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なぜわたしがうつ病にならなければいけないのか

来週から大学の授業が始まります。ようやく復学できるまで体調が回復したことへの安堵感と、授業や課題に追われて症状が再燃したらどうしようという不安感が入り混じった心境です。

でも、こうした気持ちは表面的なものでしかありません。心の深いところでは他人にはとても見せられないような怒りと憎しみと絶望感が横たわっています。実はさっき湯船につかっていたときに何の脈絡もなくそれらがあふれてきて、涙がとまらなくなってしまいました。今もまだそのときのショックを引きずっているので、態勢を立て直すためにも一度感じていることをすべて吐き出してしまおうと思います。はっきり言って、これから書くことは愚痴やひがみや悲観的妄想でしかありません。あの太宰治も真っ青な感傷のオンパレードです。悪いことは言いませんので、どうぞ前のページに戻って誰かのもっと役に立つnoteを読んでいただければ幸いです。

教室の後ろで騒いでる人たち

そもそもの発端は、同級生がみんな3年生に進学したのに、わたしはこれからもう一度2年生をやり直さなければならないという事実に思い当たったことでした。わたしは幼い頃から20年以上、真面目に生きてきました。大学時代の指導教授から「あなたはがんばりすぎるので心配です」と言われるくらい、一生懸命に努力してきました。

こんなにがんばってきたのに、こんなに努力してきたのに、なんでわたしがうつ病にならないといけないんですか。授業中にスマホをいじったり、内職したり、教室の後ろで騒いで迷惑をかけている学生がたいして苦しみもせずに進級しているのに、なぜわたしは1年間も休学しなければならなかったのですか。

「人生長いんだから、1年なんて誤差のようなもの」という人もいるでしょう。でも、1年って過ごし方によってはとても大きいものです。たとえば、わたしが去年1年間をうつ病の治療ではなく、インターンシップや海外ボランティアに使っていたとしたら、今頃どんな結果がもたらされていたでしょう。苦しいことや難しい局面に立たされることはあったとしても、それを補って余りある経験やスキルや語学力を身につけていたのではないですか。

からっぽ

失ったのは時間だけではありません。2年前、途上国で医療支援をする看護師になりたいという確かな目標を持って大学に入学したのに、今のわたしにはその目標がありません。うつ病の症状のひとつに、興味関心の喪失というのがあります。わたしもうつ病の症状がひどかった時期に、看護そのものに対する興味を失ってしまいました。看護師になんかなりたくない、大学もやめてしまいたいと、31にもなったいい大人が母親の前で号泣しました。

今は症状も落ち着いて普通に日常生活を送ることができるようになりました。けれど、失った興味は戻ってきません。症状がよくなればやる気が戻ってくるかもしれないと期待していましたが、いっこうに戻ってきません。今のわたしは抜け殻です。目標も将来の計画も、うつ病のせいでみんな消えてしまいました。

かろうじて大学に復学しましたが、それも看護師になりたいから復学したのではありません。他にやることが何もないから大学に通い続けているだけです。復学するにあたって面談をしたクラス顧問からは、「あなたが看護の他にやりたいことを見つけて大学をやめるとしても、責めたり無理に引き留めたりはしませんよ」と言われました。でも先生、わたしはやりたいことが何もないんです。わたしはからっぽです。

「でも、うつ病の経験は看護師としてのキャリアにプラスになるんじゃないの? 精神疾患を経験したからこそ、患者さんの気持ちに寄り添える看護師になれるんじゃないの?」と励ましてくれる人もいるだろうということは容易に想像がつきます。そんな人に聞きたい。うつ病になった看護師は、そうでない看護師よりも優れた仕事ができるというエビデンスはどこにあるんですか、と。その励ましの根拠はどこにあるんですか。そう思いたいだけじゃないんですか。うつ病になろうが、ならなかろうが、患者アウトカムに有意な差は出ないんじゃないですか。

もう、うつ病のせいでなにもかもめちゃくちゃです。これまであんなに苦労して努力して、やっと目標へのスタートラインに立てたと思ったのに。なんで今、なんでわたしがうつ病にならないといけないんですか。なんで不真面目でチャラチャラした学生がどんどん先に進んでいくんですか。あの人たちこそ痛い目にあうべきでしょう。なんで真面目に生きてきたわたしが苦しまなきゃいけないんですか。なんでなんでなんでなんだ。

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