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皮を剥くということ

9月の料理教室は栗ご飯、さんまの塩焼き、里芋の煮物、きのこと豆腐のお吸い物、デザートにりんご、と秋味満載。
春夏秋冬それぞれに美味しさがあるけれど、特別美味しく感じられるのは「食欲の秋」という言葉に踊らされているからでしょうか。
 
栗ご飯をつくるにあたり栗の皮は教室のみんなで分担して剥きました。が、復習するときはひとりですべての栗皮(およそ15個)を剥かないといけません。そんな当たり前の現実にクラリとする。鬼皮は硬いし、渋皮は剥きづらいし、達成感は正直2、3個で得られるから。それでもこの味を大切な誰かに、あるいは自分に食べさせ、喜ばせたいという気持ちが「やったるか」と重い腰を上げさせる(ちょっとエゴイスティックだけど)。つくづく料理って愛情の具現化だよなあと思います。
 
わたしは究極的な愛情表現のひとつに「果物の皮を剥くこと」を上げているのですが、栗ご飯はそれを凌駕するかも。だから食卓にお手製の栗ご飯が並んだら、いつもより多めにオーバーに喜ぼう。旬の味覚を振舞ってくれる繊細な心配りと、手間を惜しまない深い愛情がお茶碗のなかに込められているだろうから。

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