もう一人の自分が勝ちそうになる

ふだん、自分の人格というのは、「一人」というか、「自分」、もしくは「私」として全ての事柄を考え(まぁ、考えないこともあっても)生活している。(ここまでで、すでに伝わるかわからないけれど)

この度、ブランドとして、初めてアウェイなエリアでの販売会の声がかかった。もちろん、挑戦する。『今年は「NO」は言わない年』と決めているので、即決で、「やります!」だった。(不安はハンパナイが...)

そして、今、日が近づくにつれて、とてつもなく忙しい、というか、初めてのことだから、日々、やることがでてくる&やりたいことがでてくる。まぁ、やりたい仕事だし、忙しくしている方が好きだから、こなしてやるー!という勢い。でも、精神状態はちょっと危うい時もある。「誰も来なかったらどうしよう?」「ひとつも売れなかったらどうしよう」「この準備間に合うのか?」「これとこれ、どっちにしよう」「装飾はどうする?」など、とにかく心配・不安が募っている。

そして、上記のような質問系の疑問を、心の中で、ひたすら会話している。

「○○どうする?」「○○どうしよう?」

移動中の電車の中では、ほとんどこの会話。

日が迫ってきたら、会話が弾む弾む(笑)

そして、気づいた。

この質問系の会話は、「いつもの私」で、この質問たちに答えているのは、「もう一人の私」。

会話が弾んでくると、「もう一人の私」の出番が半端なく多くなって、なんだか乗っ取られそうになってきて。。。「もう一人の私」って、なんだか男言葉だったり、断定的だったりやたら理性的だったりするんだよね。なんなんだろうな。私であることには変わりないはずなんだけど、なんだろうな、この感覚。こいつに乗っ取られそうなんだよなー。

って、もう一人の自分の方が人格として勝ちそうになる、っていうもどかしい感覚&不安を抱いた一日でした。

がんばろ。

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