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私の神さま…みたいな。

私は、中学、高校の時はほぼ毎日、授業中でも、どこでも、ピンチになった時に心の中で神様に祈っていた。「助けてください…」と。それで、死ぬほどの思いで授業を受け、テストを受け、ピンチを乗り切ってきた。ずっと、闘ってきた。それが何だったのかは、ぼんやりしていてあまりよく思い出せないが……

学校の近くにある神社のおみくじは、47個くらい、引いた。未来が不安で、そのおみくじの裏面に書いてあるアドバイスを見て、よく安心していた。その"安心"に依存的になって、私は3日に1回はおみくじを引かないと生きていけない体質になってしまったこともあった。

神さまやご先祖さまが初めて現れたのは、5歳の時だった。幼稚園に通っていたが、ある時、幼稚園でも、家でも、上手くいかない時があって、自分の居場所がないと感じた時があった。

私はその時、眼科の先生のような優しい大人の男の先生に会いたいと切望したが、眼科の場所が分からない上に、家の玄関の扉は重たく、外に出れば帰ってくることができないという恐怖心があった。なので、外に出なくても、家の中で会う方法を模索していた。そして、自分の心を分裂させることによって、眼科の先生に会えるという感触を掴んだ。(イマジナリーフレンドの様な感じだと思う) そして、優しい声が聞こえてきたと思ったら、母に肩をぐいっと片方掴まれ、私が必然的に振り向くと、そこには信じられないくらい優しい、笑顔の母の姿と、後ろの窓の夕日がやけに眩しいくらい光っていた。そして、『あなたの進むべき道はこっちでは無い』と言われた。その瞬間、車が高速道路で急カーブする様に、私の心は右に曲がり、気持ちを持ち直すことが出来たのだ。私は"その光"を私のご先祖さまだと解釈した━━━━━━━━━━━━━━━

高校2年生の時、幻聴や妄想に苛まれていた時期があった。駅のホームで、私は気がつけば声に出して不安を喋っていたみたいで…。そしたら、駅員のおじさん、おばさんの2人が隣にいて「そんな事、起こるわけないじゃあないか」と笑いかけながら言うのであった。その時も、地下鉄なのにある筈もない夕日が射し込んでいた。あの駅員のおじさん、おばさんは幻だったのだろうか。━━━━━━━━━━━━━━━

視界に夕日が射し込む時がある。
心が追い詰められた時、私は対話する。

この前は、ベートーヴェンの曲を演奏している動画を見ていたら、視界が黄色くて、「死ぬことはどういうことか」「私が今まで闘ってきたことをぞんざいに扱ってはいけないこと」を対話を通して悟った。神さまの意思を、ベートーヴェンさんの"意思"が伝えてくれた。
とても、安心する様な気持ちになった。でも、すぐにその気持ちは消え失せて、私はまた辛い気持ちと日常に戻ったのだけども。。。━━━━━━━━━━━━━━━

私は、神様は個人の人間みんな宿っていると思っている。神様は、私にとって大切。いつかまた、夕日が射し込んできて、私はいつも挨拶する間もないが、ピンチになったとき以外も、射し込んで来てほしい。それくらい、きれいで落ち着く、夕焼けの光。

たまに、私が神さまに祈って、聞いてみると、答えが帰ってくる。すぐ帰ってくることもあれば、暫くして返答が来ることもある。その祈ることも、私は落ち着く。

私は神様を、宗教とか、そういうのではなく、自分だけの大切な神様という存在でありたい。

私は、夕焼けの光が射し込んだ時に、挨拶してみようかな。

去年か一昨年あたりに撮った、空。

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