初めての手術台が開脚なんて聞いてない
昨年秋、生理中の下腹部痛に加え激しい激しい腹痛に襲われた。尋常ではなかった。想像出来る生理痛の、酷い方の、その10000000倍酷いものだと思って欲しい。のたうち回る程の痛さだが回れるほどの元気など欠片もない程の痛さ。寝ても覚めても痛い。
という症状がふた月程続け様にみられ、さすがにあかんのでは?ということで、産婦人科へ。
(もともと子宮口付近に通常では見られない胞(※分泌物が集まって出来た袋のようなもの)があって、それが原因で上手く血液が排出されない、不正出血や性交時出血の改善、プラス生理痛が酷かったため定期で診てもらっていた。)
問診、エコー検査を経て、先生の診断は
「子宮内膜症っぽいね。胞がいるから、上手に流れてくれなかった血液がお腹の方に逆流しちゃってるんだよ。」
たかが袋ごときがここまで害悪な存在になるとは思っていなかった。
子宮内膜症(仮)第一段階として、とりあえずの鎮痛剤。生理が終わってから再受診するようにと言われ帰宅した。これ以上腹部に負担をかけないよう、出された鎮痛剤は座薬。かなり速攻力があって有難かった。
再診。
再び、エコー。
画面に映し出された私の子宮内には、生理が終わったにも関わらず血液がたくさん。(通常、生理後は内膜が剥がれ落ちているので薄くなっており、もちろん血液も無い空っぽの状態)
やっぱりこの胞が邪魔して流れ出ないんだよ、と言われ第二段階へ。内膜症(仮)の治療に加え生理痛改善効果も期待して、ヤーズフレックス(低用量ピル)の内服をスタート。
嘔気、血栓などなど副作用が強いと聞いており身構えていたが、幸いどれも当てはまらなかった。
そんな事よりなかなか出血が止まらない。出血が止まらないという事は、下腹部痛も止まらない。(生理中の下腹部痛は、血液を体外に追い出そうとするために、子宮が収縮する動きに伴うもの。ぎゅっとする時にきゅっと痛くなる。)
緩い出血に柔い痛み。エンドレス。副作用に出血はなかった。治療方法間違ってないか?ミスか?医療過誤か?
疑いながら3度目の受診。
経過を報告し、エコー検査へ。
「あれ?」
医師の疑問形ほど不安になるものを私は知らない。
ここに何かいるなぁと子宮が映された画面を指さす。それは白くぼやけたもので、エコー画像で見える白いモヤが“良いものではない”という知識は、散々読まされた病理学の教科書で得ていた。こういう時が、看護師という職業に就いた自分を恨み褒めるタイミングだ。
「子宮体癌の検査しよか」
26歳。頸がんの検査はお手の物(出産未経験の若年女性は2年に1度の検査が推奨されているので、是非)だが、体癌までは経験したことがなかった。(ちなみに、子宮内膜症の20~50%に体癌が認められる)痛みというより苦痛を感じながら、検査終了。
体癌なんてシャレにならんぞ、と不安を抱えながらの再々再診。検査結果は陰性。
安堵と疑問。じゃあこの白いモヤは何者……?
「良性なら、子宮内膜ポリープだと思う。ただ、エコーでは子宮の奥までは見えないから断定はできない。とりあえずヤーズ2シート出すから(1シート28日分)飲み終わる頃にまた来て。」
腹痛発見からここまで約3ヶ月。3ヶ月目でようやく子宮内膜症(仮)から、『子宮内膜ポリープ』というものに変身した。ポケモンより遅い進化だが、受診の度のエコーは無意味では無かったようだ。毎度も同じ画像を映し出していた様に見えたが、私の知らない所ではしっかり理由を持った検査だった。大幅な時差を経てようやく追い付いたのだ。私が。
経過観察期間を56日間設けられた。毎日飲む。飲み忘れる。1日に2回飲む。私は毎日20時~21時の間に飲むようにしていたが、忘れる事もたまに…割合多くあったため、翌日朝に1錠と20時頃に1錠飲むなどして(飲み方としては正解)何とか服薬コンプライアンスギリギリを保っていた。
何も無いぞ、何もトラブルが起きてないぞ、完治か?と羨望の眼差しを未来に向けていた所だった。微妙な出血が止まらない。オリモノも心無しか増えてきている、気がする。いや、気がするではない。増えている。確実に増えている。
事件の絶えない子宮に驚きと飽きが来ていた頃に5度目の受診日が来た。2020年最後の受診。
現状を報告すると、ポリープによく見られる症状だと言うこと。微妙な不正出血も、増加するオリモノも今すぐに治さなければ命の危険があるものでは無いが、悩みの小さな種になっていた。芽が出て花が咲いてしまう前に摘んでおきたい。そう話すと、
「じゃあ内視鏡下で確認して、取りましょう」
という事になった。要約すると、手術をするということ。
初めての手術台が開脚なんて聞いてない。そもそも手術だなんて大それた事になろうとは思いもしていなかった。
「人生何が起こるか分からない」の一例がこれなのかと、年内最後の驚きを受け入れられずにいる私にオペ前検査を淡々と始める看護師たち。いつもはすんなり出てくる血管も怖気付いたらしく、この日は両腕合わせて4回ほど22G翼状針を刺された。(とても細くてとても短い採血に使用される針。割と失敗しにくい)
手術前日から当日までの流れを一通り説明されたところで受診終了。
産婦人科に受診=パートナーがいる
という、謎の先入観を持った看護師達からは何度も何度も、「当日は麻酔が効いてるので旦那さんと一緒に来て下さい」と言われた。
小さな発言にも気を付けなければ、反感をかうのではないだろうか…?
それともコロナ禍なのもあり、付き添いは親族しかだめなのかしら?とも思ったが、すんなり入れて貰えた。“旦那さん”にこだわる意味とは何だったのだろう。
手術当日。
個室に案内され、手術中麻酔薬を投与する為に使うルート確保用の点滴、ゆとりのある手術着に着替え、待機。
1時間程して呼ばれた。トイレを済ませ、いざ。
久しぶりに入る手術室には見慣れた機器がたくさんあったが、ベッドからの視界は斬新だった。なるほど、この高さから見るものは全て僅かながら恐怖を感じるのだな、なんて事を思いながら心電図や血圧計を付けたり下着を脱いだり。なんやかんやの準備をしている所へ、先生登場。
タイムアウトをして、耳馴染みのある薬剤名が微かに聞こえたところで意識が朦朧とし始めた。音は聞こえる。でも頭の中が揺れている。少し酔っ払った様な、ふわふわと気持ちは良いが遠くの方からゆっくり押し寄せる吐気。
子宮内を移したモニターをこちらに向け、淡々と説明を始める医師と、遠のく意識の中で何とか話しを聞こうとする私、そして眠っていく私を一生懸命起こす看護師。3人の攻防戦が繰り広げられていた。カオス。
下腹部を緩やかな鈍痛が襲うが、これはまだ耐えられる。問題なのは麻酔薬による吐気。気持ちが悪い、が、吐けない。朝から何も食べていないのだから吐くものがない。しかし気持ちが悪い。もう子宮どころではない。
結局、何をしていたのか分からないまま終わった。ストレッチャーで元いた個室まで運んでもらい、すぐ様、抗生剤を点滴から投与。抗生剤の色が黄色なのを「これ尿入れられてるの?」と、笑う付き添い人。笑ったら何かが出そうで、真顔の私。
抗生剤が無くなるまで、約2時間。吐き気と戦う私と、それを撮る付き添い人。笑う付き添い人。
丸1日、吐き気との交戦を続けたが翌朝元気になって、マクドナルドのチーズバーガーセットが食べられるようになった。
1週間後、出た結果は『良性子宮内膜ポリープ』
改めて内視鏡で撮った子宮内の写真を見せてもらうと、唯ならぬ数のポリープが子宮にくっついていた。内膜にできるポリープは割と珍しい症状らしく、長年産婦人科医をやっているがこんな量のポリープを見たのは初めてだと言われた。珍しいついでに嚢胞も病理検査に出してもらっていたらしく(先生の好奇心もあって)これの正体は、血の塊だったらしい。
どちらも原因不明。
今回の手術で全てが完治し、再発の可能性はゼロだという保証も無い。
しかし、今のところピル内服で月経コントロールが出来ており、不正出血も過剰なオリモノも無くなっている。
「とりあえず」の対処療法になるかもしれないが、今まで悩んでいた症状が緩和されたのは嬉しい。
たかが生理で病院に行くなんて、と思わず適切な治療と適切な投薬で快適を勝ち取って欲しい。
日本の女性は月経開始から閉経まで約40年あるといわれている。人生100年時代。悩み続けるにはあまりに長い。小さな臓器に惑わされ続ける時はもうおしまいにして、医療の力、どんどん使っていこう!!!
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