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うつ病患者の頭のなか

前回の投稿からずいぶん間が空いてしまいました。わたしは元気です、と言いたいところですが、残念ながら「元気」からはほど遠い状態です。

昨年1月から徐々に勢力を拡大してきた希死念慮がわたしの中に確固たる地位を築き、5月には自殺企図へと姿を変えました。この1年の間に『完全自殺マニュアル』を購入し、自死に向けた情報収集の時期を経て、10月までには自殺の手段・時期・場所がほぼ確定しました。実家の生前整理を済ませ、エンディングノートを作成し、賃貸契約書や生命保険証書をファイリングしました。

わたしが設定した「余命」は2022年2月の第1週です。「立つ鳥跡を濁さず」が信条なので、大学から課されたレポートをすべて提出して、今年度分の市民税・県民税の申告も済ませ、きれいな状態でこの世を去ろうと計画していました。

「計画していた」と過去形で書いていることからお察しの通り、自殺には至りませんでした(「まだ自殺には至っていない」と言ったほうがより正確です)。なぜなら、自殺予定日を迎える前に精神科病院への入院が決まったからです。

入院中の治療・ケア・休養によって、わたしの「死にたい」という気持ちが今後変化していくことが予想されます。そこで今回は、入院前のわたしが何を考えていて、どのような過程を経て自殺を計画するに至ったのかについて書き残しておこうと思います。

はじめにお断りしておきたいことが2点あります。1点目は、この文章の目的はあくまでわたしの頭のなかにある思いを言語化し、整理することです。もしかしたら、身近な人を自死で亡くされた方や、精神疾患患者・自殺未遂当事者の支援をされている方にとって不快な表現が出てくるかもしれませんが、ここではわたしが感じていることをありのままに綴ります。

2点目は、わたしは精神疾患を発症しているために、視野が狭くなり、悲観的な見方しかできず、正常な判断ができなくなっていることです。この先を読もうと思われる方がいるとしたら、その点を承知したうえで読んでください。あるいはそんなものは、はじめから読まないのが一番よいのかもしれませんが。

目標を失う

大学入学当初、わたしには海外で医療支援に携わりたいという目標があったのですが、うつ病を発症したことでその野心が完全に崩壊しました。うつ病をきっかけに一気に吹き飛んだというよりは、ジリジリと外堀を埋められて徐々に崩壊していったというのが正しいと思います。それはたとえば、JICAの青年海外協力隊の募集要項をチェックしたときに、精神疾患を発症している人、もしくは寛解していても精神疾患既往歴のある人は書類審査の段階でほぼ確実に門前払いをくらうということを知ったとき。あるいは主治医から、これからは可能な限りレベルを下げて行動する必要があると告げられたとき(クリニックの外来の看護師さんとか、楽な仕事はたくさんあるよ)。あるいはセカンドオピニオンをもらっている大学の精神科医から、今のわたしの状態では夜勤のある仕事はつとまらないと示唆されたとき(企業に就職することも考えた方がいいんじゃない?)。

そんなこんなが積み重なった結果、どうやらわたしには海外で看護師として医療支援に携わることはもとより、大学病院などで看護師としてバリバリ働くことは不可能に近いということが明らかになりました。錦の御旗とも言うべき目標が崩壊したことによって、わたしのなかで前に進もうとする気力が失われました。国際的に活躍できる医療従事者になるためにこれまで頑張ってきたのに、その大義名分がなくなったとしたら、わたしはいったい何のために血を吐くような思いで勉強しているの? 何のために大学に通い続けるの? これからどうやって生きていけばいいの?

それまでずっと平穏無事で快適な状態にあって、突然生活水準が大きく落ち込んでしまうと、それがその人を危険な方向に向かわせることがある、とロイは警告する。...... 多くの人が転落を経験することがあるにしても、自殺に先行するプロセスで役割をはたすのは、個人的な基準と現在の生活状態との落差の程度である。ほかの人間にはそれほど悪いようには見えない経験、あるいは少なくとも自分の命を終わらせるほどのものではないように見える経験が、本人にとっては生きていられないほどの状況を生み出す。(ジェシー・ベリング『ヒトはなぜ自殺するのか - 死に向かう心の科学』)

怒りがこみ上げる

「ちょっと待ってよ。そもそもどうして『わたし』がこんな目にあわなければいけないの? わたしは何も悪いことはしていないのに」と、わたしのなかのインナーチャイルドが叫びました。わたしは大人の言うとおりにしてきただけなんだよ。勉強しろっていうから、必死に勉強してきた。上を目指せと言われたから、必死に上を目指してきた。遊ぶことを放棄して、先生の言うとおりに努力して、試験で満点をとって、「長」と名のつく役職はみんな引き受けて、進学校に進んで、大学に現役合格して、卒論賞をとって、リーマンショックの余波が残るなか正社員の内定を獲得して、就職後は働きながら受験勉強して、社会人入試の狭き門を突破して国立大学に合格した。「さぁ、これからだ」って思っていた矢先に、看護師にはなれないよって言われても納得できない。わたしがこんな災厄に見舞われる筋合いはない。痛い目にあうべきなのはわたしじゃなくて、あいつらだ。グループワークもろくに参加せず、他人まかせで、不真面目で、非協力的で、その場しのぎで覚悟のないクラスメイトたちこそ、断罪されるべきなんじゃないの? 何でわたしがこんなに苦しまないといけないんだ。ふざけるな!

疲労感に襲われる

いったん怒りが収まると、わたしの考えはより現実的な方面にシフトしました。つまり、「これからどうやって生きていくのか」という問題に焦点があたったのです。あんなに苦労して大学に進学したんですから、とりあえず必要な単位をとって、国家試験に合格して、大学を卒業する必要があります。わたしは自分を奮い立たせ、毎日の授業や課題やグループワークや試験をこなすことに集中しようとしました。ところが、疲れて疲れてしかたがない。肉体的な疲労というよりは精神的な疲労を強く感じました。さらに、時間の流れがとてつもなく遅く感じられるようになりました。大学に入学してから4年経っているのですが、7・8年は経過しているんじゃないかと思うくらい、この環境に長いこと閉じ込められているような気がして息ができなくなりました(実際、オンライン授業の最中に何度か過呼吸に襲われました)。ヘトヘトに疲れて、もうそれ以上頑張ることができなくなりました。

自殺の想念にとらわれている者を冷酷に苦しめることのひとつは、時間がのろのろ過ぎることである。夜明けのたびに永遠に続く心の苦悩がやってくるように感じられ、青年と老年の間の退屈な時間は終わりのない地獄のように見える。(ジェシー・ベリング)

絶望感に支配される

わたしの心配は学業や進路の問題を超え、私生活にまで及びました。現在はつらいけれど、未来はもっとつらいと感じました。この苦しさ、生きづらさは死ぬまで続くんだと思うようになりました。看護師になろうが、大学を中退して別の仕事に就こうが、そんなことは関係ないんです。朝早く起きて、朝ごはんを食べて、出勤して、仕事をして、職場の人間関係に消耗して、ヘトヘトに疲れて帰宅して、家事をこなして、お風呂を倒して、倒れるように眠る。家賃や光熱費や国民年金や健康保険料や介護保険料を支払うためには、働いてお金を稼がないといけません。寝て、起きて、食べて、働いてのくり返し。これが定年退職するまで続くのです(あるいは、このまま日本の社会保障費の増大が続けば、わたしの世代には「定年退職」という概念すら適応されなくなるかもしれません。死ぬまで働きなさい、と)。

そして、年老いたらどうなるのでしょう? わたしはノンセクシャルなので、パートナーもいないし、結婚もできないし、子どもを産み育てたいという欲求はそもそもないので子孫もいない。頼れる人は誰もいません。体力が衰えて、今まで自力でできていたことができなくなります。唯一の頼みだった頭脳も、認知機能が衰えれば認知症になるかもしれません。その先に待ち受けているのは孤独死しかない。だったら、今死んだほうがいいんじゃないか。今死ねば、孤独死や認知症や親の介護といった諸々の問題から解放される。どうせ死ぬなら、遅かろうが早かろうが同じじゃないか。

「鬱病も重症になると、人間的な活力がことごとく麻痺し、荒涼として、絶望的で、まるで死の世界にでもいるような精神状態になる。それは不毛で、疲労感と動揺の激しい状態で、希望もなければ受容力もなく、A・アルヴァレズのいうように、世界には『空気がなく、出口がない』と感じられるようになる。命は血の気もなければ、生の拍動も感じられず、そのくせ息の根の止まりそうな恐怖と苦痛だけは感じられる」(ケイ・ジャミソン『早すぎる夜の訪れ - 自殺の研究』)

問題を解決する唯一の方法が「自殺」であると思う

このようにして、わたしが置かれている状況から脱出するための、わたしが抱えている一連の問題を解決するための「最も効果的で最善の解決策」が自殺である、と思うようになりました。自殺と聞くと、多くの人は衝動的で突発的な行為を想像するかもしれません。線路に飛び込むとか、屋上から飛び降りるとか。確かに、衝動的に行われる自殺もあります。けれど、私の場合は熟考の末に出した結論でした。

これまでずっとストレスや絶望感に耐えてきました。でも、いつまで経っても苦しい状況は変わらず、それどころか次から次へと難題が押し寄せてきて、止まる気配がありません。状況を打開する方法は見つからないし、そもそも状況が改善される見通しはない。もう疲れてしまって、これ以上耐えられそうにありません。とにかく楽になりたいと願うようになりました。

わたしの自殺は周囲の人々、とりわけ家族に大きな衝撃をもたらすでしょう。家族にしてみれば、わたしの自殺は残酷で自分勝手極まりない行為です。それはわかっているんです。でも、このまま生き続けてもわたしは家族の(特に母親の)期待を裏切り続けることになります(母親に孫の顔を見せてあげることは永遠に叶いません)。

唯一心残りがあるとしたら、両親の介護と実家の片づけを妹ひとりに背負わせることです。家系的に母親は脳血管疾患、父親は認知症になる可能性が高いです。そうなれば、2人とも介護が必要になります。父親がため込んでいるガラクタは清掃業者に頼んでトラックで搬出してもらわなければなりません。考えただけで気が遠くなります。

「きわめて高い自殺願望を持つ患者(最近自殺を図ったことのある患者も含む)の場合、鬱に陥ると認知機能がそこなわれる率も高くなる。たとえば、一連の問題を出された場合、その解決法を考えだす能力がふだんより落ちる。思考機能が阻害され、硬直し、問題解決の選択肢が極端に少なくなり、死ぬことが問題を解決する唯一の持ちだと考えるようになる。...... 端的にいえば、いったん自殺願望にとりつかれると、人間の思考力は麻痺し、自殺以外に選ぶ道はほとんど、あるいはまったくないと考えるようになり、自暴自棄になり、頭が絶望感でいっぱいになるということである」(ケイ・ジャミソン)

精神科病院へ

この1年間、2人の精神科医と1人の臨床心理士と看護師資格を持つ2人のクラス担任がわたしをサポートしてくれました。履修科目を減らしたり、課題の提出期限を延ばしたり、試験をレポートに代えたりして、負担軽減を図ってもらいました。臨床心理士さんは1週間おきに面談をしてくれました。主治医は毎回30分以上わたしの話に耳を傾け、一緒に悩み、薬の量や種類を調整することでなんとか症状を緩和させようと努力してくれました。

けれど、こうした一連の対策にもかかわらず症状がいっこうに改善せず、このままいくと自殺という最悪の事態になると考えた主治医は、昨年10月と12月の2回にわたってドクターストップをかけ、自宅療養の指示を出しました。そうまでしてもわたしの希死念慮が治らなかったため、今回の医療保護入院に至ったわけです。

入院することについて、特に思うところはありません。というか、今のわたしには何かを考える力が残っていません。どのくらいの期間入院するのかも、現時点では決まっていません。主治医からは、気分や考えが落ち着いて、自殺を行動に移さないという意識が持てるまでは入院したほうがよいと言われています。

ごめんなさい、頭が混乱しているのでこれ以上言葉を続けられそうにありません。まとまりのない文章で、ごめんなさい。以上、現況報告でした。

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