最近見た映画(2024/5)

・最近見た映画について書きます。5月に見た映画。

・①『トラペジウム』

・公開初日にバズ狙い構文でこき下ろされた気の毒な作品。本当に気の毒だと思うね、誇張抜きに。かなり面白かったと思うから。原作も読んだ。これを見て東ゆうの強烈な目的意識の奇妙さにしか目が向かないのは勿体ない気がする。東ゆうが自分のことしか見えていないのは、それはそうだし、それで順当に失敗するのは当然と言えば当然。そのあとに残ったものは何なの、というのが中盤以降の主軸なテーマ。東ゆうは言ってしまえば信頼できない語り手に近く、自分のことしか見えていないけど、他の人物にとってはどういう人間なのか、という方が、やっぱり重要な作品だったんじゃないかなぁ、と思う。これにトラペジウムってタイトルを付けるのはかなり格好いいなと思った。マジでそうじゃん。それにしてもいたずらに扇動的なだけのバズ狙い構文を使う人は恥ずかしくないのかね。水面の月をショベルカーで掬おうとするのは愚かな行為ではないのかしら。

・②『関心領域』

・アウシュヴィッツ強制収容所のすぐ隣に暮らす、収容所の管理人である軍人一家の話。映画館で見てよかったな。素直にそう思った。音響。鑑賞体験の映画。意図的に鑑賞者を退屈さのなかに引きずり込んだうえで「では改めてご覧ください」とお出しされる演出にけっこう度肝を抜かれた。そういう場面がちょこちょこ入る。数値ってデカくなればなるほど何かどんどん遠ざかっていく。ずっと思ってはいたけど、ちょっと増えたところで慣れていってしまう気がする。それが人命であれ何であれ。そういう意味で、あえて描き出された退屈さというのが、言ってしまえば本当に退屈なんだよな。冒頭ちょっと寝たし。とにかくめちゃくちゃつまんないの。びびるね。凡庸な悪という考え方を批判する一類型として「悪行を誰にでも行えるものとして過度に抽象化・矮小化すべきでなく、具体的な組織・個人を批判すべき」というものがあると思う。もちろんこの批判は正しいと思う。机上の犯罪者はおらず、存在するのは事実として悪に加担した者だけという話。一方で、この映画では上記鑑賞体験を通して凡庸な悪的なものが内在化されるプロセスを再認識したような気がする。そう捉えるのが楽なんだろうな。順応の圧力みたいなものがあるんだろう。関心を持つ領域を絞るってのはそういうことなんだろうし。

・③『青春18×2 君へと続く道』

・あ~~~、何か知ってるな~~~、という展開が続く。面白んだけど、この話、知ってるな~~~、という映画。でも展開よりそれぞれの画面のきれいさはよかった。きれいすぎるという批判もできるかもしれないけど。18年後の現代で主人公のジミーが日本で出会うバックパッカーの青年であるコウジとの1シークエンスがよい。でも、川端康成『雪国』の冒頭を引用するときの台詞が間違ってたな。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。「そこは」という指示語はない。それはさておき、画面の説得力はとてもある。不思議なくらいある。だからまあ、丁寧に作られていると思うし、話として破綻している訳では全くないし、面白いんだけど、ただ何か、知ってるな~~~、という気分になった映画だった。予告だとラブロマンスっぽいけど、そうかと言われると、どうなんでしょう、人生に立ち止まった中年男性が前を向くためのセルフケアの物語、青春時代との離別の物語と捉えた方が芯を食っている気がする。そう言う意味では確かにかなりミスチルかもしれない。『くるみ』のMVはそういうテーマの名作だから。

以上

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