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「それ、なんか意味あるの?」と言われたら幸せな証

Q. これはどんな記事?
A. 勉強を切り口として「目的達成のための行為」と「行為それ自体が目的化している行為」について考えた記事。無駄に長い。

私は定期的に資格を取得している。なぜなら、勉強が楽しいから。勉強そのものが目的化している。しかし、資格と言うとすぐに就職やキャリアアップと結び付けられる。何らかの目的があり、勉強はその手段に過ぎないという発想だ。このギャップについて考えてみる。


役に立たない資格勉強

私は現在、FP2級の勉強をしている。FPとして就職したいわけでもなければ、FPを名乗って金儲けがしたいわけでもない。単にFPの勉強をすることが目的化している。

もちろん「合格」という明確なゴールはある。しかし「合格」はわかりやすい指標に過ぎず、合格したところで何も起きない。「100円払ったら合格にしてやる」と言われても払わないし「この錠剤を飲めばFPの知識が記憶される」と言われても飲まない。いわば、勉強という娯楽を楽しむ枠組みとして資格試験を活用している。合格証は副産物でしかない。

(余談)なぜ、資格試験?

勉強が目的ならば資格を取る必然性はない。しかし、資格試験は勉強を楽しむ枠組みとして便利すぎる。

  • 学ぶべき知識が体系化されている

  • 参考書が多い

  • 解説サイトなどのネット情報も豊富

  • 試験を通じて習得度合いを評価できる

枠組みを活用せず、専門書を頼りに学問を深めるのも悪くない。しかし、知識の習得度合いを確かめづらくモチベの維持が難しい。なにより、難解な専門書を何冊も読解する賢さが必要だ。その意味で、資格試験は凡人にもやさしい(難関資格は知らん)。

役に立たない行為こそ幸せ

私にとっての資格勉強のように、役に立たない行為こそが幸福なのかもしれない。資本主義社会において「役に立たない」は「金にならない」と言い換えられる。苦行に耐えて金を得るよりも、金を求めずに行為そのものを楽しむ方が良いのではないか。

哲学者の至言

この手の話は、大体過去の賢者が答えを提示している。アリストテレスは「キネーシス(運動)」と「エネルゲイア(活動)」という考え方を提唱したらしい。

キネーシス(運動)
目的やゴールが未来にあり、そこに直線的に向かうような行為

エネルゲイア(活動)
行為の中に目的があり、それ自体特に決まったゴールがないような行為

レタスクラブ『成功者はみな努力せず楽しんでいる! ゆるっと哲学(2)』

アリストテレスは「エネルゲイアこそ人生を楽しむ秘訣だ」的なことを言っていたようだ。未来のために現在を犠牲にするのがキネーシス、現在において現在を楽しむのがエネルゲイアとも言える。

幸せに生きるコツ

たとえば、飯を食うための労働(賃金労働に限らず広義の労働)はキネーシスだ。その意味でキネーシスは生きていく上で不可欠。ただ、キネーシスに囚われ過ぎるのは良くない。キネーシスは結果が重視されるので、結果に至るまでのプロセスは「我慢」や「苦行」に成り下がる。

一方、エネルゲイアは行為の最中で満足感を得られる。ゴールに至ろうと取り組んでいるだけで楽しいのだ。プロセスから満足感を得られるので、結果はオマケでしかない。

これらを踏まえると、キネーシスは生命維持に寄与する範囲にとどめ、残りの部分はエネルゲイアで埋める方が幸せなのだろう。すなわち、生命維持コストを下げることと、無目的に楽しめる行為を発見&深化することが幸福の秘訣と言える。

退屈の処方箋は勉強

私にとって資格勉強はエネルゲイアのひとつだ。ここ5年間、毎年何らかの資格を取得している。TOEICの点数を無意味に上げたりもしてきた。資格自体はクソの役にも立っていない(金になっていない)。しかし、勉強それ自体が充実しているし、習得した知識は日々の暮らしに彩りを与えてくれる

知識は雪だるま式に増えていくので、勉強は半永久的に楽しめる。たとえば、少し前の新聞に「イールドカーブ・コントロール(YCC)がウンタラ〜」という記事があった。私はFPの勉強でイールドカーブを学んだばかりだったので、興味を持って読んでみた。もし、FPの勉強をしていなければスルーしていただろう。イールドカーブという用語を学んだおかげで、YCCによる景気政策を学ぶきっかけを掴めたのだ。

人生は暇つぶしゲーだ。暇を潰せなくなったら退屈という悪魔が顔を出す。知識が増えれば日常生活で得られる刺激も多くなり、退屈を遠ざけられる。興味・関心の幅が広がるし、ひとつの事柄をあらゆる面から面白がれるから。偉そうなことを言っているが、私は浅学にして非才の身である。これからも勉強を楽しみ続けたい。

退屈について語ると余計に長くなってしまう。今回は退屈についてのオススメの本を紹介するにとどめておく。

それ、何かの役に立つの?

私は資格勉強だけでなく、新聞や本を読んだり、gaccoで無料のeラーニングを受講したりと色々な方法で勉強をしている。「そんなに勉強してどうするの?」とか「それを学んで何かの役に立つの?」と言われるが、これは幸福な証。なぜなら、それらの勉強はエネルゲイアだから。

「なんでそんなことしてるの?(そんなことしても意味ないだろ…)」と言われたら喜んで良いのだ。

最後に、エネルゲイアを追求するには十分な生活基盤が前提となる。世界を見渡すと、生活基盤が整っていない人たちもたくさんいる。「エネルゲイアを追求できるのはありがたいことだ」との認識を忘れてはならない。

あとがき

私は勉強は好きだが「楽しめない勉強」を自分に課すことは苦手。これができなくて第一志望の大学に落ちている。目的意識が弱いのか、我慢が苦手なのかは不明だが、目的のために自分を律するのは苦手かつ嫌い。

学生時代の部活も、バイトも、サークルも、そして会社すらも「目的達成のための苦行」的な要素が強くなると逃げ出してきた。「やりたいことはやる」「やりたくないことはやらない」という、世間的には許されない生き方をしてきた(している)。

しかし、不思議と困ったことがない。周りの人に恵まれていたのか、あとになって大後悔するのか、そもそも苦行推奨文化が誤りなのかはわからない。まぁ、いいや。

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