年、1927年
曽祖父の弟(高祖父4男)都内に分家。
昭和7年、1932年
機械商。

昭和2年、1927年
大正5年生まれ祖父(曽祖父3男)、出生届出入籍。

昭和3年1928年、曽祖父の妹(高祖父2女)、茨城県へ嫁ぐ。

満州事変

昭和6年1931年〜
4親等、曽祖父2男の兵籍簿が唯一無傷で現存。
勲八等白色桐葉章及び金200円を給う。従軍記章授与。一等水兵。探照灯員。

昭和9年、1934年
曽祖父、神奈川県へ転籍。

支那事変

昭和15年、1940年
4親等、曽祖父2男(祖父次兄)
勲七等瑞宝章及び金150円を給う。従軍記章授与。一等兵曹。

3親等、曽祖父3男(祖父)
勲八等瑞宝章。野砲兵。

第二次世界大戦

昭和21年、1946年2月
4親等、祖父次兄
第67警備隊、ナウルにて戦没。兵曹長。

昭和21年、1946年6月
3親等、祖父
鉄道隊第12連隊第6中隊、復員。伍長。
(昭和19年、1944年8月。敵機の爆撃に依り兵籍簿廃失。再調製の兵籍簿。)

昭和20年、1945年6月
4親等、祖父長弟(曽祖父4男)
第12航空通信隊、ビルマにて戦没。軍曹。

縁切り

祖父実家と縁を切る。
もとより昭和28年には母(曽祖母)が亡くなり、実家には血縁がいなくなっていた。

昭和24年祖母と結婚。3人の子宝に恵まれ、船の荷下ろしの仕事に就き、酒を飲むと怖い人になり、飲まなければ娘に大きなぬいぐるみを買ってあげる優しい人だったそうだ。

満州や満鉄の話しを良くしていたそうだ。

母は祖父が戦争に行っていたことを知らなかったが、兄である私の伯父は知っていた。

祖父は大腸を摘出しオストメイトだった。還暦を前に亡くなる。

祖母は長生きしひ孫4歳のとき87歳で亡くなる。天寿を全うしたんじゃないかと思う。

母の長兄は薬の飲み方が悪く大腸を悪くし65歳で亡くなった。
小さい頃の高熱の影響で精神障害者手帳を持っていた。

母の次兄も大腸がんだ。歳も歳だし何もしないそう。

母は雑誌の懸賞に当たるタイプらしく当時のティーンズ雑誌に名前が出てきた。

まとめ

まとめるとがん家系らしい。
がーん_| ̄|○ il||li





真面目にまとめると、戸籍からでは分からない戦争従軍者がいることが分かった。

私自身、祖父が戦争へ行っていたとは知らなかった。
再調製された兵籍簿を読むと、WW2は鉄道隊というだけあり運転準備、修理、輸送、たまに警備と、戦闘等はあまり出て来なくて…安心した…と言って良いのか分からないが、ショックを受けなかったのは本当だ。
再製されたのはWW2の軍歴で、支那事変では野砲兵としてどんな部隊にいたかは分からないけれど。

兵籍簿の再調製

そんな祖父でも終戦前に兵長になっていることから、鉄道隊でも亡くなった方がいたのだろうと思う。

戦争を知らない私たち。自然災害で亡くなるのも切ないし戦争もイヤ。

みんな、天寿を全うしますように。

参考



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