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一周忌を迎えて

母の一周忌は滞りなく、完了した。
せっかく家族が集まる機会だから、と、
父は湿っぽくならないようにとおそらく思って実家だけではなく、
ホテルを数日予約してくれて、のんびり過ごせるように予定を調整してくれた。

だから、最初はプチ旅行のつもりだった。
遠くに住む兄も帰省し、
みんなで美味しいものを食べる計画を立てて楽しみにしていた。

そのくらい、最初は気楽な気持ちだったけれど

でも一周忌を終えて、より寂しくなった気がする。

読経の声に葬儀の時の思いが甦って悲しくなった。
母の生家にも足を伸ばし、親戚たちに会ったら、
伯母がしばらくは泣き暮れていたと知って、それでまた悲しくなった。
父の実家の方では死去1年後にようやく納骨がされるのだが、
母の骨壺をもう見ることがなくなるのだと思って、悲しくなった。

全然、辛さが薄れてなかった。
気づいたら、1年のうちに積もり積もった寂しさや悲しみは、心の中で沈殿して、冷えて固まってしまっていた。

母がいなくて寂しいと思うことが日常になり、
寂しいと思う日々に慣れるけれど、
寂しさが薄れるわけでも、消えるわけでもなかったのだ。
多分兄も同じことを思ったようで、帰省から戻った数日後のLINEで、
一周忌が終わったらもっと気持ちが前向きになると思っていたのに違った、と
話していた。

母のいない日常に、私たち家族はまだ苦戦している。

持ち主のいない歯ブラシを見ても、すぐに泣かなくなったけれど、
まだその歯ブラシを捨てることはできないのだ。

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