【映画の中の詩】『欲望という名の電車』(1951)
「欲望」という名の電車に乗って
「墓場」という電車に乗り換え
六つ目の角まで行くように言われたんです
「極楽」に着いたら降りるようにと――
エリア・カザン監督。原作はテネシー・ウィリアムズの同名戯曲。
主演ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド。
南部の裕福な名家に生まれ職業は高校教師という未亡人ブランチ(ヴィヴィアン・リー)と粗野で暴力的な貧しい職工スタンリー(マーロン・ブランド)という分かりやすい対比。
もっともブランチの家は没落し、彼女自身も不行状(男と酒)が理由で教師の職を追われ、逃げるようにスタンリーの妻となっている妹を頼って、この街にやってきたのですが。
ブランチの正体を知らずに彼女に思いを寄せるミッチーとの場面。引用されるのはエリザベス・バレット・ブラウニングの『ポルトガル語からのソネット』の43番。
このシーン、ただロマンティックな雰囲気を出すだけのために詩が引用されているとは思えない。
テネシー・ウィリアムズはなぜブラウニングを引用したのだろう。
そしてなぜブランチはブラウニングを好きだと言ったのだろう。
それは同じく『ポルトガル語からのソネット』の別の知られた詩を暗に思い起こさせようとしているのではないだろうかと、ふと思ったのです。
エリザベス・ブラウニングとロバート・ブラウニング。文学史に残る詩人夫妻の恋愛物語ではあるが、エリザベスがロバートと結ばれた時には彼女は四十歳を越えており、しかも六歳年上だった。
その彼女が、顔立ちやしぐさが好ましいとか、また性格が合うからだとか、そんな理由のつけられる愛し方ではなくて、「ただ愛のためにのみ愛して欲しい」と訴えかける、ソネット14。
これはまさにブランチの願いそのものではないでしょうか。しかし、映画は残酷な結末を迎えます。
そのような永遠の愛などは望んでも得られるはずもなく、スタンリーにすべてを暴露されてミッチーは去り、ブランチは精神の均衡を失っていき、やがて崩壊してしまうのでした。
そして映画を離れて現実に戻った時、この映画で『風と共に去りぬ』に続いて二度目のアカデミー主演女優賞を受賞したヴィヴィアン・リーの演技はもちろん素晴らしいのですが、彼女自身が実際に苦しみ続けた心の病と重なってしまい、痛ましい思いを抱いてしまうことは避けられないのです。
参考リンク:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1335731/1/91 『十四行詩(ソネット)―ポルトガル語からの―』(石井正之助訳) 世界詩人全集 第3巻 河出書房
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