【映画の中の詩】『紅唇罪あり(”Baby Face”)』(1933)
ベビーフェイスの聖なる悪女
バーバラ・スタンウィック主演の問題作です。
少女のころから父親と彼の経営する禁酒法違反の酒場の客の男たちに性的搾取を受けてきた娘リリーが、なぜかニーチェかぶれの靴職人の男から権力への意志こそ人間の行動原理である、とふきこまれ、その実践をすべく親友の
チコとともにニューヨークへと向かいます。
大手銀行にもぐりこむと上司からその上司そのまた上司へと次々に踏みつけにして、最終的には頭取を自殺未遂にまで追い込んでゆくという、とんでもない悪女なのですが、スタンウィックの好演とその色香に簡単に陥落してしまう男たちのだらしなさ、加えてニーチェ哲学の実践というバックボーンが彼女の行動にある種の求道者の趣を与え、妖しくも美しく、神々しささえ放つのです。
ただ、最初の公開時には検閲により彼女の行動原理となっているニーチェ哲学に関する部分がすべて削除されてしまい、ラストも改変され、悪事は報われぬ的なオチの平凡な話にされてしまいます。
またリリーとチコという女同士、しかも白人と黒人という異人種の二人の関係が「友人」というには、あまりにも親密すぎるのでは・・・という疑いを抱かせるような描写もあったりと、古い映画ですが、いろいろ見直されるべき内容が含まれています。
現在では検閲前後の両方のバージョンを見ることができるので、当時の映画界の自主検閲制度、いわゆる「ヘイズ・コード」がどのようなものだったのかを知ることができる、と言う意味でも注目される作品となっています。
参考リンク
「…そして、まるで無修正映画のようでした!」: ハリウッドにおける性的緊張とコード化前の身体
https://www.screeningthepast.com/issue-43-first-release/and-there-we-were-like-an-uncensored-movie-sexual-tension-and-the-pre-code-body-in-hollywood/
映画 エッセイ"Baby Face" Baby Face By Gwendolyn Audrey Foster
https://www.loc.gov/static/programs/national-film-preservation-board/documents/baby_face.pdf
知られざるプレコード映画の世界(2)ニーチェにかぶれたヒロインが悪賢く人生を取り戻す『紅唇罪あり』
映画『ベイビー・フェイス』(1933) の検閲と無検閲の形式の比較分析を通じて、ハリウッドの自己検閲の遺産を追跡する モーガン・ベス・ロックハート著
Tracing Hollywood’s Legacy of Self-Censorship through a Comparative Analysis of the Film Baby Face (1933) in its Censored and Uncensored Forms by Morgan B. Lockhart
悪女、ニーチェ、そしてセントルイス・ブルース。ジョーン・クロフォード主演の『雨』。
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