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「苔むさズ」#09



あっという間に港の公園横にある大きなショッピングモールには、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られ、おなじみのクリスマスソングが5階建のモールの吹き抜けに鳴り響く季節になった。私は幼馴染みのアッコが来るのを待っていた。   1999年12月。大観覧車は特別にカラフルなライティング、大画面テレビでは「2000年問題」関連のニュースが流れていた。
道ゆくカップルは、そんなことは御構い無しに余裕綽々で、ツイで歩いている事が唯一のステイタスであるかのように、我々シングルスには見えた。 職場のコルクちゃんみたいに、12月だというのに高い10cm超えのヒールのサンダルを内股で一生懸命引きづりながら、彼氏と手をつなぎあう女子たち。カップル達には観覧車も2000年問題のニュースも、もちろん一人寂しげにシャーベットを舐めながら安物のダウンジャケットを羽織っている私という人間も全く関係がなかった。彼らは今日、どこで買い物をし、どこで美味しいものを食べ、どこで夜をすごし、そのあと誰にその幸せのかけらを自慢しようかと考えているだけだ。   

かくいう私だって去年のクリスマス前にはショウタ君とここへ来て人気のシャーベット屋に並び、仲良く味違いの2種を代わり番こに食べた。ティファニーの店の前で、ショウタ君が「結婚指輪というものはこういう所で買うらしいぞ」と明らかに中身は5000円足らずしか入っていないであろう、財布の入ったヨレヨレのジーンズのお尻の左ポケットに親指を引っ掛けながら、悔しさとも恥ずかしさとも言える口調で言っていたっけ。 あの二人だけの空間はもうどこにも存在しない。あの空間に入ると、二人という空間が特別な異空間で、そこに溺れていく自分を感じながら海底を彷徨っている様だった。あの時はあれで快適だった。今も戻ってみたいがショウタ君には新しい居場所ができ、私も一旦地上に放り出されたのだ。それはそれで実は新鮮な空気が吸えて今は快適だった。

 

 その12月の土曜日、アッコは当然時間通りに来ることがないから、私は待ち合わせ場所の付近をウロウロとしていた。 やっとジーンズにシンプルだが大人びたトレンチコートを羽織ったアッコがゆったりとした歩調で現れた。 「ごめんごめん」40分遅れだ。「毎度のことだけど、遅いね」といつもと同じセリフを言うのが挨拶みたいなものだ。カフェに入って3ヶ月ぶりのアップデートが始まる。   その日も最初の出だしは、アッコの職場での出来事の話題からだ。遅刻の多いアッコが遂に50代の上司に怒鳴られ、 「愚の骨頂だ!」って言われたけど、怒っているのは分かるが言葉の意味が分からなくて帰宅してから辞書で調べたことや、その際に施工予定の模型のサンプルを10種類作るように命令されたこと。それに関する彼女の淡々とした感想を頷くだけだった。初任給の話、地方赴任になる人の話、同僚との競争の話。アッコとの会話は大学卒業以来会う回数が減った分、長くなった。
 カフェでお代わり自由のブラックコーヒーも6杯目位になろうとしていた。 同僚の話をきっかけに何か思い出したのか、 アッコが話を切り替えた。 「私たち、今年クリスマスケーキだって知ってる?」と意味不明なことを聞いて来た。   
「は?なに?それ。」と私は、よくクイズ形式で話題をスタートするヨーコに若干のイラつきを感じながら聞き返すのだった。  アッコは小学校以来の幼馴染みで、同じ美大の建築学科を卒業して施工会社で働いていた。いつもマルボロライトをふかしていて、まるでフランス映画の様にアンニュイな思想を持っている。理想の男性はジャン・ユーグ・アングラードだという彼女は悲しみも喜びもグレイ色で表現され、白黒とはっきりさせる事が邪道であるかの如くだった。会うとその日の議題について答えを出す事はなく淡々と感情を述べるのみ。時に私が話しの結末を決めかけるようなことがあれば断じてそれを制した。  
「クリスマスケーキって24日のイブに買って食べるから美味しいでしょ?25日のクリスマスの日にはなんだかまずくかんじるじゃない?結婚も同じで、24歳までが嫁に貰われやすいって意味よ」 と、ニヤニヤしながら新しいマルボロライトを取り出して、トントンと葉の方をテーブルで叩きながら、私の表情を伺っていた。  
「え?そんなこと言ったらみんな嫁に貰われないじゃん?もう25になってる人もいるし、早生まれの私たちだってもうすぐ25だよ。馬鹿馬鹿しい!」と、悪態をついた。 それでもアッコがニヤニヤしているから、いよいよ腹が立って来た。  
「なんで笑ってんのよ」  
「いや、エリコさ、恋とかしちゃったりとかしてない?」  
「まさかー。そんなことあるわけないじゃん。誰によ。」  
「いや、分からないけど。なんかそんな感じがしたから。」  
「ショウタ君と別れたばっかりだし、慣れない仕事で精一杯だし、そんな余裕ないよ」 と本心で答えたが本当にそうなのかは自分でも分からなかった。

  アッコとはその後軽く食事をして別れたが、 私は何かひっかかるものがあった。「恋とかしちゃってない?」かって?   私はその夜港から、実家のある鎌倉まで電車で帰宅し、何故か机の引き出しにしまっておいた3枚のショウタ君との写真をじっと眺めてから、大切に箱の中にしまった。


[続く] #エッセイ #私小説 #デザイナー人生

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