ギリシャをペリパトス

アテネ在住日本人Yukiとギリシャ人Georgeの国際結婚カップル。ギリシャの歴史や神…

ギリシャをペリパトス

アテネ在住日本人Yukiとギリシャ人Georgeの国際結婚カップル。ギリシャの歴史や神話好きな二人の旅行業に対する熱い思いを何かの形で表したいとブログを始めました。散歩はギリシャ語でペリパトス。二人が訪れた様々な所での感動をお伝えします。ギリシャを旅せずにはいられなくなるブログ。

最近の記事

アルカイック期のアテネの若者たちの日常を表す浮彫り彫刻

アテネ考古学博物館には、側面に彫刻が施されている四角い大理石の台座が展示されています。この台座はケラミコスにあるアテネのデゥピュロン門の墓地に接した古代の城壁の中から発掘されました。上面には彫像をはめ込むための穴があけられていることから、台座ということがわかりました。裏面以外の3つの側面にはその当時のアテネの青年たちの日常の様子が彫刻で表されているのが非常に興味深いところです。 正面の浮彫4人の青年が、体を鍛える運動場でレスリング、やり投げ、徒競走などを練習する様子が描かれ

    • ギリシャ神話にまつわるザクロの名前と四季の由来

      ギリシャでは、ザクロがよく食されます。ちょうど今ザクロの季節で、ライキと呼ばれる市場で10月の下旬くらいから売られています。ギリシャは何でもキロ単位で売られるのですが、1キロで約1ユーロ70セントくらいです。(日本円にすると約200円ほど)そのユニークな形、ルビー色に光る実、その食感といい、個人的に果物の中で女王的な存在だと思っています。大好物で毎週市場で二キロほど買って食してます。甘みと程よい酸味があり本当に美味しいのです。こちらに来てから長年食べ続けてきいますが、果皮の色

      • アクロポリスを舞台とした女神アテナとポセイドンの守護神争いとアテネの名称の由来

        ギリシャの首都アテネは人口の約半分が居住するギリシャ最大の都市です。ギリシャ観光の拠点として、またヨーロッパの古都としてたくさんの旅行者を魅了し続けています。日本語ではアテネ、英語ではアセンズ、ギリシャ語でなアスィナと言われるこの町の名前の由来をご紹介します。 かつてはケクロピアと呼ばれていた街ギリシャ神話ではこの町はケクロピアと呼ばれていました。上半身が人間、下半身が蛇の姿を持つケクロパスという王様がこの街を支配していました。ケクロパスの治める街ということでケクロピアなん

        • アテネ・ザピオン自然・歴史・彫像のくつろぎの空間

          ザピオン周辺はアテネの国立庭園に隣接する、いわゆるアテネっ子の憩いの場でありたくさんの洗練された空間があります。現地の人は、散歩やジョギングを楽しんだり、子供を自転車やスクーターなどで遊ばせたりしています。今日はザピオン周辺の私のお気に入りの場所をご紹介します。 ザピオンの建物は、1896年の第一回近代オリンピックのために作られた建物で、フェンシングの会場となりました。またその10年後である1906年にもアテネオリンピックが開催されました。このオリンピックは正規のオリン

        アルカイック期のアテネの若者たちの日常を表す浮彫り彫刻

          ギリシャ独立戦争の英雄バイロンの彫刻像

          英国詩人バイロンとギリシャ独立戦争 今年はギリシャ独立200周年です。ギリシャ独立を成功へ導いたのは、ギリシャを支えた外国人による支援もあったからです。その中の一人が英国を代表するロマン派詩人バイロンです。彼は資金援助のみならず、1823年ギリシャ解放の戦闘に参加するためメソロンギにやってきました。 残念ながら戦いを前に病死。36歳の短い人生でした。ギリシャ人のバイロンへの感謝の念は大きく、これから紹介するバイロン像もその表れの一つとなります。 バイロンの像が象徴する

          ギリシャ独立戦争の英雄バイロンの彫刻像

          生徒による占領下のギリシャの高校

          学校の占領9月の半ばからギリシャの学校が新学期を迎え、長い3ヶ月の夏休みを終え、学校生活が始まりました。私の二人の子供も、今年から中学生と高校生になり、新しいいいスタートを切って欲しいなと願っていました。学校が始まってまだ2週間ほどしか経ってない先週の月曜日に、学校に行ったはずの息子が家に戻ってくるではありませんか。そして、「学校が占領された」と言いました。 生徒たちの要望ギリシャでは、「カタリプシ・(Καταληψη)」と言って、生徒たちが学校や国に対して抗議がある場

          生徒による占領下のギリシャの高校

          スミルナの大火で日本人船長が救ったギリシャ人

          まだ、ギリシャに来て日が浅い頃、簡単でもいいからギリシャの歴史を知ろうと思い、日本語で書かれた分厚いギリシャの通史を読みました。ギリシャに関しての知識がほとんどなかったせいか、複雑なギリシャの歴史は難しく感じ、何回も何回も読んで理解を深めないとダメだなという感想でした。でも、その本の前書きにスミルナ大火で日本船がギリシャ難民を救った事実と、この事実があまり日本人にも知られていないということが書かれてあったのがとても印象的でした。私もその事実を知らない日本人の一人でしたが、実際

          スミルナの大火で日本人船長が救ったギリシャ人

          アテネの街のグラフィティ

          以前、日本のお客様をご案内していた時に、「グラフィティが多いですね」とおっしゃられる方が何人もおられました。もちろん残念に思われてのことで、観光国として国をあげて法律で、街をきれいに見せる国もあるのにと私も同調していました。 実際に私が住む地域でもたくさんのグラフィティがあります。その大半が、ただの落書きで、嫌がらせであり、迷惑行為です。アパートの壁に乱暴に意味もない文字を並べたり、暴力的な言葉を書いたりと様々です。 また別の機会で、若い二人の女性のお客様の散策に同行

          アテネの街のグラフィティ

          ギリシャ独立戦争の英雄コロコトローニと騎馬像のメッセージ

          ギリシャ独立戦争の英雄セオドロス・コロコトローニ ギリシャ革命でオスマン帝国からギリシャを独立に導いた、英雄、セオドロス・コロコトローニの存在は苦難の歴史とそれに屈しなかった精神の象徴です。 強い信念、団結、そして諦めない執着心があれば、どんな困難でも克服できることを彼は証明してくれました。 1821年に始まったギリシャ独立戦争。今年で200周年を迎えました。ギリシャにとってとても大切な年です。自由と統一を可能にした彼の精神があれば、ギリシャの繁栄と未来への道が開かれ

          ギリシャ独立戦争の英雄コロコトローニと騎馬像のメッセージ

          ギリシャでのワクチン接種とシングルー病院について

          ギリシャのワクチン接収の状況ギリシャでは早い段階でワクチン接種が行われ、人口の約半分(2021年9月現在では55%が必要回数の接種を終えています)が接種を終えていると言われています。 現在若者を中心にデルタウィルスが強い感染力で感染者数を増やしています。約2000人が毎日感染しており、決していい状況ではないのは確かです。 観光業で成り立っている国として早い段階からコロナ禍でも観光客を受け入れる国として世界にアピールをしていましたので、今年は主に、アメリカ、ヨーロッパか

          ギリシャでのワクチン接種とシングルー病院について

          海水浴、定番ギリシャ人の夏の過ごし方

          ギリシャと言えばエーゲ海に代表される海、燦々と太陽が照らす夏ですが、ギリシ ャ人はみんな海が大好きです。夏の余暇の楽しみ方の定番が海水浴となります。海 水浴はギリシャ語でバーニョ(μπάνιο)といいます。ちなみにお風呂に入ること もバーニョなので、水に入ることはギリシャ人にとってバーニョなのでしょう。 ギリシャ人は大体の人が夏のバカンスを約二週間取ります。ちなみに子供は学校の 夏休みがほぼ3ヶ月あります。宿題なし。子供達にとってはパラダイスですが、母 として

          海水浴、定番ギリシャ人の夏の過ごし方

          ギリシャ神話・愛の神様エロタ(キューピッド)とプシヒ

          ザピオンのエロタ像 アテネの街の中心にあるザピオンは緑が多く、散歩や、ベンチに腰掛けておしゃべ りや読書などに最適な場所です。ザピオンに私のお気に入りのギリシャ神話のエロ タ(キューピッド)の彫刻があります。エロタは美の神様アフロディティの息子で す。エロタという言葉は愛や恋を意味しますが、キューピッドといったほうが馴染 みがあるかもしれません。ギリシャ神話を受け継いだローマでの名称です。翼の生 えた小さな少年、あるいは幼児として描かれます。今日は素敵なエロタと

          ギリシャ神話・愛の神様エロタ(キューピッド)とプシヒ

          近代オリンピック金メダル受賞作、円盤投げの彫刻

          円盤投げの彫刻 近代オリンピックスタジアムの向かいにある円盤投げの彫刻は、世界的に有名なギ リシャ人彫刻家コンスタンティノ・ディミトリアディスの作品です。オリンピック スタジアムめがけて円盤を投げようとしているかの最高のロケーションに、この傑 作が展示されています。円盤を頭上にかざし、いまから精一杯の力を込めて投げよ うとする集中力が極限に達した瞬間をとらえています。その緊張感といい、アスリ ートの体をねじりながら後方にそりかえる動きや、体全体の筋肉の描写が感動

          近代オリンピック金メダル受賞作、円盤投げの彫刻

          アテネのトレードマーク、ガラスの像、ドロメアス

          ガラスのオブジェ、ドロメアス(走者) ギリシャの首都として、またヨーロッパの一都市として何十年も前に、アテネは町 の近代化に取り組み始めました。その一環として作られたのが、ギリシャ人コスタ ス・ヴァロチョスによるドロメアスでした。ドロメアスは、走者(ランナー)とい う意味です。 ブラジルのサンパウロで開かれた国際展示会にギリシャ代表としてヴ ァロチョスは、この8メートルもある、ガラスと鉄で作られた作品で参加しまし た。この像の当初の題名はクセノス、よそ者という

          アテネのトレードマーク、ガラスの像、ドロメアス

          女優メリーナ・メルクーリの人生とパルテノン彫刻返還運動

          メリーナの胸像とパルテノン神殿 アマリア通りからアクロポリスへ向かうアレオパギトゥ通りの入り口にメリーナ・メルクーリの胸像がおかれています。そのメリーナ像を見るたびに、大英博物館に展示されているパルテノン神殿の彫刻の返還運動を行なった彼女の偉大さを思いだします。それと同時にいつ返還がされるのだろうという期待を持つのです。返還はあり得ないというのが正直なところでしょうが、でも天才フィディアスらによって作られたそれらの彫刻はアテネ黄金期の偉大な遺産であり、古代ギリシャが作り出した

          女優メリーナ・メルクーリの人生とパルテノン彫刻返還運動

          スタディウ通りとスタジアム(競技場)の言葉の由来

          スタディウ通りの失敗に終わった改名アテネの中心シンタグマ広場からオモニア広場を走る通りをスタディウ通りといい、古代アテネから存在した歴史ある通りです。スタディウ通りは市民の生活の中心の場であった古代アゴラと古代にお墓があったケラミコスと、現在はカリマルマロ(上質の大理石の意味)の愛称で親しまれている古代競技場をつなぐ大切な道でした。長い歴史をもつこの通りですが、近代になってチャーチル通りと改名が行われました。当時のギリシャ政府が、第二次大戦終息と、ナチス軍からの解放に尽力

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