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「休み=旅行」という自動思考

趣味のひとつだった旅行への熱が冷めてしまった。

ガチモンの旅行好きには敵わない。それでも、年2〜5回は旅行をしていた。貧乏海外旅行でパリに行ったり、青春18切符で東北を一周したり、それなりに大掛かりな旅もしてきた。

そんな旅行に対して、急に冷めてしまった理由を考える。


旅行に対する違和感

「休み=旅行」という自動思考

「休みがある→旅行に行く」と自動思考に陥っている自分に気づいた。私は日頃から旅行を渇望し、あらゆる資源を旅行に投ずる「旅行大好き人間」ではない。時間があったら旅行に行く程度の「ゆるふわ旅行好き」だ。

先日、妻が結婚休暇を取得して9連休が生まれた。「旅行にでも行くか」と瞬時に夫婦間で合意したのだが、計画段階で冷めてしまった。旅行をするには休みが必要だが、休みがあるからといって旅行をする必然性はない。

貴重な休みに何もしない=もったいない
貴重な休みに旅行をする=有意義

こんな謎の観念に囚われ「休みなら旅行に行く」と自動的に発想していた。

非日常への逃避

改めて考えると、私は旅行の「非日常感」が好きだった。「非日常」を求めるのは「日常」からの逃避ともいえる。会社や学校で我慢をするのが日常、そのストレスを発散するのが非日常。ストレスが溜まると無意識のうちに非日常を求めるのかもしれない。

「日常」のストレスが減ると「非日常」へ逃避する頻度も減る。私は主夫になってから「日常」の満足度が向上し、以前より「非日常」を求めなくなった。無論、非日常を完全に排せるほど悟ってはいない。旅行レベルの強力な非日常ではなく、日常+アルファ程度で満足できるようになったのだ。

  • 近所で外食

  • スーパーで高級な食材を買って料理

  • パン屋でパンを買って公園で食べる

  • 野球観戦

  • 音楽ライブ

いずれも時間、費用、体力面での負担が旅行よりも軽い。

旅先でも近所でも、平穏な暮らし

旅先でやりたいことは自然を感じ、コーヒーを飲み、グルメを堪能し、宿でゆっくりすること。「自然」「コーヒー」「ご当地グルメ」「休まる宿」の4点に概ね集約される。これらは近所(在来線圏内)で十分に堪能できる。

  • 徒歩圏内に中規模の公園がある

  • 電車 or 自転車圏内に大規模の公園がある

  • 家には全自動コーヒーマシンがある

  • 都心に行けば、全国のご当地グルメを堪能できる

  • 自宅は格安の優良ホテル*1

家で淹れたコーヒーを公園で飲み、電車で数十分かけて都心に出てご当地グルメを食し、大好きな家で眠る。費用にして5000円/人、時間にして半日もあれば十分。1回5万円の旅行は、近所散策10回分と等価になる。

旅先でも近所でも、やることが同じ。ならば一回あたりの負担が少ない近所散策の方が頻度を増やせるし、融通も効く。大型連休じゃなくても、気が向いた時や、天気がいい日にサクッと実行できる。「その場所」でなければ体験できないナニカがない限り、近所散策が優位なのだ。

*1: 家賃を日割り計算して驚いた。一泊この価格で、この広さの宿に泊まれるなんてあり得ない。掃除の手間はあるが、幸いにも私は掃除が苦ではない。

実は観光に興味がない?

先日、広島旅行を計画した。広島に決めた理由は、有名だけど行ったことがないから。早速「広島 観光」でググって観光地をリストアップした。ここで、ふと思った。

「自分は本当に原爆ドームや厳島神社に関心があるのか?」

「広島に行くからには原爆ドームと厳島神社は見ておくか」程度のモチベーションだった。原爆に関して特別に関心が強いわけではなく、教科書以外で学んだ経験もない。厳島神社も同様に、信仰が厚いわけでもなければ、歴史的な関心があるわけでもない。「海に浮かぶ有名な神社」としか認識していなかったし、それ以上の知的好奇心も湧いてこなかった。

観光スポットには歴史などを解説した看板がある。せっかく来たのだから読んでみる。しかし、あまり理解できなくて飽きてくる。結局、解説文はサラッと斜め読みし、テキトーに写真を撮って帰る。これでは単に「観光地に行った実績づくり」をしているに過ぎない。

文化遺産や自然遺産はさまざまあるが、自分は本当に関心があるのだろうか。関心があったら、旅行をする前から自発的に情報を収集しているはずだ。

旅に行くとしたら?

「文化、歴史、地理」あるいは「移動手段そのもの(電車、飛行機など)」への関心が湧いてこない限り、純粋に旅に行きたいとは思えないかもしれない。ただ、もう少し不純な(?)動機で旅に行く可能性はある。

風景への憧れ

近所では見られない美しい風景のためなら遠出する価値を感じる。近所にも「まだ見ぬ景色」はたくさんあるが。

移住先の下見として

私たちは妻の仕事の事由で首都圏に住んでいるだけで、本当は人口過密地域から抜け出したい。将来的に移住する可能性は十分にある。「移住先の検討」という名目で旅をするのも面白い。

野球観戦やライブのついで

旅行のように急に冷める可能性もあるが「野球観戦」にハマっている。さまざまな球場で観戦したい欲があるので、野球観戦のついでに観光することはありそう。

音楽ライブの多くは首都圏で開催される。とはいえ、地方でのみ開催されるライブもあるので、音楽ライブのついでに観光をする可能性はある。

あとがき

旅行への熱が冷めて、少し寂しい気もするし、一皮剥けた気もする。

今までやってきた「観光地に行った実績づくり」も良い思い出にはなっている。ただ、かつてのように能天気に旅を楽しめなくなったのは残念だ。旅を楽しむハードルを自ら上げてしまった。

一方で日常の満足度が向上すると、非日常を求めなくなるのは発見だった。強力な非日常感がなくても満足に暮らせるのは、あらゆる面でコスパが良い。これを機に、人が旅行に魅了される理由を考えてみたい。

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