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花壇からはじまる、みんなの公園コミュニケーション

公園愛護会などのボランティアをやっている人に話を聞いていると、花壇づくりをしている人が多い。公園の一角で、土を耕し、季節の花を育てて、公園を使う人や、周りの人たちみんなを、楽しませている。

『キレイですね』の一言で、夏の暑い日にも毎日水やりをし続けた苦労が報われるんですよ。そんな話を聞かせてくれる人もいる。

花壇が公園での見ず知らずの人同士の会話きっかけになること、そんな公園コミュニケーションが、ご近所に知り合いをつくることに繋がっていることを教えてくれる人もいる。一緒に作業をしたりしたら、それはもうなおさら。

種を蒔いたら、毎日そこを通る楽しみが出来て、「芽が出た!」「葉っぱが増えた!」「花が咲いた!」と嬉しい発見をする度に、話ができるご近所さんが増える。子どもも、大人も、おじいちゃんも、おばちゃんも、年齢なんて関係ない。

一方で、「ボール遊びの小学生に花壇が踏み荒らされた」「小さな子どもが花を折ってしまう」という悲しい声が聞こえて来るということも事実ある。

悪意がある訳ではないけれど起こってしまう、この残念なすれ違い。なぜこのようなすれ違いが起こってしまうのか?と考えてみると、やはりコミュニケーション不足ということが大きな要因にあるのではないかと思う。

ボール遊びができる場所はどんどん減っていて、その貴重な場所に小学生は集まる。やるからには、思いっきり遊びたい。花壇を荒らそうなんて全く思ってなくても、ボールは容赦無くあっちへこっちへ飛んでいく。

木登りもしたい。走り回りたい。花がキレイだからさわってみたい。子どもたちのいろんな「やってみたい」が叶えられるといいなと思いつつも、毎日コツコツと花壇のお手入れをしている人の汗と愛にも敬意を表したい。一概にどちらがどうとは言えないけれど、花壇をつくる場所や、公園の使い方、それもその公園単体ではなく、エリアで機能や目的を「みんなで」考えていくことが大切だなあと改めて思ったりする。

インクルーシブという言葉があちこちで聞こえてくるけど、その通りで、いろいろな人が、それぞれに楽しめること、居心地が良くいられることが、公園の良さであり、果たすべき役割。一部の、声の大きい人の意見だけが採用されることなく、小さな声こそ耳を傾けていくのが大切なのかもしれない。

私たちつくし公園でも今「花壇をつくろうか?」という話が出ている。

場所の検討をして、素人がDIYでつくれそうなイイ感じの花壇の写真でイメージを共有しながら、会話が始まった。

メインユーザーである常連小学生の意見を聞いたり、小さな親子連れなど、いろんな人に、花壇があったらどうかなぁ?とカジュアルに印象を聞いてみると、ウェルカムな意見ばかりではなかった。

端の方だとしても、花壇にボールが転がって入ってしまうかもしれないし、思いっきりボール遊びができなくなったら嫌だな。
1-2歳児くらいだと、大切な花を摘んでしまったり、荒らしてしまったりするかもしれないから、「注意して見ていなきゃいけない」というプレッシャーが生まれるのはツライ。自由に遊ばせて、大人もリラックスしたいから。

なるほど、確かに。こういうのって、作ってしまってからでは面と向かって言いにくい意見。聞けてよかった。

みんなが大好きな公園だからこそ、みんなそれぞれの過ごし方があって、それを大切にしたい。誰も悪気はないけど、コミュニケーション不足のもたらした残念な出来事。ある日突然、公園内の貴重な平面エリアに、町会の防災倉庫が置かれた衝撃が忘れられない私たちは、そこから議論が始まった。

・野草のように、自然にいろいろ生えてるみたいなナチュラルガーデンは?

・踏まれたり摘まれたり前提で、シロツメクサとかハーブとか植えて、「ご自由にどうぞ!」みたいなのは?

・遊べる草花たくさん植えたり、藍とか植えて染め物するのは?

・虫の好きな植物や野菜をいろいろ植えて、虫の観察園とかバタフライガーデンにするのは?

愛とアイデアがどんどん溢れてきて、なんだか面白いことになってきた。そして同時に、こうやって自由に意見交換することこそが、公園の未来の可能性に関わる面白さで醍醐味だし、大切なんだな〜と思う。


子どもたちと一緒に考えて、つくっていく楽しいガーデンができるのか、はたまたやっぱりこのままか。愛護会ができて1年。夏の間、毎月草取りをしたから、去年みたいにジャングル化はしなかった。みんなの手が入ることで、居心地の良い地域の居場所が育っている。関わっている大人も、子どもたちも、公園の遊び方が増えて、楽しんでやっている。

みんなのつくし公園、これからどうなっていくか、どうぞお楽しみに。


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