見出し画像

発作

不思議だ。

私は生まれた時から発達障害で、今も発達障害であるわけだ。

なのに

発達障害の告知を受けてから
あたかも"その日"から発達障害人生が始まったような気がしている。

これは想像にすぎないけれど、不治の病、たとえば癌が見つかり余命宣告を受けたとしたら、その瞬間から「終わり」を意識した生き方になるだろうと思う。

だけどそれとは少し違って。

実はこの人生、最初から地獄でした!ということが今になって明かされた感じがして、それでいて、「今まで大変でしたね」みたいなことも強調されて、今後の生きづらさをネタバレされてしまった屈辱感が強い。

今風にいうなら「脳ガチャ」はずしたか?

死の宣告ではなく、
残念な未来を約束されてしまったんだと私はひどく落胆した。

これは以前も感じたことのある感情だけど、
「お先真っ暗」ではなく「お先真っ透明」という表現がぴったりだな。

今まではそれなりに、こういう仕事をしたい、この国に行ってみたい、いつか結婚して・・・とか考えていたはずなのに
それが叶うかどうかはわからないとして
すべての事象で他人より苦労するんだという取り越し苦労で夢がどんどん姿形を失って消えてしまった。

これは病気と障害、どちらが大変だとかそういう類の話じゃないんだよ。

別に命が終わりますというほどのキツさはないのに、
からだのどこにも痛みはないのに、
「一生ぬるめの地獄の湯につかったままですが、生きてるうちはご自由にどうぞ。わりと長生きです。」と閻魔大王から告げられたら、
へらへらと生きていける?
しかもその姿は他人からは見えない。

私なら「じゃあもうひと思いにやっちゃってください」と言うね。いや、もうそうしてください。

消えたい消えたい消えたい。

これが人生最初の希死念慮なのかな。

だって、ずっと発達障害なのに、あの日の私と今の私は全く違う。

初めて歩いた日のように、右足、左足・・・と一歩ずつの足の出し方さえ気になってうまく歩けない。視界がぐにゃーっと歪むような錯覚に陥る頻度も増えた。

「もっとちゃんと生きていかなきゃ、(社会的に)死ぬ。のか。」

そう考えるたびに心臓がどきどきして冷や汗がとまらない。いや、このまま心臓も機能しなくなって、脳もオーバーヒートして、自分の「核」から爆発して、肉体的にも終わるのかもしれないぞ。

これ以上、人に迷惑をかけたくないよ。

なぜか自分のまわりの優秀な友達の面々の顔が頭に浮かぶ。

走馬灯?

ヒヤッとした風が自分を包み込んだ気がした後に、胸を押さえてベッドに倒れこんだ。涙も汗も噴き出てきて、視界は真っ暗になった。

あれ、死んだな、これ。

・・・

・・・・・・


いや、全然生きてる。


枕元のぬいぐるみと目が合ったら
私は正気をとりもどした。

私はこの時おそらくパニック障害を発症した。

昔マラソン大会で過呼吸を起こしたときとはまるで違う。やっと普通の呼吸を取り戻したあとも

前よりひとつ
浅いところでしか呼吸できなくなっていた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?