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人との出会いと自己開示の先に、なりたかった自分が待っていた。後編

こんばんは、前回の記事の続きです。

とある勉強会中に自己開示しまくった私は、その後の食事の席で自分の両親を想い、涙が出そうでした。ある感情に気づいたからです。いや、気づいたというより心から受け入れられたからだと思います。

“私は両親が大好きだ”ということを。

私は最近でこそ今の生活をさせてくれる両親に感謝の念を抱いてはいたものの、ずっとどこか恨んでいました。不登校時の凄まじい登校プレッシャーに始まり、学校へ行けない私の存在すら認めてもらえなかったこと、理解しようともしてくれなかったこと、しつけの仕方、今でも認めてもらえていると感じられなかったこと、二次的症状に私が今でも困っているのも全部両親に大きな原因があると責めていました。態度に出したり恨みの強さは年々減ってはきていましたが、恨む気持ちは完全に消せるものではありませんでした。恨みや復讐心は何も生まないことを頭ではわかっていても、両親のせいにしていないと、恨んでいないと自分を保てなかったのです。

そんな私が蓋をしてきていたもう一方の気持ちがありました。今回気づいた両親が大好きだという気持ちです。これは恨みと両立できません。感謝することもずっと難しかったです。恨んでいる対象が大好きなんていう矛盾が自分の中にあったら分裂してしまいます。もう忘れるほど埃をかぶった感情でした。

ただ、なぜかあの食事会のタイミングで私は石版のように重い蓋を軽々と開けることができたんです。ああ、ずっと私は両親のことが大好きだったんだ、と。そして大好きでいいんだと受け入れられました。

それがなぜできたのか、なぜあのタイミングだったのかは、この日の勉強会や定期的に通っている不登校支援のセミナーでの自己開示が影響しているのではないかと考えています。まず他者に話す事によって自分の状況を客観的にみられるようになったこと。そして受け身な障害者施設の利用者としてではなく、ガレット一個人として、主体的にありのままの自分を認めてもらう体験を何度も繰り返したことで、誰かを恨まなくてもやっていける、生きていけると自信がついたのではないでしょうか。それらの結果として本当の気持ちに立ち返ることができたのだと思います。

親を恨まなくていい、むしろ大好きだという気持ちで生きることは、私にとって天地がひっくり返るほどの変化です。恨まない≠全てを水に流すなのですが、晴れ晴れとした気分になりました。親への態度も変わっています。対話が増え、いい歳して恥ずかしいですが今までしたくてもできなかった甘えも出ていると思います。

心から両親のことが大好きな自分。自分でも忘れていた、なりたかった自分です。

大好きな父と母にできること、少しずつ行動に移していきたいと思います。不登校から生まれた亀裂で今までバラバラだった家族ですが、これから大好きな両親と良いチームになりたいです。

#元不登校 #元ひきこもり #本当の自分 #家族 #両親 #不登校

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