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砂漠の旅日記① 砂漠の夜

先週末にイラン(ペルシア)で人気のエコツアーに参加して、バラで名高いカーシャーンから少し離れた小さな砂漠アブー・ゼイド・アーバードへの旅に行って来たので、数回にわたって旅日記とイランの砂漠の話。
砂漠へのエコツアーが冬場に組まれるのはもちろん、夏場の灼熱の砂漠を避けるためで、冬砂漠の星空に抱かれるロマンチックなエコツアーは女性に大人気でした。
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砂漠の夜

イランについてよくあるイメージのひとつが、イランという国はアラビア半島のような広大な砂漠で、ターバンを巻いた盗賊アラジンのような男達や黒いチャドルにすっぽりと身を包んだ女性たちが、ラクダに乗って、灼熱の砂漠やはたまた月の砂漠を行ったり来たりしているというもの。特にペルシア語を少し学んでからイランでの駐在に向かう方たちからは、砂漠の国イランはロマンチックだけれど、住むのが大変そう…という心境からか、「イランでは車も使っているんですか?!」という質問をよく受けたものだ。

でも、実際のイランは「車も使っている」どころではなくて、今や大メトロポリスと変容した首都テヘランは実は、統計によれば(オートバイも含めて)400万台にも上る交通量を抱えた、アメリカも顔負けの車社会、交通渋滞の宝庫だ(!)交通渋滞のピークにはまるで街全体が巨大な駐車場と化してしまったようなテヘランに暮らしてみたら、今度はきっと、「車なんてまるでない月の砂漠でラクダに乗ってみたい…」とため息をついてしまうかも。

そんなため息がこぼれてしまった時には、やっぱり旅に出たくなる。
北はカスピ海、南はペルシア湾に面した広大なイランには、様々な気候帯と変化に富んだ手つかずの大自然があって、イラン全体は砂漠の国ではないけれど、豊かな自然のなかに砂漠も点在しているから。

渋滞のテヘランを脱出して、もてなし好きで暖かみに溢れたイランの女性たちが次々と勧めてくれる果物やお菓子を頬張りながら、バスの後ろに小さくなっていく別名「イラン富士」の雄大なダマーヴァンド山を見送りつつ、荒野を抜けるハイウェイを南下していき、ハイウェイなのにバイクの前カゴに羊を乗せて走っているおじさん(!)を見つけて驚いたりしているうちに、だんだんと旅の気分も高まってくる。

今回の旅は女性ばかりを乗せた貸し切りバスだったからか、ハイウェイに入るとすぐに大音響のペルシアンポップスをバックに、おなじみのベザン・ベクーブが始まって、私も10歳の娘も興味津々目が離せない。ベザン・ベクーブというペルシア語は直訳すると、「叩いて打ち付けろ」だからちょっと物騒だけど(!)、実はダフなどの打楽器を叩いて足を踏みならして皆で楽しく踊る昔ながらのペルシア式ディスコタイムのことで、昔も今も、イランの人々なら老若男女誰もがこれぞ人生の醍醐味!と思っている楽しみ事。そのうちに仲良くなった女性たちが目配せをしながら私と娘の手を取って、しまった!と思っても後の祭り… あっという間に私も娘もベザン・ベクーブに引っ張り出されてしまって、異国で女学生たちの修学旅行に迷い込んでしまったようなバスの旅が延々と時間を忘れるほどの賑やかさで続いて行くのだった。

テヘランを出発して5時間ほどで、夕刻にアブー・ゼイド・アーバード砂漠近くの隊商宿(キャラバンサライ)に到着した私たちは、隊商宿の広い中庭をぐるりと囲むいくつもの小部屋で荷を解いて、砂漠のキャンプファイヤーへと向かった。果てしない砂丘の他には何も視界にない一面の砂漠で満点の星空に抱かれて過ごす一夜は、イランの人々のあいだでもロマンチックな旅としてとても人気がある。大型バス2台で女性客たちばかりが繰り出した今回のエコツアーのお目当ても、実は砂漠の夜のロマンチックなベザン・ベクーブで、バスでのそれはほんの序章という訳なのだった…

イラン革命前からのペルシアの歌姫グーグーシュやハーイデや、最近流行りのイラン南部のペルシア湾岸ホーゼスターンのテンポのよい熱いポップスや、切ない恋心を歌ったロマンチックなペルシア式のディスコソングが他に誰もいない砂漠の星空に高らかに響くなか、キャンプファイヤーを見つめて頬を上気させた女性たちは、うら若き乙女たちも、大らかな家庭の主婦たちも、仕事に家事に忙しいキャリアウーマンたちも、一人また一人、親友や家族と手を取って、自由にしなやかにベザン・ベクーブに没頭していき、インスタ映えとばかりにハリウッド女優たちも顔負けのポーズを取っての写真撮影にも余念がない。初めての砂漠は、夜だったからもちろんとても寒くて、私も娘もセーターやダウンの上に更に隊商宿から持ってきた毛布を被るという着こみ方だったのだけれど、ふと悪戯っ気を出して、裸足になってさらさらとした砂のなかにそっと素足を潜らせてみると、表面はひんやりと冷たいのに、中のほうは太陽の余熱が残っているのか、とても温かかった。でも日中の砂漠はこれと逆で、表面は焼けるほど熱いのに、中のほうはひんやりと冷たいそうだ。足を砂に潜らせている間、もしかしてさそりが出て来てしまったらどうしよう?とふと心配になったけれど、冬場は冬眠していると教えてもらって、ほっと安心。

本格的なカメラを持ってきていなかったから写真には鮮明に写せなかったのだけれど、満点の星空は、カシオペアも、ひしゃく座の入った大熊座も、名前を知らない沢山の星座たちも、子供の頃に育った四国の田舎町で見ていた数倍もの大きさで煌めいていて、まるで漆黒の夜空に数千数万の大粒のダイヤモンドをひっくり返して大きくお絵かきしたような、信じられない美しさだった。そういえばイランでは、テヘランのような都会でも、沈んでゆく真っ赤な夕日も、そのすぐ後に上ってくる白い月も、やっぱり日本で見るよりずっと大きく、まん丸いスイカ大や、時には両手で大きく輪をつくったほどの大きさで迫ってくるのは、乾燥した気候によるのか、地理的な要因なのか、とても不思議だ。

この夜は真夜中に流星群も見られることになっていて、私たちがキャンプファイヤーを囲んでいた時も、前触れだったのか、小さな流れ星がいくつか視界を横切った。流れ星に願い事をつぶやくのは、イランも同じで、砂漠の星空を駆けていくロマンチックな流星に、誰もが何かささやきながら背伸びしそうな勢いで見とれていた。聖者廟(イマームザーデ)での願掛け(ナズル)や、願掛けのためにつくる手料理のお裾分け(ナズリー)の文化が根付いているこの国では、人々が願い事や祈りにかける一途なエネルギーは半端じゃなく真剣で、皆のささやくような祈りの声がゼムゼメ(微かなざわめき)となって聞こえてくると、きっと誰の願い事も叶うような気がする。気づくといつの間にか大音量のディスコソングも消されて、誰かが伝統楽器キャマーンチェ(ペルシアの胡弓)を奏でて古い民謡を歌っていた。火を囲んでのベザン・ベクーブで熱く始まった砂漠の夜が、いつか静かに優しく過ぎていくのだった。

真っ暗な夜更けの砂漠は静けさが漂うばかりで、寒さをしのごうとキャンプファイヤーの炎と暖を取るかのようなベザン・ベクーブにしがみついていた私たちは、砂漠の様相にはほとんど何も気がつかなかったのだけれど、夜更けに隊商宿(キャラバンサライ)に戻ってからも、砂漠の砂のほんわりとした暖かさや、星たちの輝きや、星空の下で煌々と燃えていた炎や、皆で頬を上気させて踊ったり語ったりした熱っぽさが、余熱のようにいつまでも体に残っていて、明日は早いというのに誰もが遅くまで眠れなかった。隊商宿(キャラバンサライ)の小部屋のざらざらとしたレンガ壁にもたれて、素足を潜らせてみた砂漠の暖かで優しい感触がいつまでも消えなかった。

明日は砂漠でラクダの旅… 砂漠の旅日記とイランの砂漠の話はもう少し続くのでお楽しみに!


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