子どもの時に考えていたことを思い出した話

2歳から4歳くらいまで園舎がなく、公園や里山で遊ぶ、青空保育に息子と参加していた。

入ってすぐは、ずっと不平をいってた。「なぜ今これほどまでに気をつかってこのように繊細にこれをしなくてはいけないか」がわからないまま、することが多かったからだ。

しかし、あるとき「ピッコロ」という森のようちえんの小冊子について、青空保育の保育者と話していた時に、子どもの頃、自分が何を思っていたか、一気に思い出した瞬間があり、それからやる気を出しはじめ、その延長線で、保育のしごとをすることになった。

とにかく子どもの頃は「なんで子どもには人権がないんだ」と、よく思っていた。自分で決められない。自分が感じたとおりではなく、大人が質問したとおりに答えないと怒られる、大人なのに、気分で怒ってくる。大人と同じように振る舞うと「生意気だ」と怒られる。

と同時に、本当に言葉で表現できなかっただけで、子どもは大人なみにいろいろ感じていたことも思い出した。

子どもの頃、大人によく「子どもっていいね、可能性がたくさんあるね」ってよく言われたけど、

それお前、何も言ってないのと一緒だよな、とずっと思ってた。大人が言う「可能性」という言葉からは、なんにも感じられなかった。大人は、その言葉の意味をわかっていなくても、さもわかったように言うんだな、と思っていた。そもそも、子どもがいいなら大人が悪いのか、だったらなんで悪い大人が子どもを叱るのか。

そのときは、言語化できずに 塊 で思っているだけだった。その塊をほぐし、分け、整理して言語化すると、子どもは大人と感じていることはなんら変わらない。たぶん覚えている限りでは3歳から、仕事場の子供たちを見ていると0歳くらいから。その、考える頭を使う方向が違うだけで。

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