見出し画像

七夕の旅立ち

祖母が今日、他界した。

5年ほど前からかなり弱りだして、
一時はもう危ないかもしれないということで家族が集まったけれど
その後グググっと持ち返し、

なんとそれよりも母が先に逝き、

2、3年前からほぼ寝たきりだったけれど
起きている時は結構頭もはっきりしていて、
口を開けばみんなのご飯の心配をし、
何年も訪れない母のことを尋ねてくるほどだった。


祖母は、いわゆる「祖母」らしい祖母だったと思う。

私には物心ついたときには祖父母はもうこの祖母しかおらず、
比べる相手もいないのでわからないけれど、

嫁であった母をそれなりにいびり、
孫には甘く、
父の言うことは聞かず、
親戚と会うことが好きな祖母だった。

年の離れたきょうだいたちは
父の生家で親戚や祖母と同居しており
かなりの大所帯だったけれど、
私が生まれた時くらいから父の仕事で離れたところに暮らし、
祖母は時々遊びに来ては数ヶ月単位で泊まっていく、という感じだったので、
多分母と祖母の関係性はガラリと変わったのではないかと思う。

学校から帰ると、
台所で母がお夕飯の準備をしながら
ただひたすら祖母のお叱りを黙って聞いている場面が
すぐに思い浮かぶ。

その頃私は反抗期で
口うるさい祖母が疎ましく、
多分かなり強く反発したこともあり、
そんな私のことをどんな教育をしているんだと、
母に不満をぶつけていたりしたようなこともあったような気がする。

それでも、祖母が大好きだった、と言うつもりはない。

相手が死んだからと言って、
全てに素敵フィルターがかかるわけではない。

ただ、祖母の人生を
今の私ならもっと興味深く聴けるだろうに
それができないことが心底悔しい。

父の実家の祖母の部屋を覗けば、
静かに息をする祖母の寝顔を見ることも叶わず、
90を過ぎて老人斑だらけになってもまだツルスベだった祖母の頬に
触ることもできない。

それが

ただただ悲しい。


叔父が臨終後の祖母の姿を写真で送ってくれた。

お棺に入った母を見たときにも思ったけれど、
人の体というのは魂の容れ物なんだなと改めて感じるような
ポッカリとした写真だった。

それは決して、写真の中の祖母が口をポッカリ開けていたからなだけではない。

空っぽの感じがするのだ。

どこぞの歌ではないけれど、
そこに祖母はいないのだと思わされるような空虚感が写真には写っていた。


おばあちゃん、92年の人生、お疲れさま。

なかなか波乱に満ちた人生だったよね。
戦争も体験してるもんね。
結構高齢になっても健脚で、平気で20キロとか歩いてたよね。

おばあちゃん、
お母さんのこと、ずっと嘘ついてごめんね。

そっちでもう会えたかな?

私が良い孫でなかったからって
お母さんのこともうあんまりいびらないであげてね (笑)

おじいちゃんにはもう会えた?
久しぶりの再会、嬉しかった?

たまには夢で遊びにきてね。

まだまだ寂しさは続くと思うけど、
一生を全うしたおばあちゃんを、めでたい!って
きっとそのうち思えるようになるからね。

おばあちゃん、今までありがとうね。

ゆっくり、
ゆっくり休んでね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?