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私はなにを教わったのか

私は会社の中では取締役であり、組織のとりまとめとして、新しい企画運営や社員教育、社員の健康づくり、経営者的戦略、経理、総務、月次決算など毎日の業務を務めている

そんな中、今日は健康経営のことについて私へ教えて欲しい事があると、相談をうけ、それまで自社がどのようにして健康優良企業を取得したのかを説明させてもらった。

お相手は、うちの会社に月一で健康体操を指導してくださる、女性のトレーナーさんだ。
トレーナーさんは個人事業者の集まりでやっている団体の職員ではあるが、厚労省で主催している健康経営の取得の仕方は知らないとの事。とある企業から、資料づくりをその方へ任せたいとお話を持ちかけられているので、とその手順について私を頼ってくれた。

ひと通り、自社でやって来た流れを事前準備や資料作りに必要なの内容を教えた。
しかし、結局のところ最終的に資料を作成しなければならないのは、そこの会社(企業)の担当者であることの説明もした。
作成することの手伝いとして、そこの会社で健康経営をやっていく上で現状の把握と課題の洗い出しなどをトレーナーさんが聴き出してあげられれば、それを会社の取組として掲げるのなら、手伝えるのでは、と私は提案した。
もちろん資料作りの一から10までトレーナーさんが仕事として引き受けてやる、のは自由だ。
そこにはとやかく言うつもりは毛頭ないが、規模を聞くと60人ほどの製造業をやっている会社らしい。
健康経営をやっていく上で一番弊害となるのは、会社の方針を新しく掲げたことで、仕事がひとつ増えると勘違いをした人から反発が起こることや、理解してくれるまで、時間もかかる。
そして、そのプランを考えた人の行動を今度は厳しく見られる。
もし、健康経営を始めるのならその発起人は覚悟を持って自分が動き行動で示して行かなければ、他の人が資料を作って申請したとしても、継続して取得していくことは出来なくなる、と私は思っているので、やっていこうとする会社さんの手助けになったらいいですねとお伝えした。


トレーナーさんがお帰りになり、
私は社長から急にこっぴどく怒られた。

事務所の横に会議室があるので、私たちの会話はとなりの事務所にいる社長は全て聞いていて、私が言ったことに対して、
「お前はどうして余計なことを言うんだ」と怒り口調で言ってきた

どうやら、その仕事を引き受けるトレーナーさんに対して、私の感情など1ミリもいらない、企業対企業としてお前は会社の取締役として話す内容じゃないだろ、が社長のおっしゃったことだ。

私は今、誰と話をしているのか、
社長から仕事の話を指導されているこの状況で、
お前、と呼び、仕事の指導をするような言葉では無い言葉の荒らげ方で私へ怒り散らした。
そして、私が手順を教えた事で
「間違った情報は言ってねぇだろうな、」と釘を刺すようにその手順について、トレーナーさんへ伝えたことを何度か念押しで聞いてきた。
私は当時から私が申請して、全て自社で作成しているので、その資料もとっておいてあり、流れも把握した上で、参考になれば、と言う思いでトレーナーさんへお知らせしたが、その責任の所在がもしもうちのせいだと言われたらお前はどう責任取るんだと、

まぁ下手なことを私が言ってもしも申請したのが通らなかったから訴える、となった時に責任とれるのか、を心配していたらしい。
私の心配ではなく、私がトレーナーさんから頼られたことを安請け合いしたことで、会社が被害を受けることになるかもしれないという、社長なりの危機管理なのかもしれない。

が、

私には
その怒りも、指導も、言葉から発せられるもの全てが、なにを私は今教わっているのだろう、と、はじめはわからなかった
健康経営も、会社の新しいことを任せてもらえ7年目でようやく社員同士のコミュニケーションがとれるようになり、3年前から黒字経営へも転換でき、色んなところから取材を受けたり、評価をして貰えることが増えてきていると、私なりにやってきた事が報われていると実感していたが、結局は私は信用も権限も与えられていないのだ。

と、聞きながら頭の中で整理するがその時には
まだ私には到底理解出来なかった

帰りの車の中でも沈黙が続き、仕事が終わっているのでもうスイッチ切り替えて夕飯何にするか、と夫婦の会話を心がけるが、相方はまだ仕事モードの怒り奮闘。

帰宅後なにかを感じ取った娘が私たちに声をかける。
娘には悟られないようになるべく普通に話をし、旦那は娘にはいつも以上に優しい声で話しかける。

は、マジこいつムリ

今は家の中なので引きづった気持ちをぐっと堪え、何事も無かったかのように接する。

娘よ、
本当にごめん。
こんなの感じ取らなくていいんだよ。
と、申し訳なくなるが、それどころじゃない。


今日は好きな人の動画を見た。
段々と張り詰めていたものが、ほぐれていく。

少し時間が経って、
もう一度文字に起こして
ここで整理してみた。

社長の考えは、だいたい何かあった時、のことがいつも四六時中考え行動していることだ。
私に勝手に発言するな、と言った事についても、じゃあ、もう全て社長にお任せします、と思いたいところだが、なんとかもう一度自分のした事を文字に起こして考え直してみた。

私は、指導されている立場でありながら、
人として部下として扱ってもらえず、
自分の言葉で話すことを許されていない人間なのだ

の答えに辿り着いてしまった

きっと私が間違っているのだろう。

しかし、誰かになにかを頼られた時、
人として私はその人の役に立てることだけじゃなく、その人の周りの携わる人へも本来の目的を果たせるように、と願って接している。
トレーナーさんは健康経営を私が先陣をきってやってる姿が、ここの会社(うち)の社員さんに伝わって、いい方向へ変わっていってると外から見ているトレーナーさんに言って貰えたことが嬉しかった。

今日の社長からの言葉で全てを否定されたような気持ちになった。

自分の気持ちを吐き出してしまったが、最後はやっぱり振り返りも必要

社長は、目が不自由だ
見えにくくなる世界で
とにかく不安なのだ

その不安のせいだ

きっと安心が必要なのかもしれない

きっとそうだ

だが安心を与えてあげられるほど
私の心のツボ潤ってはいない

むしろツボはヒビが入り
自分から潤いを求めても
ヒビからどんどんと水は流れ落ち

気づくとツボはカラカラになってしまっている


明日は歩こう

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