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不謹慎狩りと司法の厳罰化

世論の温度と司法の温度が対立するときに、司法の温度を世論に合わせようとする動きは出てくる。

例えば侮辱罪の話。SNSによる誹謗中傷で亡くなった有名人の方の遺族が訴訟を起こし、それに対する過料が1万円未満だったことで、侮辱罪をもっと厳罰化して、行為の結果に対して適切な責任を取らせた方がいいという世論が一部で盛り上がりを見せている。

厳罰化に賛成反対とかではなく、このような議論が出てくるのは当然の流れだなと思っている。それは昨今明らかに司法による制裁よりも世論による制裁の方が加害者を復帰不可能な致命傷に追い込んでいるので、司法レベルの制裁がどうしても軽く見えてしまうからだ。日本は司法消極主義なので世論の沸点が高まったくらいでは、立法を差し置いて司法が解釈を変えることはない。従って、厳罰化を立法に促すのはよくわかる。

僕自身はこの厳罰化にまだ意見を決めかねていて、一方では、現在の日本はSNSで日常的に不謹慎狩りや加害者狩りが行われてしまっているので司法による制裁が十分ではないことによって、より一層加害者狩りに火をつけてしまうのであれば、厳罰化によってむしろ加害者への過度な攻撃を抑え、司法だけが責任を持って適切な制裁を与えられるという可能性もあるかも、とも思うし、

もう一方では必ずしも世論と司法の温度感を合わせる必要はないと思っており、むしろ司法と世論のバランスを取るような姿勢では、韓国から日本への要求のように、過去の日韓請求権協定では解決済みの問題を世論の沸点が高いから覆させろ、みたいな主張の筋が通ってしまうので対外関係としてよろしくない気もしている。

ともかく、これだけ世論の振幅が大きく、かつSNSで可視化されてしまう時代において立法者の責任はすごく大きい。世論に流されることなく適切な立法を行い、同時に不適切な立法の要求であれば世論を無視したり、世論に対立する強さも持っていなくてはいけない。

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