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「人の役に立たなければならない」という思い込みを捨てる

ずっと、人の役に立つ仕事をしなければならないと思ってきました。大学の卒業式で学長に言われた言葉が今も忘れられません。祝辞の中で学長は卒業生にこう言いました。「みなさんは大学で高等教育を受けるという恵まれた立場にあります。今度はみなさんが受けた恩恵を社会に還元する番です」と。それから現在に至るまで10年近く、わたしは人の役に立つ仕事、社会の役に立つ仕事がしたいという使命感をもって生きてきました。新卒で入社した会社は社会貢献という観点で選びました。看護をセカンドキャリアに選んだのも、困っている人を助けたいという思いからでした。

でも、もういいんじゃないかなと思うんです。「もういい」というのは、もう十分人の役に立つ仕事をしてきたという意味ではなく、「人の役に立たないといけない」という信念を捨ててもいいんじゃないかという意味です。

わたしは幸せだったのか

こんなふうに考えたのは、ひとつに「人の役に立つ人間になれ」という観念が一種の義務感として、わたしに刷り込まれていたんじゃないかということに思い至ったからです。思い返すと、小学生の頃から道徳の授業で困っている人は助けなさいとか、いじめを見て見ぬふりしてはいけませんとか、さんざん教え込まれてきた気がします。それ自体は間違いではないんですよ。確かに、困っている人には手を差し伸べないと。だって、その行為が回り回って結局は自分のためにもなるんですからね。問題は「人の役に立つ」ことを至上命題にしていいのか、自分を犠牲にしてまで優先すべきことなのかということなんです。ボランティア精神はすばらしい。でも、あなたはそれで幸せですか? 人の役に立つことで生きがいや活力を感じていますか? この問いに対するわたしの答えは「No」です。人の役に立つことをする一方で、自分が消耗していく感覚を感じています。なぜなら、わたしは人の役に立つことを何よりも、自分の福利よりも優先してきたからです。

人の役に立つって、実際にやってみるとわかるんですけど、体力的にも精神的にもきついことです。実は1年前まで身体障害者の生活介助のボランティアをしていました。月に1〜2回、その方の自宅まで行って身の回りのお世話(洗濯、料理、排泄の介助)をしたり、外出時の介助をしていました。活動日は週末で、拘束時間は朝の10時から夕方の6時までです。やりがいはありましたよ。介助技術が身についたし、障害者の方の生活を垣間見るという貴重な機会をいただいたんですから。でも正直なところ、回を重ねるごとにつらさが増していきました。平日は授業がぎっしり詰まっていたから、課題や予習・復習は週末にまとめてやらないといけないのに、ボランティアによって貴重な休日がまるまるつぶれてしまいました。それに加えて、その方の自宅まで1時間半以上かけて電車とバスを使って通わないといけないこと、昼食はコンビニで買った冷たいおにぎり2個とペットボトルのお茶1本で済まさないといけないことも、身体的・精神的な負担になりました(「ふん、そんなことで疲れてるわけ? そんなんじゃ、看護師なんてやっていけないよ」と思われた方、すみません)。

このボランティアはわたし自身が精神疾患にかかったことを契機にやめさせてもらいました。その方には申し訳ないのだけれど、辞めた直後の解放感、安堵感は半端ありませんでした。それから考えたんです。人の役に立つ仕事はすばらしいけれど、自分を犠牲にしてまでやる意味はあるのかと。小さい頃から、ことあるごとに人の役に立つ人間になることを期待されてきたけれど、それを盲目的に信じることは、その人個人の幸せという観点から見て正しいことなのかって。もうそろそろ、自分のために生きてもいいんじゃないかって。わたしは完璧主義だから、人の役に立てと言われると自分のことは顧みず全力で他人のために尽くしてしまいます。この「0か100か」みたいな性格が災いして、消耗してしまったんだと思います。重要なのはバランスなんです。たとえば、90%は自分のために生きて、残りの10%は他人のために使うとか、無理のない範囲でやればいいんじゃないかということにようやく気づきました。

人がひとりで世界を救うには限界がある

あとは、わたしがひとりでどれだけ頑張ったところで、その影響力はたかが知れているということです。大学で地域紛争を研究したり、海外でボランティアをしたこともあって、20代までは恵まれない環境にある人々を助ける仕事がしたいと意気込んでいました。大学に入り直して看護学を学ぼうと思ったのも、途上国で医療支援がしたかったからです。あのときのわたしは若さや情熱なんかで頭が沸騰していたんでしょうね。だから肝心なことを見落としていました。わたし個人がどれだけ一生懸命働いたところで、状況は改善しないということです。たとえば、わたしがNGOに所属してアフリカで医療支援をしたとしましょう。おそらく現地に診療所を立ち上げたり、現地の医療スタッフを育成したり、予防接種や母子保健、HIV感染症予防のプログラムを行うことで、現地住民の健康水準をすこーし引き上げることができるかもしれません。だけど、個人ができるのってその程度だと思うんです。なぜなら、発展途上国の医療事情が劣悪なのは医療だけに原因があるのではないからです。政府が腐敗して機能不全に陥っていれば、民兵組織や過激派がのさばって紛争を起こし、国は荒れて国内避難民が続出します。インフラ整備は滞るし、水や食糧は手に入らないし、医薬品など海外からの援助物資も届かないし、人々が教育を受ける機会は奪われます。こんな国の医療事情を改善しようとすれば、まずは現地住民にリーチしたり物資を輸送したりするための道路が必要です。診療所を機能させるためには水と電気を引く必要があります。医療スタッフを養成するためには、読み書きのできる人材を育てるための教育機関が必要です。そもそも、「子どもは教育なんて受けないで働くべきだ」なんていう価値観が浸透していれば、地道に意識転換を進めるところから始めなければなりません。医師1人、看護師1人がどうこうできる状況ではないのは一目瞭然です。

今この瞬間も、国際NGOや国連機関に所属する人たちが世界の医療水準を向上させるために働いていることはすばらしいことだし、わたしはそんな人たちを尊敬します。彼らがやっていることは決して無駄ではないし、実際にHIV感染者や新生児死亡率の低下に貢献しています。ただ、それは多くの専門家が組織単位、国家単位という大きな枠組みの中でプロジェクトを実施することで達成されてきたという背景があります。そんな現実を直視せずに「困っている人を助けたい」なんて能天気にも程があるし、何より傲慢だと思います。人ひとりができることなんてほんの少しです。大海の一滴です。それを謙虚に自覚した上で、できることをできる範囲でやるしかないんです。そんな大切なことを、あの頃のわたしはあやふやにしか認識していませんでした。もしあのまま本当に看護師になって途上国に行っていたら、早晩鼻をへし折られるか、現実に直面して燃え尽きていたと思います。

自己検閲をやめる

くりかえしますが、人の役に立つこと自体は良いことです。わたしは人の役に立とうとする人間を尊敬するし、その人の思いを否定するつもりはまったくありません。ただ、そういう生き方はわたしにはもうできないってだけなんです。いつからか、なぜなのかはわからないけれど、人のため、社会のために生きなければという信念みたいなものに取り憑かれていて、それ以外の人生に想いを巡らせる機会がありませんでした。今から考えるとおかしいなとは思うんだけど。たぶん、自分の中に ”検閲官” みたいな人がいて「人の役に立て」「社会の役に立て」「役立たずは生きる価値なし」みたいに、ひっきりなしに自分を責め立てていたんだと思います。あるいはこの "検閲官" は、道徳観や倫理観と言い換えられるかもしれません。それは誰もがもっているものです。満員のバスに杖をついた高齢者が乗り込んでくるのが見えたときに、「あ、席譲らなきゃ」という反応が起きるのは道徳観や倫理観が作動したしるしです。

社会秩序を守ったり弱者が生きやすい社会をつくるうえで、この "検閲官" はなくてはならない装置です。でも、それが過度に反応してしまうと今回のわたしのようになるんだと思います。「自分の快楽は節制しろ」「他人に尽くせ、さもないとお前は無価値な人間だ」といった行き過ぎた自己検閲が、わたしの精神をギリギリまで締め上げて麻痺させました。精神疾患にかかってダウンした後、ようやくベッドから起き上がって周りを見回して初めて、これまでの生き方がどんなに苦しかったのかに思い至りました。同時に、人の目なんか気にせずに好きに生きてもいいんだ、楽に生きてもいいんだと気づかされた瞬間、全身の力が抜けたような気がしました。わたしが人のために働けば多少は感謝されるかもしれないけれど、自分のためだけに生きたってそれに文句を言う人はおそらくいないでしょう。

今、わたしの ”検閲官” はずいぶんおとなしくなりました。抗うつ薬と認知行動療法のおかげか、暴走することもなくなりました。それでも、自分のために時間もお金も使おうという考えに今でも多少の罪悪感を覚えます。だからこれからは、「自分に優しくしなさい」という新しいマインドセットを "検閲官" に覚え込ませてないといけません。それから、最後にもうひとつ大事なこと。人の役に立ちたいといって選んだ現在の進路のことです。途中放棄するのか、続けるのか。まだ答えは出ていません。ひとまずは、先のことは考えずに今日やることだけに集中しようと思います。今のわたしには他にどうしようもないですから。

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