怒られキャラを引き受ける
会社に勤務していた時のこと。
ずっと年長世代とのコミュニケーションのギャップについて考えていた。
どういうことかというと、年長世代は会議ではなく飲み会の場で何かを教えたがる。説教くさいことは会議の場では絶対に言わないが、飲み会ではベラベラ話す。自分は飲み会は好きだが説教くさいのは嫌いだったので次第に距離を置くようになった。
年長者は飲み会で説教くさいことを言った後に必ず「これってパワハラかな?」と笑って言ってた。
なんとなくわかってきた。
パワハラ認定されるのが怖くて、パワハラにならないように部下に教えることが難しくて、それで酒の力を借りて、居酒屋で説教してたんだなと思った。
でも次第にそれをめんどくさがる人と常についてきてくれる人に二極化するようになった。後者の人を仮にAさんとする。
Aさんは飲み会的なコミュニケーションに耐性がある人だとわかったのか、Aさんは会議室でも説教されるようになった。怒られる人がAさんに固定化され、Aさんはチームの中で怒られキャラになった。
僕のチームはそれで助かっていた。年長者も威厳を保てるし、僕らは怒られないで済むしハッピーだった。Aさんを除いては。Aさんは会社を辞めた。
パワハラやセクハラがあまりにもタブー化されることで、
パワハラやセクハラが当たり前の環境で生きてきた年長者は、
コミュニケーションの手段に欠損が生じている。
その欠損を埋めてくれるのはAさんのような耐性が強い人間だった。
怒られキャラを誰かが引き受けてくれることで会社は秩序が保たれた。誰もが1人の犠牲の上に恩恵を受けていた。
古いやり方を捨てることは難しい。誰しもがそれに頼りたくなる。古いやり方が許されない社会になった場合、古いやり方でコミュニケーションできる人間に依存するようになる。その依存が1人の人間に重い負荷をかける。
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