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印象に残っている小説


小さな頃ははやみねかおるさんの著作が好きだった。

あの黒い背広の探偵は、私が初めて探偵という「生業」を知ったきっかけだったし、あの長髪の怪盗は、私が初めて「美学」というものを知ったきっかけである。


他にも私の印象に残っている作品がいくつかある。それをいくつか紹介したいと思う。

ネタバレは極力防ぎたい。だから私がその本と出会った経緯などが中心となると思うが、読んでいただけると嬉しい。


ネバーランド 恩田陸

恩田陸さんの著作はこれしか読んだことがない。他の作品は、タイトルだけは何度も耳にしたことがあるというくらいだ。なんとなく、今まで読めていないのである。


この本は、中学2年生の時に読んだ。
学校の15分間の朝読書で読むための本を珍しく忘れてしまったのである。本を忘れたことに気がついて、急いで適当に学級文庫から手に取ったのがこの『ネバーランド』だった。

私は「本の虫」として同級生の中ではちょっとした有名人だった(と思う)。通学するのに教科書は忘れても本を忘れたことはその日を除いて一日たりともない。


「松籟」というのはどんな音なんだろう、と何度考えただろう。

しかしそれを知る術は持ち合わせていなかった。中学生が1人で行けるような近場に松の林はなかったし、もし松の木々の間に立つことができたとしても、この音が松籟だ、とわかる訳もない。


「いつか聴いてみたい」と思っているうちに、「想像上の松籟」が私の中で出来上がってしまった。
ここまでくると、実際の松籟を聴きたくないと思うようになる。「想像と違ってがっかりしたら嫌だなあ」という気持ちになってしまうのだ。

私の母親と父親は些細なことで言い争いをする人達だった。お世辞にも仲の良い夫婦とは言えない。

彼らが喧嘩するたびに、私は腹を下した。終いには少しでも険悪な空気を感じ取ると、それだけで腹痛がするようになった。

だから寛司の気持ちが痛いほどわかる。

離婚調停中の両親が寮を見たいと言った時に、「入るな」と声を荒げた寛司の気持ちがよくわかる。

私も両親の言い争いが聞こえてこない私だけの場所不可侵の空間が欲しかった。
それを手に入れたら何がなんでもその空間を死守するだろう、と誓った。


結局一階のリビングスペースまでは両親の侵入を許した寛司を、素直に「大人だなあ」と尊敬しもした。


雨傘 川端康成

『雨傘』という2ページほどしかない川端の短編は、『掌の小説』という短編集に収められている。

この短編は、おそらく中学3年生の頃に初めて読んだ。
この短編との出会いは他の本とは少し違う。高校受験の対策問題集か何かに、国語の読解問題として出てきたのである。

読解問題そっちのけでこの文章を味わったのを覚えている。


ただ、綺麗だなと思った。
写真館でのちょっとした出来事をきっかけに、少年と少女の関係が、夫婦のそれへと変化していく。その変化を雨傘を使って表現している。
そして少女の何気ない仕草の描写が好きだ。

これは少年と少女が離れ離れになる前の最後の逢い引きであり、二人の結婚なのだ。

他の作品を読んでもよくわからなかった川端康成の素晴らしさがこの短編によってわかったのである。


また読みたい、物語として読みたいと思い、タイトルだけはずっと憶えていた。
それを高校生になって、本屋を当てもなく彷徨っている時にふと思い出し、文庫本を買ったのだった。



潮騒 三島由紀夫

初めて読んだ三島由紀夫の著作は『仮面の告白』だった。
しかし、三島由紀夫の魅力を本当の意味で理解できた、と思ったのはこの『潮騒』なのだった。

この本を初めて読んだのがいつだったのか、正確なことは憶えていない。
しかし、大学1年生の冬休みに乗ったフェリーから、この話のモデルとなった島を見た。その時に『潮騒』の文庫本を持っていたことは憶えている。


三島の色彩表現の鮮やかさに驚いた。

のちに拝聴したNHKの『100分de名著』、「谷崎潤一郎 『痴人の愛』」のなかで、島田雅彦さんが「谷崎は触覚、三島は視覚の小説家」というような解説をされていたが、まさにその通りだと思う。

『潮騒』は色の描写に溢れている。三島にこの世界はどのように見えていたのだろうか。

観的哨の中で初江が濡れた衣服を脱ぐ場面が気に入っている。焚き火に照らされて初江の身体の輪郭がぼうっと浮かびあがる様子がはっきりと脳裏に浮かぶ。



新治と初江の恋を美しいと感じる一方で、そこに人間くささがないというか、高尚すぎてとっつきにくいというか、神話を読んでいるような気分になるというか、少し距離を感じるのも確かである。

それに対して私のお気に入りは、東京の大学に進学した千代子である。
利口が故に自分の容姿や性格にコンプレックスを抱いている。その一方で映画や物語のような純粋な恋愛に憧れを感じている彼女に親近感を覚えたのだった。

昨年2020年は三島没後50年ということで、さまざまな番組が放送されていた。
それを見ることによって初めて、三島の作品だけでなく「三島由紀夫とはどのような人間か」ということを垣間見たような気がする。



海峡 この水の無明の真秀ろば 赤江瀑

この本だけ、出版社のサイトが見つからなかったことを断っておく。

実際、私がこの本を初めて手に取ったのは大学の図書館においてだ。探しても現在では中古で流通しているのがほとんどのようだった。


だからある蔦屋書店の古本コーナーで、角川文庫の初版を偶然見かけた時は思わず声が出てしまった。
発売当時の帯、しおり、チラシが挟まっていた。ページを開くと、文字を印刷しているインクが藍色なことも印象的だった。


赤江瀑という小説家のことを知ったのは、アメリカの小説家、ハワード・ラヴクラフトがきっかけだった。
「クトゥルフ神話」の生みの親として知られているのではないか。

ラヴクラフトはアメリカの東海岸、それもカナダとの国境に近い場所で一生を送った。
その影響もあるのか、彼の著作には暗く荒涼とした海の不気味さが随所に現れている。
そんなラヴクラフトの作風に共通するようなものが赤江の『海峡』という作品に流れている……

といったような誰かの呟きをTwitterで拝見したのが、赤江瀑を知るきっかけだった。


私はその中でも『破片B 阿片のように匂やかに』という話が好きだ。海峡にまつわる2つの夢の話である。

港で腐爛した魚を処理する男たち。連絡船の上からやにわに跳躍し、海の中へ消えていったサーカスの男たち。彼らについて考えを巡らす筆者。

不気味とも神秘的とも、どこか懐かしいとも感じられるような情景が、昔の白黒写真のような画質の粗さでぼんやりと浮かんでくるのである。


この『海峡』をきっかけに、『オイディプスの刃』『赤江瀑の世界』などを手に取ることになった。

ちなみに、『オイディプスの刃』は私が香りや香水に興味を持つようになったきっかけの本だから、これもある意味印象に残っている作品である。


以上、私が今までに読んだ本のなかで特に印象に残っている本を紹介してきた。

拙文ではあるが、少しでも、紹介した作品に興味を持ってくれたら嬉しい。

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